01.マリエラ、森へ帰る
お待たせしました! 外伝です。
見切り発車ですがよろしくお願いします。
「ジークのばかぁー!」
魔の森にマリエラの怒号が響く。
いくら中級の魔物除けポーションを使っていても、ここは魔の森の中心部に近い深い場所だ。周りに潜んでいるのはBランクの魔物ばかりだし、Aランクの魔物が出て来たっておかしくはない。ここが危険な場所だということは、マリエラにだって分かるのだが、叫び出さずにはいられないほど、怒り心頭の様子である。
「ちょ、マリエラちゃん、声大きい! 魔物来ちゃうよ、ストップ、ストップ!」
「エドガンはさっさと魔物倒して来るし? 給料分働いて来るし?」
マリエラを宥めようとするエドガンを、調教師のユーリケが追い立てる。
どうやらユーリケはマリエラの味方らしい。
それもそのはず、マリエラがキュキューっと眉毛を釣り上げながらも半泣き状態で怒っているのは、ジークがマリエラに断りもせずに、スラーケンを捨ててしまったからだ。
「信じらんない……。あんな人だとは思わなかった……」
「うん。生き物捨てるとかありえないし?」
いくら一緒に暮らしていても、人の物を勝手に捨ててはいけないのだ。マリエラはジークがゴミにしか見えないものをせっせとため込んでいたって、勝手に捨てるなんてしなかった。なにより、スラーケンは生き物だ。しかも瓶の中のスライムだから、マリエラの魔力を与えないと数日で弱って死んでしまうのだ。
ラプトルをこよなく愛するユーリケが100%マリエラの味方に付いたのも、納得のいく話だろう。
だいたい、マリエラの周囲はジークに甘すぎる。『木漏れ日』の聖樹の精霊イルミナリアは友達のマリエラよりもジークのことを優先するし、たまにジークが精霊眼を使うと小さな精霊から大きな精霊まで皆ジークに集まって来る。
サラマンダーなんてマリエラが召喚したのに、ジークに向かって尻尾を振る始末だ。
辛うじてジークよりマリエラの方を好きらしいのはラプトルのクーだけれど、クーの一番は調教師のユーリケだから、マリエラが一番なペットはスラーケンだけだったというのに。
「ジークばっかりずるい」という日々のうっ憤も相まって、ジークが空のスライム飼育容器を持ち帰った昨日、マリエラの怒りは大爆発してしまったのだ。
ジークは必死で「これには訳が……」と弁解しようとしていたが、言い訳なんか聞きたくないとマリエラはジークに一方的に怒りまくった挙句、『木漏れ日』を飛び出した。
家出だ。
「実家に帰らせていただきます」というやつだ。
と言っても、飛び出してきた『木漏れ日』はマリエラの家だし、そもそも二人は結婚しているわけではない。
迷宮の討伐から季節は一周廻ったけれど、日々楽しそうにポーションを作っているマリエラと、外堀は埋めて完璧な包囲網を形成する癖に本丸は攻められないヘタレなジークの関係は大して進歩していない。むしろ今回の大げんかが大きな変化と言えるくらいだ。
しかし、微笑ましい喧嘩と侮るなかれ。
マリエラは、普段は残念極まりない女の子だが、二百年前の魔の森の氾濫を生き残り、目覚めた迷宮都市でポーションを作りまくって迷宮討伐に大きく貢献し、しまいにはエリクサーまで作ってしまった、やれば超できる子なのである。
勿論、成果に見合った褒章も頂いているから、経済力もばっちりだ。有り余る財力をここで使わずどこで使うとばかりに、マリエラはエドガン率いる黒鉄輸送隊を護衛に雇って「実家に帰る」ために魔の森を進んでいるのだ。
とはいえ、マリエラの実家である師匠と暮らした小屋は魔の森の氾濫のときに壊れてすでに無い。
「実家って言ったら、親のいるところだと思うんですよ。錬金術師の親っていったら師匠でしょ? 師匠の居場所、サラマンダーが分かるって言うんですよー」
「キャウ、シショ、ワカル。シショ、アッチ」
ちなみに師匠が迷宮都市にいる間に何度も顕現させてもらったせいか、サラマンダーはジークも好きだが師匠のことも好きらしい。気の多いトカゲである。
気が多いと言えば、エドガン違った、エロガン、あれどっちだっけ? のエドガンであるが、迷宮討伐の日以来、チャラくてチョロいお買い得物件として迷宮都市で名を馳せてしまったエドガンは、壮大なるモテキの末に、大勢の女性に慰謝料やら養育費やらを請求されて、スカンピンになっている。
黒鉄輸送隊のメンバー曰く、モテ始めたのはこの1年の事なのに、2~3歳の子供を連れて来る女性や、手を握ったことしかない女性もたくさんいたらしいから、完全にカモにされている。当の本人は身ぐるみ剥がれる寸前まで、自分はモテているのだと信じて疑わなかったのだけれど。
さすがにこれではいけないと黒鉄輸送隊のメンバーが相談し、マリエラの護衛の対価として金貨と、血縁関係が分かる『血族のポーション』を受け取って状況を整理することで話が付いている。
現在マリエラと黒鉄輸送隊の一行は、ラプトルの頭の上に乗っかったサラマンダーの導きによって、道なき道を進んでいる。装甲馬車の通れない獣道だから、盾どころか防具も重くて装備できないグランドルはラプトルに載せた鉄の箱のような物の中に入って半分荷物状態で殿を務めているし、危険性を考慮して、戦闘力の低い二人の奴隷、ニコとヌイは迷宮都市で留守番だ。
マリエラは、エドガン、ユーリケ、フランツ、グランドル、ドニーノの5人とラプトルに乗って魔の森を進んでいるのである。
「ねぇ、サラマンダー。師匠のところ、もうすぐ着くかな?」
昨日の昼頃出発して昨日は魔の森で野宿をした。今日も日が傾いていて来ている。昨日よりずっと深い場所に来ているから、野宿をするのは少々怖い。
「キュ? キャウ!」
首を傾げながら、進むべき方向を指し示すサラマンダー。
「そっか、魔の森は魔物の領域だから言葉は通じないんだ……」
迷宮都市ではサラマンダーと言葉が通じていたのに、魔の森では通じない。『師匠の元へ行く』という目的は分かっているから、道案内はしてくれるのだけれど、あとどれくらいで辿り着けるのだろうか。
「地脈は同じなのに、どうして言葉が通じないんだろう?」
そんなことを考えながら、マリエラがラプトルの背に揺られていると、突如サラマンダーが「キャウキャウ」と騒ぎ始めた。
「着いたのかな?」
ほどなくして一行が辿り着いた場所は、鬱蒼と茂る魔の森の木々が呑み込まれたかのように突然途切れた、薄暗い沼地であった。
雨が降ってもいないのに、周りの空気が重く湿気ている。日が傾きかけているせいか、魔の森の木々に日の光が遮られて水面は黒く底が見えない。
沼の際まで木々が生えていて、沼の周囲には背の高い草が茂っているから、黒い水をたたえた沼は、魔の森の中にぽっかりと開いた穴のようにも思える。
魔物とて水は必要とするものだから、ここは貴重な水場だろうに、周囲は不思議なほどに静まり返っていて、たけり狂った魔物の咆哮も聞こえてこない。
ふと対岸に目をやると、森の中から四本の角を備えた四つ足の魔物が顔を出した。マリエラの目では詳細までは視認できないが、巨大な体、鋭い爪と牙を持つ、とても強大そうな魔物だ。
「下がれ……」
剣を構え、マリエラたちに下がるよう指示するエドガン。
しかし、魔物は沼の水を飲んだ後、こちらを一瞥して静かに森の中へと戻っていった。
「ここは、いわゆる聖域なのかもしれんな」
魔物が去っていった方向を見ながら、治癒魔法使いのフランツが呟く。
「聖域と言うには、空気が淀んでおりますがの」
箱の中からグランドルの声が木霊する。
「何にせよ、魔物が襲ってこないんならいいんじゃね?」
相変わらず適当なことを言うエドガン。
(嫌な感じのする水だな……)
魔物が飲んでいたくらいだから、毒が含まれているわけでも水が腐っているわけでもない。沼地の周囲はただただ湿気て雨上がりのように空気が重いのだけれど、腐臭や異臭は感じられない。それでも、マリエラにはこの沼が丸ごと汚れているような、そんな気がするのだ。
まだ断定はできないけれど、魔物が襲ってこないなら、ここは魔の森の安全地帯なのだろう。けれど、ここに長居はしなくない。
(師匠はどうしてこんなところに?)
さっさと師匠を探し出そうとサラマンダーを見ると、沼のほとりの一カ所を見つめて「キャウキャウ」とせかすように鳴いている。
「あそこ? あれって……、祠?」
崩れた岩が折り重なって、苔むして周囲の景色に同化している。
近づいてみるとそれは、どこか人の手が入った様子が見てとれて、ひどく古い時代の祠の跡のようだった。折り重なった岩の下は人が入り込める隙間があって、土台も岩で作られているのだろう、苔で覆われて遠目からは分からなかったけれど、よく見ると床は大きな岩でできていた。照明の魔法で照らしてみると、祠の奥には地下へと続く石の扉が付いている。
「キャウ!」
「ここに師匠がいるんだね!」
マリエラの下を去る時、師匠は『仮死の魔法陣』を持っていったから、この下の地下室で眠りについているのだろう。
『仮死の魔法陣』は死の危険が無くなれば自然に蘇生するものだから、扉を開けて空気を入れ替えてやれば師匠は目を覚ますに違いない。
「ししょー! 朝ですよーう!」
この下に師匠がいる。そう思っただけでマリエラはなんだか元気が湧いてきて、ふんぬと石の扉を引っ張る。
「ふんぬー、かたいー」
マリエラが真っ赤な顔をして引っ張っても、石の扉はビクともしない。
「手伝うし?」
「手をかそう」
「お助けしますぞ」
「まかせとけ」
「じゃー、俺もー」
「ギャウ!」
ユーリケ、フランツ、グランドル、ドニーノ、おまけのエドガンとなぜかラプトルのクーまで手助けを申し出て、石の扉の出っ張りにロープを巻いて皆で引っ張る。
「ぬー、これでも開かないのー!?」
全員で引いても開かない扉に、いったん引っ張るのを止めて、マリエラがもたれかかった瞬間。
カコン。
石の扉が内側に開いて、マリエラは急に開いた空間に転がるように落ちていった。
どぷん。
開けたのは、沼のほとりの祠の扉だったはずだ。
だというのにマリエラは、なぜか水の中にいた。
いやそれも正確ではないのかもしれない。
これが普通の水ならば、マリエラの無駄なお肉が浮力を稼いで水面へ浮かび上がっただろうから。
「がぼがぼ、げほっ」
色気の足りない悲鳴を上げて沈んでいくマリエラ。
まるで底なし沼のように、どんどん深いところへ落ちていく。
落ちてきた場所を見上げれば、はるか遠くになったそれは月明かりのように小さく明るい。
まるで本当の月のようで、マリエラは空から落ちてきたようだ。
周囲を見渡すと、薄暗い中でマリエラ同様落下していく人影が見られる。
扉にもたれかかったのはマリエラだけだったのに、皆も落ちてしまったのだろうか。それとも助けに来てくれたのか。
水を掻いて脱出しようと見事な泳法を披露しているのはエドガンだろうか。けれど、高速で水を掻いているのにまるで逆回しのようにどんどんどんどん水底へ引き込まれていく。
(ししょう……。さむい、冷たいよ……)
まるで現実味のない不思議な場所だというのに、水は身を切るように冷たくて、マリエラは凍える手足を何とか折り曲げ縮こまると、そのまま意識を手放した。
ざっくりまとめ:師匠どこー?




