精霊眼
「『精霊眼』はね、こうやって使うんだよ」
がっしとジークの顔の右半分をフレイジージャの左手がつかむ。フレイジージャの指の間からジークの『精霊眼』が覗いているから、右目も左目も視界を遮られてはいない。
「あたしの魔力で強引に使うから、ちょっと痛いけど我慢な」
フレイジージャがそう言った瞬間。
「がああっ!」
眼球を焼かれるような痛みがジークを襲った。
ジークはフレイジージャの手を引きはがそうと腕をつかむが、細い女性の腕だというのにまるで鋼か何かのようにフレイジージャの腕はびくともしない。
ギチギチと眼球と脳を繋ぐ線まで侵食してくる灼熱感に、さらに暴れそうになるジークに、フレイジージャが静かに声を掛ける。
「落ち着け。本来の持ち主と少しだけ繋げただけだ。あたしの魔力との質の差で焼けて感じているだけだ。体はどこも焼けてない。ほら、マリエラも感じた世界が見えるだろ?」
『マリエラも感じた世界』という単語に反応したのか、ほんの少し冷静さを取り戻したジークは、『精霊眼』を襲う痛みよりもその視界に意識を集中する。左の蒼い瞳に映る景色に変わりはない。行軍は続いていて、襲い来る刃脚獣との応酬に一瞬足を止めただけのジークに気付く者もいない。
けれど右の『精霊眼』は、左目が映し出す世界と重なり合うように、命の光を映し出していた。一人一人にその人となりを表すような命の光が宿って見える。命のきらめきは人だけにあるものではなくて、その光をかき消さんと攻撃を続ける刃脚獣にも宿っているし、生命ですらないこの階層の霞かかる空気にも、地面にも薄く薄く存在していることがわかる。
この光は地脈から湧き上がり世界を満たしているのだろう。
少し離れた場所で一際強い光を放つのはマリエラが汲み上げた《命の雫》だ。
優しい光を放つ《命の雫》は、誰のものでもない純粋なエネルギーだから、その力を込めたポーションは、人が飲めば人を、魔物が飲めば魔物を癒す。
「わかったろう、ジーク。精霊は地脈から湧きだし世界に満ちる力を糧に存在している。人の、人を愛するものが統べる地脈では人の言葉を、魔物の領域では魔物の言葉を精霊が話すのは、その地域に溢れる力に地脈の管理者の力が及んでいるからだ。
地脈と契約した錬金術師は地脈の管理者をすっ飛ばしてラインから《命の雫》を汲みだせるから、《命の雫》は誰の力も及んでいない純粋な力なんだけどね。
肉の体を持たない精霊は不確かな存在で、地脈から直接力を得ることなんてできないんだ。世界に溢れて広がる力を糧に存在しているんだよ。
その意味じゃ、迷宮も似たようなもんでね。地脈の力を喰らって魔物を生み出している。迷宮都市にはほとんど精霊がいないだろう? 『木漏れ日』の聖樹の精霊イルミナリアだって、お前たちが与えた《命の雫》や魔力を貯めて、わずかな時間現れるのがやっとだった。
迷宮に喰われて精霊が食える力が少ないんだよ。
特に迷宮の中は酷い。迷宮の主の支配下だから、地脈から得られる力は全部魔物の為に使われてる。精霊は存在すらできないんだよ」
フレイジージャの説明を、ジークは視覚情報として理解した。そしてもう一つ。
「『精霊眼』の《精霊視》という能力は、精霊を見る力ではなく……」
「そう。それは今も辛うじてこの地脈を管理しているエンダルジアの瞳。地脈の力を精霊たちに分け与える慈悲の眼だ。弱い精霊が見えるようになったんじゃない。その瞳に照らされた精霊はエンダルジアから分け与えられた力によって、顕現できる力を得たんだ」
説明をするフレイジージャがにこりと笑う。
その金の瞳は爆ぜる火の粉のようにきらめいている。
彼女の周りに小さな炎の精霊が幾つも浮かんでいるのが見える。精霊というものは生死があるものではないのだろう。そこの地脈の、命の力があれば無からでも現れて、力を失えば消えてしまう。いや、マリエラが召喚するサラマンダーを見る限り、ここであってここではない世界に普段は住んでいるのかもしれない。
「さあ、ジーク。わが眷属にもっと力を。お前を助ける同胞にさらなる恵みを」
『精霊眼』がギリギリと痛む。フレイジージャがしていることは、手を添えて剣の振り方を教えるようなものなのだけれど、森の精霊であるエンダルジアの瞳と炎のようなフレイジージャの魔力はよほど相性が悪いのだろう。今まで経験したことのない、眼球からその奥に焼け串を通されるような痛みに、ジークは目を押さえてのたうち回りたいほどなのに、フレイジージャの手はジークの右の顔を離さず、ジークは目を閉じることさえできない。
フレイジージャの周囲には他の人間にはまだ見えないほどの微弱な炎の精霊が、周囲を埋め尽くすほど大量に顕現していて、ジークの目には炎の海にいるように見える。
同質の炎の精霊ばかりだからだろうか、精霊たちは融合したり別れたり、個という概念すらないかのように遷ろう炎さながらの様子を見せている。
これが、肉の体を持たないということだろうか。なんと自由な存在だろう。それに比べて肉の体を持つ我々の、なんと不自由で不完全なことだろうか。
痛みのあまり意識が霞みゆくジークをよそに、フレイジージャが謡うように詠唱をはじめる。
「炎よ、我が眷属よ、共に謳い、舞い踊れ。《炎舞招来》」
刃脚獣の胴体が地上10mの高みにあって幸いだった。そうでなければ、迷宮討伐軍すらも骨も残さず灰と化していただろうから。
フレイジージャの招いた炎は竜巻のように迷宮討伐軍を取り囲む刃脚獣を呑み込むように荒れ狂い、ほんのわずかな時間の間に周囲の刃脚獣を倒していった。
あまりの火力に周囲の迷宮討伐軍は攻撃の手を止め、皆の視線がフレイジージャに集まる。
「炎災の賢者殿! 今のは一体!?」
師匠係のミッチェル君が慌てて駆け付けて来る始末だ。肝心の師匠はというと、酒も飲んでいないのに頬を紅潮させ、目を輝かせて笑っている。その手はジークの顔を掴んだままだ。
「アッハァ……、すっごい火力」
師匠の目つきが少々危険だ。魔の森で地竜相手に行った《炎舞招来》を超える火力に少々トランス状態にある様だ。その目が、いや顔ごとぐるりと迷宮討伐軍の進行方向を向くと、ひどく嬉しそうに笑って言った。
「ふふふ、階層主、みっけ。あと一撃くらいはいけるよなぁ? ジーク?」
口角を上げ、実に楽しそうに笑う師匠。ジークの『精霊眼』から強引に引き出した力によって、数多の炎の精霊は力を得、フレイジージャは精霊魔法を放ちえたのだろう。
一撃では足りないと示した先には、たった今フレイジージャが焼き捨てた刃脚獣の倍ほどもある巨大な影が靄の向こうに浮かび上がっていた。
「階層主、『多脚の刃獣』を確認! 魔導士部隊は前に!」
先陣を切るレオンハルトの号令が、迷宮討伐軍の中ほどにいるフレイジージャたちにも聞こえてくる。
決戦が近いのだ。全力でもって階層主に立ち向かう戦いだ。今回は特級ポーションだけでなくマナポーションまであるのだ。万全の態勢で挑める環境にある。
だというのに、フレイジージャに頭を掴まれたジークが白目を剝いて気を失っているのは一体どうしたらよいのだろう。フレイジージャを遠巻きにする迷宮討伐軍の兵士やミッチェル君は、困惑げに顔を見合わせている。
「ハアァ……」
師匠が少し顎を上げ、息を吐きだす。
体が熱い、血が滾る。
言葉で語られるそんな現象が実際に体内で起こっているかのように、フレイジージャの吐き出す息は熱気を孕む蜃気楼のように揺らめいているし、炎を思わせる長い髪は風もないのに広がり揺らめいていて、今にも発火してしまいそうだ。
明らかに暴走状態だ。自制が全く利いていないことだけは、彼女を取り囲む周りの人間にも見て取れる。
『炎災の賢者』と二つ名が付いただけはある。フレイジージャは味方の筈だが、ジークを救出した方がいいのではなかろうか。先ほどの攻撃を再び放ってくれるとしても、こんな状態でちゃんと階層主へあててくれるだろうか。
フレイジージャのただならぬ様子に、ミッチェル君はじめ周囲の人間が階層主並の危機感を抱いたとき、天の助けのような恵みの雨がフレイジージャに降り注いだ。
「《ウオーター》!! 師匠ー! 何やってんですかーっ!」
バケツをひっくり返したような水をフレイジージャの頭上にぶちまけて、叱りつけたのはラプトルから飛び降りて駆け付けてきたマリエラだった。
「まっ、マリエラ!?」
マリエラに頭から水をぶっ掛けられて、ようやく正気に戻ったフレイジージャは、マリエラの顔をみた途端に青ざめる。
「マリエラ、めっちゃ怒ってる……」
ビビる師匠なんて、これほど珍しいものはないのだけれど、それも仕方ないだろう。マリエラはこの上なく怒っているのだから。いつもはぽへーっと下がった眉は、キュキューっと勇ましく吊り上がり、口はへの字に引き結ばれている。
「私、言いましたよね! 人にめいわくかけちゃダメだって! 悪ふざけとか絶対ダメだって!」
「ごごご、ゴメン、マリエラ。つい、うっかり……」
「ほんっとーに師匠は! いつまでたっても! って、あああ、ジーク! 白目剥いてるー!!!」
オカシイ。師匠はどっちだったろうか。
フレイジージャの手からジークを解放すると、慌ててポーチの上級ポーションをジークの口に突っ込むマリエラ。師匠に対する怒りが収まらないからか、なかなか手荒い治療法だ。年ごろの娘の介抱とは思えないが、ここは戦場で、しかも臨戦態勢だ。これくらいで丁度いいだろう。
「ゴッホ……、う……」
「ジーク、気が付いた!? 大丈夫、どこかおかしいところはない?」
「マ……リエラ?」
上級ポーションが効いたのか、単に液体にむせただけなのかは分からないが、目を覚ましたジークは『精霊眼』を確かめる。ひどく目を酷使した後のような鈍い痛みと疲労を感じはするものの、特に異常はないようだ。ちゃんと心配そうなマリエラの顔が見えるし、マリエラを追いかけてきたラプトルがマリエラと同じ方向、同じ角度で首をかしげているのも見える。
少々ひどい目に遭いはしたが、おかげで『精霊眼』の使い方が理解できたから、相応の授業料だったのだろう。
「あぁ、マリエラ、問題ない。戦える」
マリエラを心配させないように笑うジークを見て、
「ホラ、大丈夫だって。ちょっと教えただけだって。メイワクかけてないって」
と師匠が言い訳を始めた。
「師匠? そんな言い訳が通用すると思ってるんですかー! そんな元気があるんだったら、師匠もちょっとは魔物を倒してきてください! 皆さんに迷惑かけないように! そうしたら、ご飯抜きは勘弁してあげます!」
「さっきので精霊の力使い切っちゃって。ジークもう一回……」
「しーしょーうー!」
「わ、わかったよぅ……」
振り返った瞬間に再びキュキューっと眉毛を釣り上げて怒るマリエラに、叱られた子供のようにしょぼくれて先頭の対階層主戦の集団の方へと歩いていくフレイジージャとぷんすか怒るマリエラを交互に見ながら、ジークは「マリエラは強いな」と呟いた。
列強の迷宮討伐軍ですら声をかけるのをはばかられたフレイジージャに水を掛け、叱り飛ばしたからではない。
マリエラは肉の体を持つ人間の中でもとびきりの弱さを誇るのだ。錬金術の腕はぴか一だけれど“強い”と評せる要素など欠片も持ち合わせてはいない。長所と短所のなんと開きの大きい事だろう。彼女ほど肉の体の不完全さを体現した人物もいないだろう。
けれど、ジークにとっては掛け替えのない人だ。とても大切な人間だ。それはフレイジージャにとっても同じなのだろう。だからこそ、水を掛けるような暴挙が許され、あの暴走状態から正気に戻すことができるのだろう。
それはマリエラの魅力ゆえで、長所ゆえで、つまり強さではないのか。
ジークは先ほどの、嫉妬に駆られて刃脚獣に矢をいかけていた自分を思い出した。
フレイジージャが「お前のその悩みはさ、何かの能力で誰かに負けてるからじゃないんだよ」と言った意味を理解した。
(俺は、マリエラの一番になれないと、勝手に不安になっていたんだな)
確かにこれは「言っても仕方のない事」だ。違うと他人に擁護されてとしても、解決する内容ではない。自分で自分に負けていたのだから。
ジークはマリエラをラプトルの背に乗せなおすと、「マリエラの護衛をお願いします」と盾戦士に頭を下げた。
「任せときな。お前の姫さんはちゃんと守ってやるからな。お前の弓には期待してるぜ」
笑顔で返す盾戦士のなんと頼もしい事だろう。
「マリエラを襲う攻撃は、俺が全て打ち落とす」
「うん。でも、気を付けてね、ジーク」
何を不安に思うことがあろうか。こんな戦地の最中でもマリエラは自分の危機に駆け付けて、心配までしてくれたではないか。盾が使えずとも、魔法や剣で人に後れを取ろうとも、自分にはマリエラの為にやれることがある。
「ギャウ!」
「あはは、クーも守ってくれるの? じゃあ、頑張ってしがみついとくよ」
マリエラを乗せるラプトルは、マリエラが魔法陣を使って呼び出したサラマンダーにとてもよく似ている。おそらくこのラプトルのイメージがベースになっていたのだろう。赤竜相手に何度もジークを救ったサラマンダーと通じるものがあるのなら、これほど頼れる仲間もいまい。
自分にできることを全力で。
弓を握る手に力を籠めるジークの周りには、彼を助けようと集まる精霊たちの光が点滅して見えた。
そんな二人を遠巻きにしながら、兵士たちの囁き合う声が聞こえる。『炎災の賢者』の暴走を止めたマリエラに護衛する兵士の評価が改まったのだろうか、マリエラを賞賛している様子だ。
「すげえ、『炎災の賢者』の暴走を止めたぜ。見事な『火消し』ぶり」
「いや、『炎災使い』の方がぴったりじぇねぇ?」
「それだと炎を使うみたいだからな、『放水少女』とかどうよ」
「それは、漏らしたみたいでちょっとカワイソウだろ。『火消し』の方がましだろうが」
どうやらマリエラの二つ名について相談しているようだ。驚くほどにかっこ悪い単語が並んでいる。今の最有力候補は『火消しのマリエラ』らしい。錬金術にかすりもしていない。
(私、錬金術師なんですけど! しかも迷宮都市に師匠と二人しかいないんですけど! 特級ポーション作れる、ちょっとスゴイ錬金術師なのに、なんで錬金術関係ない名前!?)
師匠にはあんなに強くでれるのに、迷宮討伐軍の兵士たちには不満を口に出せずに心の中で叫ぶマリエラ。
(全部師匠のせいなんだからー!)
マナポーションを作るマリエラと、彼女を守るジークにラプトル。そして火消し的二つ名を議論する迷宮討伐軍の十数メートル前方で、迷宮第57階層の階層主の討伐が幕を開けようとしていた。
ざっくりまとめ:激おこマリエラの影で、ジークひっそりレベルアップ





