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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第五章 たどりつきし場所
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いつもの朝-遠景

 それは、いつもと何も変わらない迷宮都市の朝だった。


 静謐(せいひつ)な朝の空気に、パン屋から立ち昇るパンを焼く匂いが混じりだし、家々からは人が起き出す気配が溢れる。

 ヤグーや家畜を飼っている区画ではもっと早くから動物たちが起き出して、餌はまだかと鳴いているのだろう。

 人々が多く住む区画では、鳥がさざめく程度で朝は静かなものだけれど、それでも多くの人間が起きて活動しているだけで、街の息づくさまが感じられるものである。

 空気を入れ替えようと開けた窓からは、朝食か、それとも弁当を作っているのか肉を焼く香ばしい匂いやコーヒーの香り。

 少しずつ日が昇るにしたがって、街の朝は少しずつ騒がしさを増していく。


 少しでも多く稼ごうと意気込む冒険者たちは、一抱えもありそうな大きなパンを齧りながら迷宮へと急ぎ足で向かっていき、そんな冒険者たちを相手に煙玉や魔除けの香、携帯食を売る露天商がぽつぽつと開いている。中には低級ポーションを扱う店もあるから、迷宮討伐軍の警備兵がポーション販売を始めるより早い時間でも、低級ポーションを持って迷宮に潜ることができる。


 低級ポーションの小売りは初回の販売が完了してしばらくしてから開始された。低級ポーションを取り扱うのは、商人ギルドと契約し、ポーションの材料として一定量以上の薬草を納品している薬師たちだ。ポーションの卸値も売値も販売数量も、現段階では一律に定められてはいるから、薬師たちからすると定額の儲けにしかならないけれど、今まで利用していた薬屋で低級ポーションが買えるという状況は、街の人々にポーションがいつでも買えるという安心感をもたらしたし、薬屋からしてみても今までの客を失わずに済んだ上、ポーションのついでに煙玉や香を売ることもできた。


 ほとんどの露天商が開店した頃には、安定した稼ぎを出せる中堅以上の冒険者たちが迷宮に向かう。彼らのお目当ては迷宮の中で販売している中級ポーション。彼らの大半は治癒魔法の使い手を仲間に入れているけれど、中級ポーションがあれば今までよりずっと安定した狩りができる。


 しかし、今日はいつもよりほんの少しだけ、迷宮の入り口付近が騒々しかった。


「おい、ほんとうかよ。上級ポーションが手に入るって?」

「先着順で一人1本限りだそうだぜ」

「値段は?」

「大銀1だってよ。ちっ。手持ちがねぇ、急いで取りに帰らねぇと」


 表向きは『試験販売』の名目だ。けれど実際は。

 万一赤竜討伐に失敗したときの死傷者を最小限に抑えるために、考え出された措置だった。



 *****************************



「ジーク……、無事に帰ってきてね」

「もちろんだ。マリエラ、この眼帯を預かっていてくれ」


 マリエラはジークから眼帯を受け取ると、大事そうに鞄へとしまう。これはリンクスがジークに贈ったもので、リンクスから借りたまま返すことができなかった短剣と共に、ジークがとても大切にしているものだ。


 ここは迷宮第54階層。かつて『海に浮かぶ柱』が統べていた海の洞窟の階層だ。

 ジークが眼帯を取って精霊眼であたりを見回したというのに、ごくごく小さく弱い精霊の光がふわと稀に立ち上るだけで、『木漏れ日』で見たようにたくさんの精霊が現れたりはしなかった。


「精霊は地脈からあふれる力を糧にしている。迷宮はそれすら喰い荒らすから、精霊にとっちゃ居心地が悪いんだ。迷宮のあるこの街は、精霊の力が弱くて数も少ない」

 近くの光を指ですくい上げながら、誰とはなしに話す師匠。師匠は前に「迷宮の中では精霊の力が弱まるから使えない」と言っていたが、精霊眼に触れてなお弱々しい精霊たちの有様は、その説明を裏付けるものだった。


 もっとも、精霊魔法が使えなくとも『炎災の賢者』の二つ名が今なお聞こえる師匠フレイジージャが、迷宮の中で無力な女性になり果てたとは考え難い。というか、そんな師匠はイメージできない。

 レオンハルトらから協力を請われた時、「ウェイスハルトの方が役に立つ」と言っていたのだ。つまりそれは、精霊魔法抜きでもウェイスハルト程度の魔法は使えるということなのだろう。


 その師匠がマリエラを守り、マリエラ自身にどうしても必要だと望まれれば、レオンハルト、ウェイスハルトも迷宮第54階層へのマリエラの同行を認めないわけにはいかなかった。

 ここにいるのはマリエラたち3人の他は、レオンハルト、ウェイスハルトとミッチェルらマリエラが錬金術師だと知る数名の護衛だけで、赤竜討伐の他のメンバーは先に55階層で待機している。


 マリエラとてジークを見送るためにだけ、こんな迷宮深くまで来たわけではない。

 マリエラは『氷精の加護』と共に描き上げた一枚の魔法陣を取り出して、ジークの前に開いて見せる。


(どうか、ジークを守って)


 マリエラはその魔法陣にありったけの魔力を込める。

 これは、精霊を受肉させ、込めた魔力が尽きるまでこの世に顕現せしめる魔法陣。

 200年前マリエラが仮死の魔法陣を完成させた後に、師匠が《転写》したものだ。


 精霊という存在に仮初とはいえ肉体を与える魔法陣は、仮死の魔法陣ほどでないにせよかなり高度なものだ。けれど魔法陣そのものの難易度以上に難点があって、この魔法陣を起動させるには受肉に足りうる膨大な魔力を流し込まなければいけないし、上手く起動し精霊を召喚できたとしても、その時間は込めた魔力の続く限りだ。魔法陣を描く時と起動する時の二度にわたって、マリエラの魔力をつぎ込んだとしても1刻もつかどうかだろう。

 マリエラがこの階層まで来た理由はこの時間制限にあった。


 それにどんな精霊でも顕現できるわけではない。魔法陣を起動する者に縁のある精霊、普段から呼べば力を貸してくれるような相手でなければ応じてはくれない。


 マリエラには、いつでも気軽に助けてくれる、そんな精霊が一体だけいた。マリエラに、というよりはジークと一緒にいたから指輪までくれたのだろうけれど、だからこそジークを助けてくれるだろう。


「マリエラ、何をさせたいのか、どんな姿にしたいのか思い浮かべるんだ」

 師匠がマリエラを補助するように声を掛ける。


 ――ジークを助けてあげて欲しい。これから向かう場所には怖いドラゴンが飛んでいて、空からブレスを飛ばして来るから。だから危なくなったらジークを乗せて逃げてほしい。

 前に、恐ろしいデス・リザードに立ち向かって、(マリエラ)を乗せて逃げてくれた、あのラプトルのように。


 そのイメージが固まった時、魔法陣という扉を開くカギが、かちりとはまったような、そんな気がした。

 マリエラはありったけの魔力を惜しげもなく魔法陣に流し込み、そしていつものように精霊を招く。


 《来たれ、炎の精霊、サラマンダー》


 マリエラの中指にはめた指輪がきらめいて、魔法陣が燃え上がる。

 大きく、大きく、見上げるほどの火柱はとても強い光を放っていて、外周は黄色や赤のよく見る炎の色彩をしているのに中央はただ白くまばゆい光が凝集している。そこに恐ろしいほどのエネルギーが集まっているに違いない。一体どれほどの温度を有しているのだろうか。

 けれどその熱量は、身を焼くような激しさではなく、夜の森で魔物や獣から人々を守るような温かさに満ちている。

 吹き上がった火柱はその熱量を変えることなく、人が軽く見上げるほどまで縮まると、そこには千度を超える高温に熱した鋼のように白みがかった黄色に光る一頭のラプトルが立っていた。


 よく見ると色だけでなく目元や爪先、尻尾の先などの形や模様がラプトルと異なっていて、ラプトルに化けたサラマンダーのようにも見える。

 普通のラプトルよりも一回りほど大きいそれは、マリエラから見ると強そうだ。術が上手くいった喜びに、根こそぎ魔力をつぎ込んで、意識を保つのがやっとに近いマリエラは、なんとか笑顔をつくってジークとサラマンダーを見る。


「サラマンダーさん、来てくれてありがとう! ジークを守っ……」

「グギャー! ギャッギャッギャッ!」


 マリエラが言い終わるより早く、サラマンダーがジークにすり寄る。尻尾をぶんぶん犬か何かのように振り回して、それはもうご機嫌だ。尻尾が長いものだからその遠心力に引きずられて頭までくるくる回っている。


「どうどう、落ち着け、どうどうどう」

 ジークになだめられて、ようやく大人しくはなったものの、尻尾の先っぽはまだご機嫌に揺れていてジークに乗ってもらえるのが大層嬉しいといった様子だ。

 鞍を付けようと迷宮討伐軍の一人が近づくと、「ギャウッ」と歯をむいて威嚇していて、随分しつけがなっていない。

 ジークに叱られて多少大人しくなったものの、ジーク以外に触らせようとしないので、鞍はジークが着けていた。


「賢者殿、あれは一体?」

 サラマンダーの召喚を離れて見ていたウェイスハルトが師匠に尋ねる。


「あー、()()()()()()()精霊を一定時間だけ受肉させる魔法陣なんだけどね、あのサイズにするにはべらぼうな魔力を食うくせに所縁のある精霊しか呼べないし、呼んだ術者に威圧感とか支配力が無いと、あんな感じになるんだよ」

「なるほど……」


 炎の中から登場した騎獣に最初は目を輝かせたレオンハルト、ウェイスハルト兄弟だったが、サラマンダーの駄馬ならぬ駄獣ぶりに、その顔には見る間に落胆の色が浮かんでいった。もっともウェイスハルトは表情には出していないのだが、レオンハルトと並んでいると、兄弟そろって同じことを考えているんだろうな、と思われてウェイスハルトの無表情ぶりがかえって面白い。


 “あたしが魔法陣を描いた”という所以外、師匠の説明は本当だ。

 精霊は本来自由気ままなものだから、きちんと躾られた騎獣のように振舞うなんてことはできない。肉の体など得ようものなら、術者の強い支配をうけない限り、気分のままにはしゃいでしまう。

 世界の何もかもが物珍しく楽しいと、全力で遊ぶ子猫や子犬のようなものだ。それを訓練された成犬の状態で呼べるかどうかは、術者の資質に寄るわけだ。

 かつて盲目的にマリエラに従っていたジークにさえも、欠片の支配力も発揮できなかったマリエラに精霊の支配などできようはずがない。だからサラマンダーは本来あるがままの伸びやかな状態でこの世に顕現してしまったのだ。

 ジークは精霊眼を持っていて、無条件に精霊に愛されるから、こんな野生のままのサラマンダーでも問題はないのだろうが、普通の人間には制御できないお荷物だろう。


「賢者殿、私にその魔法陣は使えますか?」

 ウェイスハルトの質問に、師匠は「馴染みの精霊ができたら教えてやるよ」と答える。


 それは、魔法陣の作者を偽った理由と大本は同じ答えだ。魔法陣を、つまりは受肉した精霊を、道具のように使おうとする者に、精霊は力を貸したりしない。

 その答えの真意を理解したウェイスハルトは、再び「なるほど」と残念そうにうなずいた。




ざっくりまとめ:マリエラはサラマンダーを呼び出した!

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生き残り錬金術師短編小説「輪環の短編集」はこちら(なろう内、別ページに飛びます)
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