氷海にて
「だからさー、なーんでっ、また雪原にきてんだよーっ!!」
エドガンの叫びがだだっ広い氷の原に木霊する。
「フツーはさ、『エドガン、付き合って』って言ったら、アレじゃん? 秋の実りを二人であーんとかしあっちゃって、肌寒い夜は温め合ったりしちゃうんじゃん? なー、ジークぅぅぅ!」
「大丈夫だ、エドガン。たくさん釣れれば頼りになると思われるさ」
いつものごとく叫ぶエドガンと、根拠なく慰めるジーク。二度あることは三度あるというけれど、まさか本当に極寒の地を三度訪れることになろうとは。
事の起こりは単純で、ジークが迷宮に採取という名のお使いを頼まれたまさにその時、『木漏れ日』のドアをバァーンと開けてエドガンが飛び込んできたのだ。
「麗しのマイラヴ! 貴女の哀れな恋のしもべが今! 迷宮都市に戻って参りましたぁ!」
とかなんとか世迷いごとを叫びながら。
流石は恋の迷子だ。見事に迷走しているが、そんな滑りっぷりが師匠に通じるはずもない。
「おー、久しぶり! えーと、えーと、えーと、あ! エドガン! ちょうどいいや、ちょっと付き合え!」
いろいろ酷い。名前を呼ぶ前の不自然な間はなんだ。師匠の黄金の瞳がいつになく輝いていて、視線は目の前にいるエドガンの方を向いてはいるが、どこかエドガンを透かして見ているようにも見える。
「師匠、世界の記憶見てるんじゃ……」
「まさか……、たかが名前ごときで、そんな超絶スキルをつかうなんて……、さすがに……」
師匠を見ていたマリエラが呆れたようにつぶやき、ジークが否定しようとして否定しきれずに困っている。マリエラが「常識も人格も行動も突き抜けている」と評した師匠の性格をジークはすでに把握している。名前忘れちゃったとか、どうでもいい事にこそ全力で力を使いそうだから始末に負えない。
しかし、恐らく名前を忘れられた可哀そうなエドガンは、師匠の「付き合え」の一言を、調子よく脳内変換して舞い上がっていた。
「はいぃ! 貴女とならばどこまでも!」
「あ、一緒に行くのはジークだから。じゃー、頼んだ」
「なんてツレナイ! そんな貴女はまさにオレの運命の人!!」
帝都で覚えてきたそれっぽい言葉を師匠に捧げるエドガンなのだが。
「ねー、ジーク、ファム・ファタールってなーに?」
「ファム・ファタールとは運命の女という意味だが、破滅を呼ぶ魔性の女というニュアンスが強いな」
「そっかー。師匠はエドガンさんにツレないけど、エドガンさんは師匠に釣られてるから、だいたいあってるね」
「そうだな。じゃ、マリエラ行ってくる」
私うまいこと言っちゃったかも、とにまにましているマリエラに別れを告げて、ジークはエドガンに向き直る。
「さ、エドガン、行くぞ」
「って、どこへー?」
「釣りだ」
こうして、エドガンはジークのお使いに巻き込まれ、雪と氷の迷宮へやってきていた。
しかも、今回は黒鉄輸送隊の面々も強制参加させられている。もちろん新隊長エドガンの一声で、迷宮都市で過ごすはずの休日にだ。
横暴だ。黒鉄輸送隊はブラック職場に成り下がってしまったのか。
「エドガン、うるさい。獲物が逃げる」
「そうですぞ、釣りは静かにするものですぞ」
吹きすさぶ風より冷たいメンバーの対応も頷けようというものだ。
ここは、迷宮第33階層。『流氷の海』と呼ばれる場所だ。
以前、オーロラの氷果を採取するために訪れた32階層の1つ下の階層も極寒の地で、さらに海の階層でもあった。とはいえ、巨大な流氷が幾つも浮いているから足場には困らない。
流氷と言っても攻略済みの閉鎖空間に浮かぶ氷だ。海流など無いに等しいから水面の氷はどんどん発達してしまう。魔物と冒険者の戦いで流氷は幾度となく割れ、隆起し、そして再び凍りついたのだろう。人よりは大きいが山というには小さい氷塊が流氷から飛び出すように突き出して、浮かぶ流氷は平らな物ばかりではない。逆に一見平らで一枚の氷に見える今の足場も厚みは場所によってまちまちだ。
黒鉄輸送隊の面々はこの流氷の薄いところに穴をあけ、あるいは流氷の縁から釣竿を垂らして、思い思いに過ごしている。一見レジャーのように見えなくもない。時折、ダーツのような形状の魚、エペルフィッシュが弾丸のように飛び出して来ることさえも、この階層ではスポーツフィッシングの範疇だ。
「ほいですぞ」
飛び出してきたエペルフィッシュは、グランドルがことごとく手に持った鍋のふたで受け流し、ヌイが流氷の上でビチビチ跳ねるエペルフィッシュを手際よく捌いていく。水中から陸上の動物めがけて突き刺さり、肉を削り喰らおうという獰猛な魚であるが魔物ではない。だから魚肉はまるごと残る。
調理ナイフ程度の大きさのエペルフィッシュは皮が厚くて可食部が少ないが、少ない可食部は極めて美味な高級魚だ。脂の乗った白身であるが、生で食べると脂が多すぎて人によってはしつこく感じ、煮たり焼いたりすれば脂が流れ出てしまい、折角の旨味が逃げてしまう。お勧めの調理法はフリッター。素揚げの場合は油の温度と揚げる時間を加減して、魚肉の脂が流れ過ぎず残り過ぎない、丁度いい加減に仕上げるのが難しいが、衣をつけて揚げればヌイのような料理人見習いにも、上手に仕上げることができる。
美食家のグランドルと、食いしん坊のヌイがそんな魚を見逃すはずがなく、二人は先ほどからせっせとエペルフィッシュの捕獲にいそしんでいる。
もう一人の奴隷、ニコはというと、氷に穴をあけるために購入した回転切削魔道具が大層お気に召したようで、氷の薄そうなところを探してはせっせと穴を開けまくっている。筒状のノコギリと支えからなる魔道具で、穴を開けたい場所に支えを固定して始動させれば、筒状のノコ歯が高速回転しながら氷の中に沈んでいく。最下面まで届いたら瓶の栓を抜くように、氷がスコンと抜けるのだ。
のんびり釣り糸を垂らしているのは治癒魔法使いのフランツとメンテナンス担当のドニーノで、ユーリケが運んでくる温かいお茶をすすりながら釣りを楽しんでいる。
ちなみに今日の釣りの目的はエペルフィッシュではない。フィロロイルカスの幼生体という、透き通ったクラゲと魚のあいのこのような生き物だ。透き通った体で傘の裾が広がり、短い触手が揺れるところはクラゲのようであるのだが、傘の中ほどから上はくびれて盛り上がっていて、スカートを翻す妖精のように見えなくもない。ふわふわと漂う姿は美しいものだが、その生態は解明されていない。名前に幼生体とついているのは、この生き物を捕獲して飼育したところ、傘が細長く伸びていき魚か蛇のような形状になったため、成長過程の一段階だと分かったためだ。
ちなみに細長く成長した段階で、餌が変化するらしく、飼育していた幼生体は死んでしまったからこの先の形態は調査中とされている。フィロロイルカスの幼生体は口も消化器官も持っておらず、体表面から魔力を直接摂取する。だから、流氷に空けた穴から魔石を餌に釣り糸を垂らせば、包み込むように魔石にへばりついたフィロロイルカスを釣りあげることができるのだ。
もっともそんな悠長なことをしているのは、釣りというスタイルを楽しんでいるフランツとドニーノだけで、ジークは魔石に寄ってきたフィロロイルカスの幼生体を穴や流氷の縁からひも付きの矢で狙い撃ちしている。
水による光の屈折や水流、水の抵抗はあるけれどゆっくり波間を移動する生き物など、眼帯で精霊眼を隠していてもたやすく射貫くことができる。1射で数匹打ち抜いていて、かなりのオーバーキルではあるが、真面目にフィロロイルカスを捕まえているのはジーク一人だから釣りを楽しむ暇はない。
ちなみにエドガンは叫んでばかりで役に立たない。攻撃的なエペルフィッシュはエドガンの声に反応して、ドシュドシュと海面から飛び出して突き刺しにかかっているが、折角魔石に喰いついたフィロロイルカスの幼生体はびっくりして逃げてしまう。
完全に邪魔だ。いっそエペルフィッシュの尖った口先が刺さって、エドガンの口を縫い付けてくれれば静かになっていいのだが、伊達にAランク目前でないということか、エドガンをねらったエペルフィッシュは綺麗に三枚におろされて、氷の上に置かれた皿にひらひらと落ちている。
ちなみに今回は中級の魔物除けポーションを使っているから、この階層に出没する魔物たちは寄ってこない。完全に休日のレジャー状態だ。
「これくらいで足りるか」
エドガンが一匹も捕まえていないうちに、ジークが必要量のフィロロイルカスの幼生体を捕まえたようだ。この幼生体は、特級ポーション『氷精の加護』の材料の一つだ。『氷精の加護』は薄い氷の皮膜を生じて熱気を防ぐポーションで、第56階層の赤竜退治のために必要なポーションだ。
ジークとヴォイドの参戦で遠距離攻撃とブレスの防御が可能になって、赤竜退治の勝算が見えてきたものの、あの階層には階層主である歩く火山も控えている。前回はマリエラが特級ポーションを作れずにウェイスハルトの魔法で熱気を防いだが、一定時間確実に熱気を防いでくれる『氷精の加護』があるに越したことはない。
ジークは捕まえたフィロロイルカスの幼生体を砕いた氷と共に大きな瓶に詰め、布でぐるぐる巻きにしてから袋にしまう。結局ほとんどジークの一人作業だ。
いや、ニコが穴を開けまくってくれたおかげで、フィロロイルカスの幼生体に射かける場所が増えたし、氷を回収できた。グランドルたちがエペルフィッシュを処理してくれたから、フィロロイルカスの幼生体に集中できたし、「おつかれ?」と熱いお茶を差し入れてくれるユーリケもありがたい。だからこれは分業だ。チームワークなのだ。
さっきから、クソ寒い雪原で愛を叫んでいるエドガンを除いては。
「おーい、エドガン。こっちは終わったぞ。エペルフィッシュも大量だ。そろそろ帰ろう」
声を掛けるジークにエドガンが振り向く。寒さのせいか鼻が赤いが、それ以上に顔も赤い。
「ジークよぉぉ、なーんかしばらく見ないうちにマリエラちゃんと仲良くなってね? しかもあの二人と一つ屋根の下とかよー」
「ユーリケ、エドガンに酒飲ませたか?」
「そいつに飲ます酒も、茶もないし?」
エドガンは酒が弱いのだ。すぐに酔うし顔にも態度にも出てしまう。酔っぱらったエドガンを見てジークが尋ねると、ユーリケは撤収の準備をしながら面倒くさそうに答えた。
「こーれっはッ! 愛しのハニーのプレゼントなんでーっす! いいだろー、やんねーぞ!」
どうやらエドガンが抱えている小さな酒瓶は、師匠の飲みさしらしい。ここまでくると、うっとおしいを通り越して可哀そうに思えてくるから不思議だ。
何と声を掛けようか困惑げなジークと、気にせずさっさと撤収準備を始める黒鉄輸送隊の面々。
「そーだ! 百年氷! でっかい氷で俺の愛を表現するぜ!」
そう叫ぶや、少し離れたところにある丘くらいの小ぶりな氷山めがけて双剣を抜いて走り出すエドガン。でっかい氷で喜ぶ女性がどこにいるというのだろう。とりあえず素材だったら喜んでしまう、どこぞの錬金術師の弟子の方は、既にジークに売約済だ。
「だああああ!」
一点に衝撃を集中させ、そこを起点に氷塊を割ろうというのだろう。盛り上がった氷塊の中ほどに剣戟をたたき込み二本の剣が紙一重の距離に並んで突き刺さる。
ビシリ。
エドガンの攻撃によってひび割れたのは、攻撃をたたき込んだ氷塊ではなくて、その氷塊周囲の氷の足場、流氷だった。
「エドガン、逃げろ! そいつは……!!」
ジークの叫びは、バキバキと音を立てて割れて盛り上がる氷の破壊音にかき消される。
撤収を始めていた黒鉄輸送隊はすでに階層階段にほど近い安全な場所にいるから特に被害はないけれど、エドガンと黒鉄輸送隊のなかほどにいるジークが立っている流氷はシケの小舟のように揺れていて、立っているのがやっとの状態だ。
まして、エドガンなどは氷塊に突き刺した剣を掴んでいなければ、とっくに極寒の海へ投げ落とされて、凍てつく寒さに命を奪われてしまっていただろう。
「っ、はっ!」
エドガンは上下にうねるように動いて、氷の海に潜らんとする氷塊から双剣を抜き取ると、そのまま氷塊を蹴ってジークの方へと跳躍した。濡れて滑り、さらには揺れる流氷の足場の悪さをものともせず、ざざっとわずかに滑っただけで着地したエドガンは、両手の双剣を構えたまま氷塊が沈んだ海をにらみつける。
見よ、その海面から再びせりあがってくるものを。
はるか遠くから見れば、それは蛇のようだと思えただろう。けれどその太さは、大の男が数人がかりで囲んだとて囲いきれないほどに太く、海面からもたげた鎌首は見上げるほどに巨大であった。
何よりその頭部。
眼らしき器官も顎らしき盛り上がりもない、のっぺりとした先端は、ミミズの口先がつんと尖ったようである。
得体のしれないその頭部が、ぶちぶちと皮膚を裂くように、内側からめくれ上がるように開いて、目の前の獲物を飲み込もうと狙いを定めていた。
ざっくりまとめ:ツレナイ師匠に釣られたエドガン、一本釣り




