悪魔に魂をとられなかった男
「ふむ、この患者の脚は魔物に喰われて一度ちぎれたのですね。千切れた箇所はつぶれて飛散し、回収した段階でもとより短くなっていたと。それを上級の特化型で……」
ふむ、とロバートは興味深そうに迷宮討伐軍の治療部隊の診療記録を読んでいた。
ニーレンバーグらが上級特化型のポーションを複数使って治療した兵士の治療記録だ。あの時は負傷者が非常に多かったから、この兵士のちぎれた脚の治療は後回しにせざるを得なかった。腐らないように最低限繋いで、後日治療を行ったのだ。それでも兵士のちぎれた脚は、だいぶん傷んでしまっていたから、上級ポーションを掛けたり飲ませたりするだけではとても治せない状態だった。
そもそもポーションはランクによって、回復量が決まっている。欠損の場合は体積や重量と言い換えればいいだろうか。一般的に特級ポーションであれば欠損も治せるといわれてはいるが、腕を無くした兵士に、特級ポーションを飲ませたとして、新しい腕がにゅるんと生えてくるわけではない。ちぎれた腕を押し付けた状態で傷口に掛ければ多少の欠損組織を補ってくっつけることができる、というものだ。
傷口が剣でスパッと切られたように滑らかであれば、上級ポーションでもつなげることはできるだろうが、魔物に喰い千切られた傷口は、そう綺麗な物ではない。切断面の皮膚や筋組織はズタズタに裂け、牙で押しつぶされ、噛み砕かれているし、骨も筋も縦に裂けたり粉ごなに砕けたりで、元の形をしてなどいない。綺麗に二つに分かれたわけでなく、傷口付近は細かくちぎれていて、腕や足を回収しても欠片はすでに魔物の腹の中か迷宮の土と化してしまっているか。だからくっつけると言っても実際は、つぶれた組織を修復してつなぎ合わせることになるから、相当量の回復能力が必要になる。
では、腕を無くして数年たった者に特級ポーションを飲ますとどうなるのかというと、多少腕は生えてきはするが、傷口が盛り上がり1センチほど長くなったかというレベルでしかない。
これでは手足を失った者を回復させるために、何本特級ポーションが必要になるか分かったものではない。しかも、怪我をしてから時間が経つほど、回復量は低くなる。これは肉体が健常な状態を忘れてしまうからだと言われている。
では、特化型はどうかというと、上級ランクであっても筋組織特化型であれば、えぐれた筋肉を再生してくれるし、骨の特化型であれば複雑に折れた骨、部分的にかけた骨も修復してくれる。上級でもこの効果なのだから、特化型の特級ポーションを組み合わせて飲ませれば、腕や足の欠損も治すことは可能ではあるだろう。ただし、今度は材料が容易には手に入らない。
特化型の特級ポーションの1本金貨10枚という値段は、その材料を考えれば特段暴利というものでもないのだ。
錬金術師はこれらの特化型の特級ポーションもすぐに作れるようになるだろうが、迷宮都市には手や足を無くしたものが一体何人いるだろう。彼ら全員に行き渡るだけの特化型特級ポーションの材料を揃えるよりも、迷宮の主が地脈を支配し迷宮都市が滅びる方がよほど早いに違いない。
だから、炎災の賢者がニーレンバーグとロバートに命じた「スラムの連中全員治療」というのは、一見無茶な注文なのだ。
しかし。
「あえて、砕いて潰して特化型を使うことで、欠損を補うように回復させたわけですか。なるほど。特化型が組織を回復させるメカニズムが実に明確に示されている」
先ほどからロバートとニーレンバーグを中心に治療部隊は熱心に議論を行っていた。
「これが可能だというならば、体の健康な部分から必要なものを半分ほど取り出して、増やしてから戻してやればよいのでは?」
「だがどうやって増やす? 切り開いたまま置いておけば、じきに腐ってしまうだろう」
「……健康な部分を切るんですか?」
「……増やすって……」
いや熱心に議論をしているのは、ニーレンバーグとロバートだけで、他の治療部隊は完全に引いている。怪我をすれば治癒魔法で治すか、ポーションで治す。それが彼らの常識で、健康な体を切り開いてわざわざ傷を広げるなどと、狂気の沙汰にしか思えないのだ。
「形代を……、いえ、体を開いたままで長らえさせる薬液ならありますよ。あれを応用すれば、特級ポーションの回復効果と上級特化型の修復効果を使って組織を増やせるでしょう」
「なるほど、あれか。確かにあれならば……」
やばい二人が出会ってしまった。
嬉々として兵士の傷を開き、治療を行うニーレンバーグだけでも恐ろしかったのに、ロバートはそのニーレンバーグの方法を補い上乗せする案を出す。シナジー効果だ。ダークなコラボレーションに、迷宮都市の治療技術は龍と呼ばれる伝説の生き物が天に昇っていくかのごとく、スパイラルアップ間違いなしだ。
きっと効果も素晴らしいのだろうが、普通の治療技師たちには、とてもじゃないが付いて行けない。彼らのパラダイムがシフトする前に、パラダイム自体が崩壊してしまいそうだ。
うっすらと笑いながら議論を深めるニーレンバーグとロバートを、他の治療技師たちは愕然としながら見守っていた。
「悪魔の所業だ。できるわけがない……」
小さく漏れ聞こえてくる悪態を、ロバートはナンセンスだと聞き流す。
(悪魔というのは、こんなものではないですよ。もっともあの方は悪魔より余程タチの悪いものでしたが)
できない理由を探す無意味さを、ロバートは炎災の賢者にこき使われていた短い期間でいやというほど思い知らされていた。
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初めて見たときは、己の眼を疑ったものだ。
「だから、ノズルでだいたい細かくして、後は水の粒に弾けてもらうんですよ。あ、ついでに凍ってもらえばもっと楽かも。冷やして凍らせるんじゃなくて、冷えて凍ってもらう感じで」
「うおー、新テク発見ー」などと言いながら、何の道具も使わずにルナマギアの抽出を行う少女は、ロバートの妹キャロラインが仲良くしているという薬屋の娘だった。ちなみにこの娘が何を言っているのか、ロバートには言葉は理解できるのに意味は全く理解できない。
『木漏れ日』はシロだな、などと言ったのはどこの誰だったのだろうかと、ロバートは眩暈を覚えたが、もし疑問をいだいてマリエラの姿を確認しても、その時点でシロだと判断しただろう。
何しろマリエラという少女は、凡庸が服を着て歩いているような、ごくごく普通の娘だったのだから。
ちなみにキャロラインにそれとなく確認したところ、ロバートが捕縛された時、エスターリアの眠る地下室にマリエラもいたのだという。
あの時確かロバートは「どこだ! どこにいる!?」だとか、「錬金術師をこちらへよこすんだ!」などと声の限りに叫んだのだが、まさにあの場にいたのだそうだ。
(全く気づきませんでした……)
なんたる恥辱。思い出すだけで居た堪れない気持ちに苛まれる。もう一度、幽閉されていたあの部屋に戻してはくれないものか。
(ですが、私は炎の悪魔に魂を売った身。永劫の苦しみに身を焼く定め……)
であれば、多少はましだったのだろう。けれど実際は。
「ロブ、氷無くなった。ボーっとしてないでちゃっちゃと作る! お前、借金した分、ちゃんと働けー」
炎の悪魔だと思った女性は、炎災の賢者と名乗る錬金術師の師匠らしい。
左手の手の甲に焼き付けられた《刻印炎授》という奇跡のおかげで、ロバートはキャロラインを誰に悟られることなく連れ出し、結果として命を救うことができたのだけれど、その奇跡の代償に、命も魂も取られなかった。
というか、この刻印は先祖がオゴったお返しで、これほど希少なものだというのに何と無償なのだそうだ。
命を失うものだと思っていたし、あの時は余裕などなかったから、書き写したり、記録に残したりしなかったのだけれど、刻印が消えてもロバートは死ぬこともなく、間抜けなポーズの氷の像状態で妹キャロラインがプロポーズされるという赤っ恥をさらしたまま、今も元気に生きている。
(せめて、刻印を記録しておくのだった……)
それなりに複雑な刻印だったから、写しではオリジナルほどの効果は見込めないだろうけれど、時折恥ずかしい記憶がフラッシュバックしたときに、人目を忍ぶことくらいはできたに違いない。
「ローブー、氷まだー?」
チンチンと炎災の賢者がグラスの縁をマドラーで叩いて氷を催促している。
黙っていれば人目を惹く見目麗しい女性だというのに、昼間っから飲んだくれているし、グラスを叩いて音を出すなど、なんて下品なのだろう。
こんな人物に『刻印の代償』としてこき使われるのであればまだ納得がいくというのに、理由は『銀貨5枚の借金と利子』だ。そんなはした金、家令に申し付けて返すというのに、それは妹キャロラインの金だから働いて返せと言って聞かないのだ。
(悪魔でもなく、刻印の対価でもなく借金のカタに働かされるとは……。鬱だ。消えたい)
そんなことを考えながら、アイスペールに氷魔法で氷を入れる。憂鬱な気持ちで入れていたせいか、身に染み込んだ呪いの残渣がぼろぼろと溢れ出て氷と一緒にアイスペールに入る。
「あーっ、おま、ソコにいれる!? ファイヤー!」
(うぅ、今日も燃やされてしまった……)
デコピン攻撃も嫌だが、ファイヤーも嫌だ。
何年も染みついた汚れを無理やり綺麗にされるような、人前で裸にひん剥かれて体中洗われるような、なんとも落ち着かない気持ちにされる。
「ロバートさん、グッジョブです! さ、師匠。今日の分は終わりましたから、帰りますよ」
ロバートがもたもたしているうちに、マリエラは上級ポーションを作り終えたらしい。今日はいつもより師匠の飲酒量が少ないと、にこにこしながらサムズアップをかましている。
「えー、マリエラまだ魔力残ってるじゃーん」
「魔力はありますが、材料がないですー。さ、帰って特級の練習ですよ!」
勝ち誇った顔のマリエラと、酒瓶にしがみつく炎災の賢者。周りの兵士は、「今日はお昼寝はいいんですか?」などとにこやかに話しかけながら、完成した上級ポーションを大型のポーション瓶に取り分けて運び出している。
その上級ポーションの量たるや。
(どうして誰も驚かんのだ……!!)
この仮設の工房で、錬金術師が行っていることは、何もかもが規格外だ。
道具を使わず上級ポーションをつくることも、その桁違いの魔力量も、今日は倒れなかったけれど、毎日のように魔力を使い切り倒れているということだってそうだろう。
幼い子供は全力で遊んで体力が尽きると、食事中だろうがいきなり眠ってしまうもので、そのことに疑問も苦痛も感じはしないが、このマリエラという少女はまるで幼い子供のように限界を超えて錬金術を使い続ける。
ポーションの市販が始まるとキャロラインの手紙で知った時には、錬金術師は複数いるのだと考えていた。事実、錬金術師は師匠と弟子の二人いたけれど、実際にポーションをつくっているのは弟子だけで、師匠は弟子を揶揄い煽っているだけだ。
特級ポーションの修行にしたって無茶だった。
散々、凡庸だなどとマリエラを評したロバートだったが、マリエラの錬成を一度見てしまえば、その評価は180度覆った。これほどの魔力量と技術を誇るのだ。帝都から特級ポーションの製造に使う魔道具を取り寄せればすぐにでも特級ポーションがつくれるようになるだろう。いや、帝都の最新式の物でなくとも、アグウィナス家の倉庫に眠る古い魔道具を使っても、製造できるに違いない。
けれどそれをマリエラに伝えようとすれば、すぐさま炎災の賢者のデコピン攻撃が飛んできて、ロバートの口は封じられてしまう。マリエラの居ないところで炎災の賢者に問うてみても、意味ありげに笑ってはぐらかすばかりだ。
たった一つ得られた意味のありそうな答えといえば。
「人間ってのはとても自由で、同時にとても不自由だ。どこにだって行けるし、何にだってなれるのに、居場所も自分の限界も、全部自分で決めちまう。だからね、ロブ。
難しいとか、できないとか、自分はこれくらいなんだとか、そんな自分の限界を自分で定めちゃいけないよ。
覚えておきな、ロブ。できると思ってやってみりゃ、意外と何とかなるもんさ」
ロバートは、その言葉で炎災の賢者の言動に、少しだけ納得がいった。
彼女がマリエラに何をさせたいのかは、考えも及ばないけれど、そうでもしなければとても辿り着けないところに、炎災の賢者の目的があるのだろう。
僅か数日ばかりの時間で、何の道具も使わずに地脈の欠片を処理してみせた錬金術師を見てロバートは思う。
(この炎災の賢者は、悪魔などよりタチが悪い……)
地脈の欠片をスキルだけで《命の雫》に溶かすなど、ロバートの常識からしてみれば、もはや人間技ではないのだ。ついでやってみせた《薬晶化》など、古い文献に見るばかり。おとぎ話のように信ぴょう性のない作り話だと思っていたのだ。
本人は「できちゃった! きれいー」と得意げで、女児がビーズか何かを集めるように運び込まれた材料を片っ端から《薬晶化》しては瓶にいれ、棚に並べてにまにましているが、できちゃったどころの騒ぎではないのだ。
ロバートのマリエラへの評価はさらに180度回転し、最初と合わせて360度、一周廻ってありふれたものに戻ってしまった。
いろいろと、真面目に考えるのがばからしい。
できない理由を探す無意味さを身を持って知ったロバートは、今ある技術とポーションで迷宮都市中の怪我人を治せる方法を模索する。
勿論、呪いや禁忌に触れる邪悪な方法は使わない。もしそんな物を使ったら、すぐさま炎の災いが二本足でやってきて、ファイヤーからのデコピン連打を加えるに違いないから。
「迷宮討伐軍にいけば、無くした手足すら治してくれるらしい。ただし、その分働かないといけないらしいが」
そんな噂が迷宮都市じゅうに流れるのに、さして時間はかからなかった。
諦めきっていた怪我を治してもらい、再び迷宮に潜る者が出始めると、我もと追随する者が増える。
「いつかスラムから出たい」
ずっと昔に諦めて、忘れるしかなかった気持ちを、無くした手足と共に取り戻した住人は、その手に再び剣をとり、迷宮へと向かっていった。
ざっくりまとめ:ロバート「マリエラ、すげぇ!」




