顛末
事の顛末は分かってしまえば酷く単純なものだった。
無謀な政策の末、経済難に陥ったベラート伯爵家を建て直すため、執事はロック・ウィール自治区から運ばれてくる武器を買い取り、紛争地帯である小規模国家群へ密輸していたのだ。ベラート伯爵家の領地はロック・ウィール自治区から帝都への街道にあるだけでなく、小規模国家群への分岐点でもあったから、物理的には可能であった。ただし小規模国家群は帝国と敵対する地帯。シューゼンワルド辺境伯家が魔の森から帝国を護る壁であると同じように、小規模国家群と帝国の間にも別の辺境伯家が存在している。ベラート伯爵家が小規模国家群に流したドワーフ製の武器によって、辺境伯家は損害を被っただろうし、ベラート伯爵家が行ったことは帝国への反逆行為に他ならない。
ベラート伯爵家としてもそれは分かっていることだから、なるべく早く領政を立て直して密輸をやめるつもりではあったのだろう。
けれど、ベラート伯爵領が持ち直すより早く、迷宮都市でポーションの市販が始まってしまった。
ヤグー隊商は激減し、隊商がもたらす利益は失われてしまう。ロック・ウィール自治区も輸送コストの安い迷宮都市経由で武器の輸送を行うだろうし、そんな中で密輸の為の武器の買い付けを隠れて行うことは難しいだろう。
だから小規模国家群の間諜を雇い入れ、ポーションの市販を阻止しようと図ったのだ。小規模国家群の間諜は腕は立つが、万一の場合に首謀者が割り出されやすい。商人の襲撃は偶然であったのだが、帝都の盗賊を雇ったのはカモフラージュもあったわけだ。
小規模国家群の高価な間諜を雇ったのだ。ベラート伯爵家の執事が迷宮都市にいようといまいと、作戦の成否は変わらなかっただろう。
けれど執事は迷宮都市へやってきた。
「あわよくば、マルローになり替わりたかった」
厳しい尋問の末に、執事はそう語った。マルローが迷宮討伐軍を続けられないほどの大怪我を負ったならば、ベラート伯爵家に連れ戻すことができるのだ。もちろん連れ戻した後でマルローとして生きるのは、染めた髪をもとの金髪に戻した執事。愛情深い妻を演じるために、ベラート伯爵夫人はマルローに手紙さえ送ったのだ。検閲の為に複数の人目に触れることすら期待して。
軍を続けられないほどの怪我なのだ。顔や声、記憶に異常があったとして誰もいぶかしがりはすまい。
アグウィナス家襲撃事件から数週間後、ベラート伯爵家に2組の来客があった。
1組目は“重傷を負った”というマルローを運んできた迷宮討伐軍の兵士たち。まばらに残った頭髪と緑の瞳である以外、判別がつかないほどに損傷し、醜く崩れたマルローは、何度も損傷と治癒魔法やポーションによる回復を繰り返した為に、これ以上は迷宮都市で治せる見込みは無いという。
一人では歩くどころか話すことも食事さえ満足に摂れない体のマルローを見て、ベラート女伯爵はこれは自分の夫ではないと言い張った。けれど、同行した兵士は懐から一本のポーションを取り出すと、マルローとベラート伯爵家の子息に使い二人に血縁関係があることを証明してみせた。それは今までこの地脈では存在しなかった、不実を暴く血縁のポーション。
「父上? 本当に父上なのですか?」
長く家を離れていたとはいえ、幼い子息にとっては父親という物は慕わしい存在なのだろう。涙ながらに変わり果てた父を労わる幼い息子と、すべてを悟ったベラート伯爵夫人を残して、「特級ポーションを数本使えば、多少の回復は見込めるかもしれません」と言い残し、迷宮討伐軍の兵士は去っていった。
そして2組目の来訪者は。
「ベラート女伯、小規模国家群への武器密輸に関してお話を伺いたい」
帝国からやってきた、審問団だった。
「ベラート伯爵家は取り潰されたが、死刑は免れたそうだ。マルローが密輸にかかわっていなかったことは明らかだったからな。実家ともどもおとがめは無し。今はマルローに支払われる年金で親子3人細々と暮らしているらしい」
「へぇ、そうですか」
全く興味なさそうな金髪碧眼の男にディックは話しかける。
「帝国への反逆罪にも関わらず、不随になった夫への愛情深さに心打たれた皇帝が温情を下されたと、巷では評判だぞ、マルロー」
「温情ねぇ……」
“息子に父と呼ばれたい”
執事の願いは確かにかなった。
けれど、醜い姿となり果てた満足に体の動かぬ男を抱えた貧しい暮らしは、贅沢になれた母子にとって幸福だろうか。そんな妻子と暮らすあの男はどんな思いでいることだろう。
マルローに与えられる年金は年金貨3枚。ドレスを新調するどころか食べるだけで精いっぱいの金額だ。そして、迷宮討伐軍の兵士が言い残した、「特級ポーションを数本使えば多少の回復が見込める」という言葉。
可能性がないならばあきらめもついただろうに。けれど働くことなど知らず、わずかな年金を食いつぶすだけの妻子がマルローの為に特級ポーションを用意する日はくるのだろうか。
妻子がマルローをどれだけ厭い邪険にしても、年金はマルローに支払われるのだ。妻子はマルローを手放すことはないだろう。
「私には質の悪い懲罰にしか思えませんが」
そう言って、ただの平民となったマルローは、ディックと別れ家へと向かった。
ウェイスハルトの諜報部隊として働くのならば、存在を抹消することはいずれ必要となったことだから、マルローという存在をくれてやったことに未練などない。執事からはたっぷりと情報を引き出して帝都へ提出してあるから、その功あってマルローの実家には何の咎めもない。マルローにとっては悪くない幕引きだ。
皇帝がベラート伯爵家に下した裁定は、彼らの犯してきた罪を思えば甘い処罰とさえ言える。
けれど。
「おかえりなさい、あなた」、「おかりなさい、お父さま」
夕暮れの迷宮都市に温かな灯りがもれる。暖かな食事と、妻と娘が待つ家だ。夫の稼ぎは良く妻子の身なりは華美ではないが整っていて、手の込んだ料理と掃除の行き届いた快適な家だ。そんな家に優しく立派な仕事をしている尊敬できる夫、父としてマルローは迎え入れられる。
それはマルローが築き上げてきたもので、当然享受しうるものである。
(けれど、もし――)
ふと浮かんだ考えを、マルローは封じ込める。これ以上は、貧しい中一人で娘を産み育てた妻への侮辱に当たるだろう。
「ただいま」
マルローはそう言って、家の扉を静かに閉めた。
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「気がついちゃった」
雨の降りしきる裏庭でキャロラインの行方を捜した後、マリエラは師匠にそう呟いていた。
ジークが迷宮討伐軍にキャロラインの居場所を伝えに行っていて、今はマリエラと師匠二人きりだ。
「何に気づいたんだ?」
師匠がいつもより穏やかな口調で聞いてくる。
「うん。いろんなこと。でも一番はさ、《命の雫》かな」
そういうとマリエラは師匠と共に『木漏れ日』2階にある自分の工房へと上がっていった。
取り出したのは乾燥させたルナマギア。後はキュルリケにマンドラゴラに鬼棗、いつもの見慣れた材料だ。
《錬成空間、ウォーター、命の雫》
声も出さずにマリエラは《錬成空間》を展開し、魔法で生成した水に《命の雫》を溶かし込む。同時に別の《錬成空間》を展開し、水の入った《錬成空間》と細い管で結合する。
「ノズルはさ、簡単なのでいいんだよ」
上級ポーションをつくるために、いくつもノズルを取り寄せた。
水だけを噴出するタイプで一番簡単なものは管の先端に小さな穴が開いたもので、穴の形に特徴がある。少し複雑になると、水の経路がジグザグしていて吹き出し口の直前に水だまりが作ってあったり、水の経路が複数あって、流速の異なる水が水だまりで渦を作ったりもする。水と空気を一緒に飛ばすタイプもいろいろあって、真ん中に水の管が、周囲に空気の管が通っていた。
なんとなく真似をして《錬成空間》でノズルを作って再現してみたけれど、分かったのは水同士があるいは水が空気にかき回されて、ノズルの出口付近で散り散りになっているようだということだった。だから、水や空気の流れを変えて、ノズル出口を乱してやれば、噴霧の粒はもっと小さくなるのだろう。
けれど、それはあまりにも制御の数が多すぎた。
その日マリエラが《錬成空間》で作ったのは、水と空気を適当に送るだけの単純で使い慣れたノズルだった。水を自由落下させながら、空気で適当に吹き飛ばす。これならば吹き飛ばされた水滴を凍らせながらルナマギアの粉末とかきまぜるくらい簡単だ。けれど、水滴が大きすぎて、このままでは薄い抽出液になってしまう。
「別に、外側からだけ働きかける必要、なかったんだよね」
そう呟いたマリエラは、水に溶かした《命の雫》に魔力を込める。《命の雫》は魔力を使って汲み上げるのだ。汲み上げた後だって働きかけられないはずはない。どうしてこんなことに気が付かなかったのか。
ぱん、とノズルから噴出された水滴がはじけ飛び、霧より細かく分散する。とても小さい粒だから、はじけ飛んでも聞こえるほどの音量ではない。けれどマリエラの意識は水滴一つ一つの近くにあって、はじける小さな水音が、まるで鈴の音のように賑やかに聞こえた。
ぱん、ぱん、ぱん。しゃん、しゃん、しゃしゃん。
マリエラの作成した《錬成空間》の容器の中は、あっという間に霧が立ち込めたようになって、それが冷やされかき回されて、粘度の高い液体の中を細かい粉が動いているような、霧が意思を持って集まり動いているような、そんな様子に見える。そして真っ白だったその霧はルナマギアの微粉と触れてほんのり黄色に色づくと霧雨のように容器の底へと集まっていった。
「……できた。こんな、簡単なことだったんだ」
今までは思いつかなかった、できもしなかったことなのに、何故できなかったのか不思議なほどに、マリエラはルナマギアの抽出を終えていた。
「マリエラ。最後まで終わらせてしまいな」
「はい。師匠」
上級ポーションの難関は、ルナマギアの抽出。これさえできればあとは簡単。複数の処理を同時に行い、マリエラは、錬金術スキルのみで上級ポーションを完成させた。
ライブラリが開かれる。
それは、ずっと閉ざされていたドアが、気がついたら開いていたような感覚だ。
白黒だった景色に新たな色が加わったようだという人もいる。青のない世界では青字で書かれた文字は読めないのだろうから。
新たに開示された知識をたどり、マリエラはたった一つ、求めるポーションを探そうとする。
「焦るな、マリエラ。まずは基本から。普通の特級ポーションからだ」
眼球特化型を探すマリエラに師匠が釘をさす。
「……はい」
特級ポーションの作り方はわかる。たった今わかるようになった。けれど眼球特化型の特級ポーションの作り方は、おぼろげには分かるのに、はっきり読もうとしてみると途端にぼやけてあいまいになる。師匠の言う通り、基本の特級ポーションをつくれるようになるのが先決なのだろう。
「あ、師匠、材料」
「あぁ、明日にでも迷宮討伐軍に用意させよう。何せ使うやつがいなかったんだ。100年分くらいはたっぷりため込まれているだろうよ。マリエラ、今日はとても頑張ったな。他にも気づいたことがあるんだろ? それはとても大切なことだ。特級ポーションは明日からでいいじゃないか。どうせすぐに作れるようにはならないさ。だから今日くらい、ゆっくりしたらいいんだよ」
いつになく優しい師匠の様子に、マリエラはやっぱり師匠はすごい人だなと思う。
マリエラがやっと気づいた心の中まで、師匠は見透かしていたのだから。
ざっくりあらすじ:特級ポーション、解禁





