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射貫くもの

 雨の中を騎兵の一団が駆け抜けていた。


 鬼気迫るその勢いに、叩き付けるように降りしきる雨は除け、風も騎兵の進行を阻むことはできない。天候までをも味方につけたかのような一団ではあったが、風雨が彼らを避けているのは先頭を行くウェイスハルトが風の魔法で大気を切り裂いているからだ。

 雨などに、風などに、これ以上邪魔などさせるものかと。



「ウェイス、第3隊を連れていけ」

 ジークがもたらした情報を聞いたレオンハルトは、ウェイスハルトにディックの隊を率いてキャロラインの救出に向かうように命じた。


「必ず助けよと主に命じられました。どうぞ私もお連れ下さい」

 そう言って同行を申し出たジークも一団の最後尾に加わっている。


 錬金術師(マリエラ)が告げたキャロラインの居場所は迷宮都市の東の森。近くに朽ちた炭焼き窯が見えたらしい。朽ちた炭焼き場自体は東の森に幾つもあるものだけれど、山裾の斜面に沿って建てられているということから、およその目星を付けることができた。

 迷宮都市からさほど遠い場所ではない。森の入り口で騎獣から降りて徒歩で進んだとしても、浅い森だ。一刻もたたずに辿り着ける。


 しかし、運命はどこまでウェイスハルトの行く手を阻むのか。彼らが炭焼き場に辿り着いたとき、キャロラインは移動してしまった後で、ぬかるんだ地面に残されたまだ新しい足跡は、途中まではけもの道にそって続いていたものの、途中から森の中へと消えていた。


「別れて捜索する! 遠くには行っていないはずだ! 追われているぞ! 急げ!」

 ウェイスハルトの指示に、3人ずつのチームに分かれて迷宮討伐軍の兵たちは森へと分け入っていった。



 *****************************



「ミツケタ」


 そんな声をキャロラインが聞いたのは、ウェイスハルトが炭焼き場へたどり着いた頃だった。他国の訛りのあるその声に、最初に反応したのはロバートで、目くらましの呪いを周囲にばらまくや、キャロラインの手を掴んで森の中へと走りだした。

 激しい雨が降り続いていたなら、逃げる二人をわずかながらも包み隠してくれただろうに、いつの間にか雨は止んでいて、けれど変わらずぬかるんだ足元が、キャロラインの歩みをさらに困難なものにしていた。ドレスはすっかり水を吸って重く、草木が引っかかってはその場に捕らえおくように、キャロラインとロバートの邪魔をする。


「ムダダ、呪術師」

 ゆっくりと、力の差を見せつけるように、呪いを蹴散らしキャロラインたちのもとへ歩みを進める黒衣の男。迎賓館で薬を盛った者だろう。間諜を生業にしているのだと言わんばかりに顔を隠し、身軽な黒づくめの衣装の男は、木々に紛れてしまうことだって容易にできるだろうに、あえて姿をさらしながら二人との距離を縮める。


「くっ」

 ロバートは少しでも間諜の足止めをしようと呪いを練り、同時に左手の刻印に魔力を送って気配を消そうと躍起になる。キャロラインが意識を失っていたならば、わずかな隙をついて身を隠すこともできただろう。一度はこの間諜の眼をすり抜けてキャロラインを迎賓館から連れ出せたのだから。けれど、キャロラインの意識があれば、いかに高度な刻印であっても、薄く気配が滲み出てしまう。


「見事ナ身隠シ。ソノ情報、価値アル。アグウィナスノ後継ヨ」

 ロバートの刻印を見抜いたのか、それともスキルか魔法だと思ったのか。間諜はロバートを獲物と見定めたようだ。


「事情カワッタ。二人、連レテイケヌ。ダカラ」

「逃げろ! キャル!」


 事情を察したロバートがキャロラインを森の奥へと押しやって、自らは立ちふさがるように間諜の前へ躍り出る。


「無駄ダト言ッタ」

「お兄様!」

 とびかかるロバートをするりと躱した間諜は、わずか数歩でキャロラインに近づくと、いつのまに抜いたのか、白刃をキャロラインめがけてふりかざした。


「キャルッ!」

 ロバートが妹の名を呼ぶ。キャロラインに向かって手を伸ばす。錬金術師たちから託された夢も、恋焦がれたエスターリアの命さえも掴めなかったその手を伸ばす。罪に染まったこの手はもはや、妹さえも助けることがかなわないのか。


 これは、呪いに手を染めた報いだろうか。

 伸ばした左手には、炎の刻印。

 ロバートの脳裏に刻印を与えた炎の化身の姿がよぎる。あれは、きっと、この世ならぬものに違いない。これ以上の奇跡を望めば、平穏な生どころか穏やかなる死も差し出さねばなるまい。


(構うものか)

 何も掴めず、己の無力をただ嘆くだけならば、生も死すらも意味はない。

 この命も魂も、残らず全てくれてやる。だから、どうか、どうか、妹だけは。


 邪法に手を染め、家督を外され、閉じ込められたあの場所で、止まってしまった時間の中で、それでもキャロラインの手紙だけは、自分の時間を動かしてくれていたのだから。

 こうして会えた後でも、「兄さま」と変わらず接してくれたのだから。


 ひゅっ。


 その時、1本の矢が、放たれた。



 *****************************



 ジークムントがキャロラインたちを見つけられたのは、半分は偶然なのだろう。酒が切れたとかつまみが欲しいとか、トイレの紙がなくなったとか、ひどくどうでもいい雑用がある度に、呼び鈴代わりにジークに向けて放たれる指向性のあるフレイジージャの魔力を感じ取った気がしたのだ。

 ちなみにマリエラは魔力に鈍感で、フレイジージャがいくら魔力を放っても全く気づきはしないから、マリエラを呼ぶときは声、声が届く範囲にマリエラがいないときはジークと使い分けがなされている。

 これとて、容易な魔力操作ではない。まったくもって無駄なことに高度な技術を多用する賢者様である。そのハイスペックさを発揮してトイレの紙を確認してから入ることを是非とも覚えてほしいものである。


 残り半分は日々師匠の命令で魔の森に放り込まれていたからで、自分でも気づかぬうちに、ジークは狩人としての自分を取り戻していた。だから魔力を感じた方向に意識を向けるなり、随分距離があったというのに、キャロラインたちを見つけることができたのだ。


 キャロラインに迫る間諜を見たとき、ジークは迷わず弓をつがえた。


 再び弓を手にして以来、弓をつがえる度、精霊眼があった頃の『射』が脳裏によぎった。あの頃は、どこを狙えばいいか、どうつがえればいいか、見えぬ手に導かれるがごとく、いつも最高の一射が撃てた。

「あの頃のように、的に当てたい」

「あの頃のように、あの頃より上手く」

 そんな風に考える度、正しい構えが、正しい動作が分からなくなる。何がいけないのかどんどんわからなくなっていく。


 師匠に命じられて森に入ってからは、当たる当たらない、上手い下手など考えている余裕はなかった。石を投げ、素手で殴り倒してでも肉を確保し、マリエラのもとへ帰りたかった。何も思わず考えず草陰に潜み、木の陰に隠れては獲物に弓を放っていたのが良かったのかもしれない。

 精霊眼があった頃、何度も繰り返した正しい動作を、正しい姿勢を、体が思い出していた。


 精霊眼は強力だ。獲物の弱点を指し示し、正しい所作を体に教え、放った弓の軌道も威力も正し、強化してくれる。己の中の弱さも迷いもすべてフォローしてしまう。

 けれど、精霊眼などなくたって。

 何度も迷い、間違って、弱さをさらしてきたけれど、すべてジークは乗り越えてきたのだ。


(マリエラの大切なものを、これ以上奪わせはしない!)


 ジークムントは弓をつがえる。正しい姿勢が、正しい所作が、彼の『射』を的へと導く。


 正射必中。

 ジークムントの放った弓は、魔法も届かぬ長距離をものともせずに間諜の腕を貫いた。



 *****************************



「ガァアッ、何所カラ!?」


 感知できぬほど遠くから放たれた矢に貫かれ、剣を落とした間諜は周囲を見回す。

 ここは木々の生い茂る森の中で、その合間を縫って矢が届きうる隙間があった事実がすでに奇跡なのだ。ましてそこを狙うなど。まるで、木々がよけて矢を通したようではないか。


 けれど二度目はあるまい。矢を通しうる経路はそうあるものではないのだ。

 一射目も上手く木が盾になり急所を隠してくれたようだ。射貫かれたのは右腕で、一撃で倒されなかったこちらの勝ちだ。まだ、左腕は残っているし、令嬢を殺して呪術師を連れ去る時間はある。


 瞬時にそう判断した間諜は、別の武器を取り出そうとして、体が動かないことに気が付いた。


(凍って……!?)


「……黒い害虫め」

 間諜にウェイスハルトの声は届いたろうか。

 次の瞬間には間諜は芯まで完全に凍り付いていて、氷の像と化していた。間諜に凍てつく視線を投げつけると、木々の間から姿を現したウェイスハルトは、キャロラインのもとへと駆け寄った。


「無事か! キャル!」

「ウェイス様……」


 慣れない森を移動し、足元の悪い獣道を逃げ、白刃にさらされたキャロラインは、ウェイスハルトの顔を見てようやく助かったのだと理解したのだろう。急に足の力が抜けたようにその場に崩れそうになる。


「危ない! キャル」

 慌ててウェイスハルトが手を差し伸べ、抱き寄せるようにキャロラインを支える。


「あ、あの、ウェイス様。ごめんなさい、わたくし、お見苦しいところを……」

 もじもじと、視線を逸らすキャロライン。外套が雨を避けてくれていたとはいえ、今日は散々だったのだ。薬で眠らされ、森の隠れ家まで連れ去られ、ついさっきまで雨の中森のけもの道を移動していた。髪の先からは雨の雫が滴っているし、薄く施した化粧などとっくに剥げてしまっている。靴もドレスの裾も雨と泥でひどい有様だ。顔にさえ泥がついているかもしれない。

 まつ毛の上がり具合だとか、前髪の長さやカールの具合、そばかす一つに一喜一憂するような、うら若い少女がさらしたい姿ではないだろう。


 けれどウェイスハルトからすれば、化粧に隠されてはいないきめの細かいキャロラインの肌は、恐怖の為か青ざめてますます白さが際立って見えたし、長いマツゲや前髪に滴る水滴は、どんな宝石よりも美しくきらめくように思えた。キャロラインを支える腕に添えられたキャロラインの手は、熱を失い少し震えている。迷宮都市に暮らすといえど、日々魔物と対峙し死を身近に感じている己とは違う。未来を輝かしいものと感じる年ごろの少女にとって、死を覚悟する体験はどれほど恐ろしかったことだろう。

 その証拠にキャロラインの顔からは血の気が引いて、手は震え、足には力が入らない。助かった安堵から、ウェイスハルトに縋り付いて泣き叫んでもおかしくはない状態だ。けれど彼女は、涙を見せることも無様に取り乱すこともなく、震える脚に力を籠める。


(なんと、強く美しい……)

 誰にもすがらず一人で立とうとするその姿に、ウェイスハルトは心を打たれた。


「キャル、貴女一人で立たなくていい。貴女一人で背負わなくていいんだ。私が共に背負うから。貴女のそばに共にあるから」

「ウェイス、様……?」

 キャロラインを支えるようにその両手をしっかり握り、ウェイスハルトはぬかるむ大地に膝をつく。


「キャロライン。私が貴女の支えとなろう。この命ある限り二人で。私は貴女と共にありたい」

「ウェイスハルト様……」


 降るような星空の下でもなければ、美しい薔薇の庭園でもない。雨は止んでいるけれど、地面はぬかるんだ森の腐葉土で苔むした木々に囲まれている。近くにあるのは美しい大理石の石像ではなくて、暗殺者の氷漬け。

 ロマンチックとはいいがたい風景の中だけれど、二人の瞳にはお互いの姿しか映ってはいない。だから、場所などどこでもいいのだろう。


「はい……。はい! ウェイスハルト様。わたくしも……」

 ウェイスハルトのプロポーズを、頬を薔薇色に染めながら受けるキャロライン。

 アグウィナス家を継ぐことが決まってから、シューゼンワルド辺境伯家に所縁の者を婿に迎えるのだろうと思っていた。アグウィナス家は古い家柄で、ポーション関連の利権も持ってはいたけれど、ポーションが枯渇した今となっては土地もなければ大した収入もない、政策上いくらか価値があるだけの家柄となり果てた。それに兄の失態もある。

 どんな相手と(めあ)わせられようと、文句を言える立場にはない。

 けれど、『木漏れ日』に菓子や花束を持ったウェイスハルトが訪れる度、『こんな方ならいいのに』とキャロラインは思っていた。


 女性に人気の高いウェイスハルトの見目麗しさは、キャロラインにとっては彼が軍人であることで相殺されてしまう程度のものだ。長く薬師をしてきたキャロラインにとって、軍人というのは冒険者以上に頭が固くて、治癒魔法とポーションの使い分けもできない、なんでも根性論で解決しようとする人種に思えていたからだ。けれどウェイスハルトは、ポーションに全く及ばない薬という物の、場所を選ばないという利点を理解してくれたし、薬にもできることがあるはずだというキャロラインの考えに賛同してくれた。


 それに兄を支え、迷宮を倒したいという強い使命感を持つ人で、彼の目指す迷宮を倒した後の世界は、キャロラインの願いと同じものだと思えた。

 ウェイスハルトはキャロラインにとって、道を同じくし、尊敬できる人なのだ。そんな人に伴侶に望まれるなんて、これほどありがたいことはない。


「一緒に、錬金術師様を御守りしましょう! ウェイス様!」

 満面の笑みで、プロポーズを受けるキャロラインと、その返事の内容に表情は変えずに心の中で崩れ落ちるウェイスハルト。


(……、そう、そうだな。キャルにとっては、所詮は政略結婚に過ぎぬのだ。錬金術師を守るため、ポーションを守るための施策と思われたとて致し方ない……)

 迷宮都市、いや、帝都のご婦人たちをも騒がせたウェイスハルトの美男子ぶりをもってしても、天然の城壁は落ちることを知らぬのか。落胆のあまり、地の底からはるか高き頂を眺めるような気分になったウェイスハルトは、ちらとキャロラインが向けた視線の先、矢を受け氷漬けになった暗殺者に目を向ける。


 あの矢。あの一矢が時間を稼がなければ、ウェイスハルトは果たして間に合っただろうか――。

 その矢の射手とその主に思いを馳せる。


(まぁ、彼らよりは、私とキャルの中は進展している。邪魔は排したのだ。気長にいくさ)

 流石は迷宮討伐軍の副将軍。幾多の苦難を乗り越えてきた彼の精神は鋼のごとく、すぐさま立ち直ったウェイスハルトはぬかるんだ大地から立ち上がると、キャロラインに手をさしのべた。


「さぁ、キャル様。いや、もうキャルと呼んで構わないかな? 迷宮都市へ戻ろう」

 にこりと微笑みかけるウェイスハルトはいつにもまして煌いている。そんなウェイスハルトに少し戸惑うように、キャロラインはもじもじと話しかけた。


「あの、ウェイス様」

「どうした? キャル」

「あの……、お兄様はわたくしを助けてくれましたの。逃亡の罪はあるのかもしれませんが……、お兄様がわたくしを助けて下さらなければ、きっとこうして、ウェイス様に再びお会いすることもできませんでしたわ」

「おぉ、そうであったか、キャル。すべてはキャルを助けるためだったのだな」

「ですから、ウェイス様。

 ――そこで氷漬けになっているお兄様を、解放してはいただけません?」


 暗殺者の少し後ろ、『妹を手にかけるなら私を先に殺せ!』とばかりのポージングで、ロバートも氷の石像と化していた。

 しかも非常に微妙な位置だ。妹を助けたい気持ちが滲み出ているポーズとは裏腹に、ロバートの身体能力は暗殺者を遮るには全く足りておらず、ちっとも壁になれていない。

 これまた氷漬けになった暗殺者との位置関係を見ればよくわかる。だいぶ手前で凍り付いている。


 そしてさらに最悪なことに。

 ウェイスハルトは二人を氷漬けにはしたけれど、それは動きを封じるためで、事情聴取の必要性から殺したりはしていないのだ。特に戦闘力の低いロバートの凍結は表面だけで、動けぬ自分の後ろ側で繰り広げられた妹がプロポーズされるシーンを、大層無様なポーズのままで彼はばっちり聞いていたのだ。


(なんたる、なんたる生き地獄!!!)

 ロバートの心の声はこの場の誰にも聞こえない。彼はただ一人心の中で泣くのみである。

 これが炎の悪魔と取引をした代償か。平穏な生も穏やかなる死もすべて差し出した結果なのだろうか。確かに妹は助かった。しかし、しかし……!!!

 ウェイスハルトによって凍結を解除され、駆け付けたディックたちに連行されたロバートは、終始うつむき黙り込んだまま、まるで魂を抜き取られたようだったという。



「森の外に馬車を呼んである。そこまで歩けるか?」

「はい。ウェイス様」


 ウェイスハルトに手を引かれ、ゆっくりと森を行くキャロライン。


「ウェイス様……」

「ん? どうした、キャル。少し早かったか?」

「いえ、いえ。なんでもございませんわ」


 振り返るウェイスハルトの顔が見られずにキャロラインは思わず視線をそらしてしまう。

(わたくし、どうしたのかしら)


 氷魔法の使い手だというのに、キャロラインの手を握るウェイスハルトの手はとても大きく温かい。つないだ手ばかり気になって、心臓の音がどきどきとうるさい。


(ウェイス様は、政略の相手としてわたくしを……。でも、わたくし……)

 ウェイスハルトの背中を見つめるキャロラインの熱を帯びた眼差しに、彼女の心臓が早鐘を打っていることに、ウェイスハルトが気づくのは一体いつのことだろう。




ざっくりあらすじ:いろいろ射貫かれてだいたいハッピー。

悪魔に魂を売ったロバートはシリアスの神に見捨てられたのだ……。


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生き残り錬金術師短編小説「輪環の短編集」はこちら(なろう内、別ページに飛びます)
改定&更新中!『俺の箱』もよろしくお願いします(なろう内、別ページに飛びます)
― 新着の感想 ―
だいたいハッピー、ただし、お互い仮面婚約者と思い込んでいる新たな段階のじれじれへの進展。
愛が生まれたので、まあいいか?
可哀相な兄ですね……w
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