不条理の指先
マリエラと師匠の待つ『木漏れ日』にジークが帰り着いたときには、日はとっくに落ちていた。
「ジーク、おかえりー。わぁ、トリニクいっぱい」
「ただいま、マリエラ。今日はたくさん獲れたから衛兵に分けてきたよ」
「今日の晩御飯はもう作ってあるから、明日料理するね。リクエストある?」
「えー、マリエラ。あたし今日食べたいー。一羽捌いて揚げようぜー」
「もー、師匠。さっき食べたでしょー。ボケたんですかー」
ちなみに師匠はボケてない。ボケは振りまいているが、痴呆になるにはまだ早い。
「えー、みんないないから、錬金術でパパっとつくりゃいいじゃん」
ジークは何時に帰って来るか分からないから、『木漏れ日』ではジークを待たずに夕食を済ませる。今日は、みんな家に帰った後なのだ。
「師匠わがまま」
師匠の我儘にむにゅうと口を尖らせるマリエラと、尖らせた口先をつまもうと手を伸ばす師匠。マリエラは自分が眠っている間に師匠が四方に目を行き届かせているなんて知らないし、サラマンダーだってマリエラが目覚める前、師匠が戻った時点で還ってしまっているから、ただの酒飲みな師匠だとしか思っていない。だから、遠慮なんてみじんもなくて、伸ばされた師匠の人差し指と親指を両手で握って、ぎゅーと引っ張っている。
「ぎゃー、マリエラ、手ぇ裂けるー」などと言いつつげらげら笑う師匠とマリエラのやり取りを見ていたジークは、少し笑うと手伝いを申し出る。
「手伝おう」
「んじゃ、あたしも」
「師匠は邪魔だからおとなしく座っててください」
つれないマリエラの発言に、むにゅうと口を尖らせる師匠を放置してマリエラとジークは台所へと入っていった。マリエラが調味料や油を準備している間に、ジークが雨乞鳥の解体を始める。もも肉だけでいいというマリエラに、肉にナイフを突き刺し、ぐきりと関節を逆向きに折ってもも肉を取り外すジーク。その手つきがいつもより少しだけ荒いことにジーク自身は気づいていない。
「ありがとう」
もも肉を受け取ったマリエラは、一口大に切り分けると、調味料と一緒に《錬成空間》に放り込み、軽く混ぜると「ちょい《加圧》。時間短縮、味しみしみ~」などと言っている。
雨乞鳥は人の頭よりも大きいくらいの中型の鳥だ。高木に巣を掛け特徴的な鳴き声で鳴く。丸々と太った姿は飛翔に適さず、飛んでいるところを見たものもいないから、霞を食べているのではないかとさえ言われている。鳴いた後には大抵雨が降ることからこの名前が付けられた。
けれどその実態は、人々が噂するほど美しいものではなく、その生態は蟻や蜂のようでもある。卵を産める女王鳥とそのつがい以外は未分化で性別を持たず、餌を集めて巣に運ぶ。特徴的な声色で鳴くのは、雨を呼んでいるのではなく、雨や外敵から身を守るために兵隊である鳥たちを呼んでいるのだ。
飛び立てないほどに肥え太った女王鳥とは異なって、兵隊の鳥たちはやせ細った手のひらサイズの小鳥に過ぎず、とても同じ種族には思えない。
ざくり。
奴隷労働の頂点で肥え太った肉に、ジークムントは刃を突き立てる。マリエラが1羽を料理している間に、残りの鳥も調理しやすいように捌いているのだ。
腹を裂いてテラテラと脂ののった内臓を取り出す。部位ごとに解体し、部位によっては骨から肉をそぎ落とす。
薄桃色の肉を断つざぐりとした触感、骨につながる筋を剥がすときの肉が千切れ裂ける有り様、関節を逆に折り曲げるごりっとした感触に肉を破って飛び出す骨の白い色。
ざくりとナイフを突き立てて、ぶつり、ぶつりと肉を切り分ける。黙々と雨乞鳥を捌いていくジークムントの一つしかない蒼い瞳は、何を映しているのだろうか。
「ジーク? できたよ」
マリエラに声をかけられて、ようやくジークは我に返る。
雨乞鳥は全て捌き終わっていて、いくつかは食べやすい大きさにまで切り分けられていた。
「これだけ切ってくれたら調理も楽だよ。ありがとう」
そう言って、雨乞鳥の肉を容器に入れて冷凍、冷蔵の魔道具にしまっていくマリエラ。
台所の机の上にはジークの分の夕食と、雨乞鳥のから揚げが並んでいて、いつの間にやらから揚げの大皿の真ん前に酒瓶を抱えた師匠が座ってスタンバイしている。流石は賢者だ。料理の仕上がる時間の把握は完璧だ。
から揚げは鍋を使わず《錬成空間》で揚げている。マリエラにとって《錬成空間》の温度管理はお手の物だから、普通に調理機器を使うよりもよっぽど上手にできている。外はさっくり、中はジューシー。『ヤグーの跳ね橋亭』のマスターにも負けない出来栄えだ。
上手にできた証拠に、師匠がぱくぱくとすごい勢いで食べている。師匠は口の中もファイヤー仕様なのか、熱いものでも平気でばくばく食べるから、出来立て熱々料理争奪戦にはめっぽう強い。このままでは全部師匠に食べられてしまう。
「師匠、食べすぎ。リモン投下~」
「こっ、こら! マリエラ! リモンは取り皿でかけなきゃダメだろ!」
「師匠は十分食べたからいいんですー。私とジークはリモン掛ける派なんですー」
リモン掛けない派の師匠を牽制するため、ぶしゅーとリモンを絞って大皿にかけるマリエラ。これも一つの対ファイヤー消火活動と言えよう。
「美味いな」
そんな師弟劇場を眺めながら、ぽつりとつぶやくジーク。珍しくお酒を飲みながら夕食を取っている。一口一口噛み締めるように、じっくり味わうように食事をするジークの様子は、初めて乾杯をした日を思い出させる。そんなジークをマリエラはじっと見つめたあと、
「ジーク、髪伸びたね。後で散髪しよっか」
と声をかけた。
『木漏れ日』の洗面所には鏡も照明の魔道具もついているから、夜に髪を切るときはだいたいここを使っている。首にシーツを巻かれたジークは、鏡を向かって椅子に座り、ぼんやりと鏡を眺めていた。
ふよふよと頼りない手がジークの髪を触っている。髪をつまんではチョキリ、指で梳いてはまたチョキリと、マリエラがジークの髪を切っている。
髪を触る柔らかい感触から、マリエラの握力の弱さが感じ取れる。ジークが自分で髪を洗ったり梳かしたりする時には、いくらか髪が指に絡まり引っ張られたりもするのだが、自分で触れる時よりもはるかにやさしい触れ方で、髪が引っ張られることもない。
もふもふとした小動物が毛づくろいをする感触は、こんな感じではなかろうか。
鏡に映るマリエラは、ただの散髪だというのに真剣な表情で、より目がちになった眼が時折くわっと大きく開く。「しまった!」と言いたそうに口も縦に開いていて、その後、鏡越しにジークをちらちら見ながら鋏を動かし、「ふぅ、なんとかなったかな」と目をきょろきょろさせたりしている。もちろんジークは吹き出しそうになりながらも気付いていないフリを通している。
迷宮都市にも髪を切ってくれる理髪店はあって、見た目にこだわるエドガンなどは理髪店で髪を切っている。マリエラも手先は器用な方だけれど、本職の方がずっと上手に切ってくれるから、マリエラはジークに「髪切りに行ったらいいのに」と勧めているのだが、ジークは何かと理由をつけてはマリエラに切ってもらっている。
柔らかくて暖かい、この時間が大切だからだ。
「ねぇ、ジーク。なんかあった?」
チョキリ、チョキリと鋏を動かしながら、マリエラがジークに尋ねる。
(お見通しか……)
マリエラはいつも暢気に笑っているのに、ジークが思い悩んでいる時に限って、やたらと鋭いのだ。
「ちょっと、昔を思い出すことがあってな」
見間違うはずがない。あれはジークの主だった傴僂の商人だ。
ジークは、かつて自分を虐げた商人が迷宮都市に来たのだなどと、馬鹿正直に話したりはしない。警護の面から話すのはニーレンバーグが適任だ。マリエラに話したとして、きっと悲しい気持ちにさせてしまうだろうし、何ができるということもない。
ジークが犯罪奴隷に堕とされたのは、傴僂の商人親子の虚偽の訴訟によるものだけれど、自分が無実だという証拠をジークムントは持ってはいない。
何より、師匠の無理難題のおかげもあって、弓にも随分慣れてきて、百発百中とはいかないまでも当たるようになってきたのだ。Aランクに昇格し解放される日が確実に近づいているというのに、今もめ事を起こすのは得策ではない。
関わらずにおくのが一番だ。万一街で出会ったとしても、あの頃とは見た目からして違っている。傴僂の商人親子がジークを見ても、誰であったか分からないだろう。それ以前に、あの親子がジークという個人を覚えているかさえ怪しいと思う。
だから、何も気にすることはないのだ。
自らの、心のうちに湧き上がる、どす黒い思いを除いては。
雨乞鳥を捌きながら、ジークムントは何を考えていたのか。
商人親子を見た瞬間、度重なる理不尽に鬱積した感情が、抑えの利かない怒りに変わった。あの場では何とか抑え込んだものの、腹の中に蠢きのたくる黒い蛇は、商人親子だけでなく自らをあの境遇へと追いやった世界その物が憎い、恨めしいととぐろを巻いて、今なお無差別に吹き出しそうだった。
今ならどれほど自分が不当な扱いをされてきたのか分かる。商人親子が連れてきた借金奴隷たち。かつてのジークと同様にむごい仕打ちを受け、心が死んでしまったような彼らを見ると、幾度も打たれた体の痛みが、投げつけられた暴言に悲鳴を上げた心の声が、すり潰されるように消されていった自分自身が、火山の噴火のごとく激しく脳裏によみがえる。マグマのように溢れ出る、燃え盛り煮えたぎる制御の利かない感情に、理性は燃え尽き支配されてしまいそうだ。
あの親子がどんな理由でジークを陥れ犯罪奴隷にしたのかは分からないが、恐らくは借金奴隷の虐待を隠すためだとか、行商の失敗の原因を擦り付けるためであるといった、ひどく身勝手で不当な理由に違いない。あの商人に買われなければ、あんな酷い扱いを受けることなどなかっただろう。
いやそれ以前に、かつて仲間だったパーティーにしても、精霊眼を失うなりジークムントを見捨てたのだ。確かにジークは高慢だったが、一緒にいることで良い目だって見てきたはずなのに。
あいつが悪い、いやあいつも。そんな取り留めのない思考に、胸中の黒い思いが膨らんで、なりふり構わず叫びだしたくなる。そんな時。
ぽふぽふぽふん。
マリエラの手がジークの髪を触る。
「この辺、毛の量が多いかなー」
ふにふにとジークの髪をつまんでは、鋏を縦にしてショキショキと毛を梳く。
柔らかい手、やさしい指先。
初めて出会ったその日から、ずっと変わらない温かい場所。
ジークムントは鏡に映るマリエラを見つめる。
ジークの視線に気づいたマリエラが、鏡越しににっこりと笑いかける。
ジークが受けた不条理は、相手にとってはひどく下衆で下らないながらも幾何かの意味や価値があったのだろう。
見下して、痛めつけて、相対的に自分に価値があると錯覚するような、下卑た娯楽のために、ジークが受けた痛みは、悲しみは、屈辱は、不条理以外の何物でもない。
マリエラが与えてくれる慈しみは、マリエラの小さな寂しさを埋める意味や価値があるのだろう。
そばにいて、守り守られて、支え合う。幼げな彼女との暮らしは人によっては家族ごっこのように映るかもしれない。けれどジークが受ける愛情は、無償の物にほかならない。
「前髪もちょっと切ろっか」
その微笑みに、眼差しに、温かな指先に触れるだけで、ジークの胸中を染め上げる黒い思いは消えていく。代わりに込み上げてくるこの感情は何色だろうか。憎しみを黒だとするならば、複雑で一層御しがたいこの想いは、たくさんの輝きと少しの翳りを伴っている。この感情が何なのか、ジークムントは分かっているけれど、もうしばらくこのまま抱えていようと思っている。ただただ穏やかで暖かなこの場所に、もう少しまどろんでいたいから。
(ゆっくり成長すればいい)
そんな風に思えるから。
この場所は、ジークムントが碌でもない人生の中で得た最良のものだ。
犯罪奴隷に堕とされなければ、傴僂の商人に買われなければ、仲間に見捨てられなければ、精霊眼を失わなければ、得ることが叶わなかった場所なのだ。
精霊眼とマリエラと、どちらを取るかと問われたとしても、僅かな迷いもないだろう。
精霊眼を失わず、あのまま冒険者を続けていたとして、こんな気持ちになる日など来はしなかっただろうから。
ジークムントの前髪を切ろうと、マリエラの手がジークの失った右眼の上へと伸ばされる。初めて出会ったあの時も、そして今なおジークを救い続ける優しいその手が、掛け替えのないものに思われて、溢れる気持ちを抑えきれずに、ジークムントは思わずその手を掴んでしまった。
ジャッキン。
「あっ!」
マリエラが大口を開けて固まった。
ジークムントの前髪は、バッサリ短くなっていた。
「ジジジジークが急に動くから~! もう、もう、髪切らないっ。外で切ってきて~!」
涙目になりながら、あわあわと怒るマリエラ。
「すまん。マリエラ! いや、この方がすっきりしていいんじゃないか! うん、いいと思う! ほら、すごくいい! 流石だ、マリエラ! ありがとう!」
なぜか前髪をバッサリ切られたジークが平謝りのフォロー祭りだ。
マリエラは完全に逆切れだ。なぜジークが怒られなければならないのか。多少の原因はジークにあったかもしれないが、まったくもって理不尽だ。
「……ほんとう?」
「あぁ! だからまた切ってくれ!」
甘いお菓子や珍しい果物、オークキングを獲ってくる約束で何とかマリエラの涙目への字口を回避したジークムント。ヘアカット代は随分と高くついてしまった。
なんて『ばかばかしくて不条理』な世界だ。
けれど、ジークの胸中に黒い思いはもはや欠片も見当たらない。傴僂の商人に再び出会ったとしても、過去に囚われることはないだろう。
どんな不条理があったとしても、こんな『ばかばかしい不条理』ほどの価値はないのだから。
マリエラのご機嫌を取るために、リモンのはちみつ漬けを飲もうと誘うジーク。はちみつは高級品だから、貧乏性の抜けないマリエラの『とっておき』だ。
途端にわくわく顔で「早く、早く」と、ジークをせかすマリエラ。
居間にも台所にも店内にも師匠の姿は見えなくて、『飲んでくる』の書置きだけが残されていた。マリエラは「むきー、師匠、またかー!」と怒っていたけれど、ジークは短くなった前髪を軽く指先でいじった後、久しぶりのマリエラと二人きりの時間を楽しんだ。
今日は雨乞鳥がたくさん獲れた。雨を予知して声の限りに鳴いていたのだ。
夜の帳に隠されて雲の流れは見えないけれど、上空で強い風が吹いている。
きっと、もうすぐ嵐がやって来る。
ざっくりあらすじ:ニークなジークのダークサイドがちっぴりリーク





