せめて眠りは安らかに
アグウィナス家の地下室で、キャロラインは永遠の眠りにつくエスターリアに祈りを捧げる。
エスターリアに祈っても、なんの加護も効力も得られはしないとキャロラインは理解している。
ガラスの棺の中で眠るエスターリアの表情は穏やかで、眠っているようにしか見えないけれど、彼女はとっくに地脈に還っている。自由に動く肉体を持ち、身分に応じた権威を持って指示を出せる、生きてここにいるキャロラインの方が、よほどこの世の中に働きかけ、願いをかなえる力を持っている。
だから、エスターリアに祈るこの行為はきっと、決意を新たにする儀式なのだ。
ロバートが『療養』の身となり、キャロラインがアグウィナス家の後継に決まって以来、彼女はアグウィナス家が伝えてきた錬金術師たちの記録を紐解いて来た。そこに綴られた錬金術師たちの滅私に近い献身は、迷宮都市という過酷な環境にあっても衣食住満ち足りた生活を送ってきた彼女に理解できるものではない。
キャロラインを突き動かすものは、アグウィナス家の娘として生まれ、育つにつれて醸成した矜持のようなものだった。
キャロラインには迷宮都市の住人程度の情報しか知らされていない。けれど、過去から今に至るアグウィナス家の歴史を知り、ポーションの市販が開始されると聞けば、状況は自ずと理解ができた。
アグウィナス家は、ポーションの、錬金術師を守り新たな世界に届ける箱舟だ。死者と呪いと空の棺で埋め尽くされた箱舟は、目的の地に着く前に暗礁に乗り上げてしまったけれど、おかげで呪いは解き放たれて、本来の乗客を乗せることができた。
この地下室で、兄ロバートが求め叫んだ『目覚めた錬金術師』。
兄の推測は正しかったのだろう。『目覚めた錬金術師』が迷宮討伐軍を助け、ポーションを作り、迷宮都市を新しい世界へと導こうとしている。伯父ルイスを呪いから解き放ち、父ロイスを救ったマリエラこそがそうなのだと、キャロラインは思っていた。
ロバートが新薬を作らせていた帝都の錬金術師たちと話をするようになって、わかったのだ。帝都の錬金術師は多くの魔道具を使ってポーションを作成する。マリエラが何所の誰に師事したのかは知らないし、迷宮都市にある魔道具は薬用の物ばかりで錬金術師が使う魔道具とは異なるけれど、今の時世の錬金術師がキャロラインが持っている魔道具のすべてを知らないなどあり得ない。
マリエラが『目覚めた錬金術師』だというのなら。キャロラインはエスターリアに祈る。
(どうか、私に、目覚めた錬金術師を守らせてください)
彼女はキャロラインの友人で、一緒に薬を作ったり街の薬師と交流しては、迷宮都市に貢献してきた。
貴族の令嬢として生まれたキャロラインには、市井で自由に過ごせる時間はとても少ない。その時間がこれほど豊かで楽しかったのは、彼女のおかげに違いない。
兄ロバートが退いた今、キャロラインはアグウィナス家の者として生きる以外に道はないのだけれど、友人と共に進めるならば、これほど望ましいことはないとキャロラインは思っている。
(それにしても、お兄様ったら意外と迂闊でいらっしゃるのね。あの時、この地下室には、マリエラさんもいらっしゃったのに)
ふふふと笑うキャロライン。かつてロバートがマリエラを疑い、キャロラインに探りをいれてきた時に、スタイリッシュな光るお茶で見事にはぐらかして見せたことは記憶に残っていないらしい。
「キャル、ここにいたのか」
「お父様」
祈りを終えたキャロラインの後ろに、父ロイスが立っていた。寝たきりだったロイスは随分と回復をして、杖は必要だけれど一人で歩くことができる。
「キャル、しばらく屋敷で過ごしてはどうかな。街の外から来た連中が、昨日も騒ぎを起こしたそうだ。ウェイスハルト様が警護をつけて下さるとはいえ、出歩けばそれだけ危険は高まるものだ」
ポーションの出所はアグウィナス家。迷宮都市ではそう噂されている。『何らかの方法』を使って錬金術師を作り出したのではないかと。前当主のロイスが若いロバートに家督を譲ったことも、多くの奴隷を購入していたことも情報の早い者には知られたことで、『何らかの方法』に関係しているのだと考えられている。
『アグウィナス家の誰が錬金術師なのか』
『迷宮都市中にポーションを供給するのだ。一人ということはあるまい』
『多くの奴隷を消費したと聞く。危険な邪法やもしれん』
飛び交う様々な憶測の目は、跡目を継ぐことになったキャロラインに向いている。
『彼女が錬金術師なのか。違っていても何も知らぬはずはない』と。
「いいえ、お父様。出かけますわ。わたくしが注目を集めている間は、錬金術師様は自由に動けますもの」
自ら囮になるというキャロライン。意思を曲げない頑固さは兄ロバートと通じるものがある。そんな娘の様子に、父ロイスは無事を祈るほかなかった。
*****************************
《錬成空間、回転》
迷宮討伐軍基地の地下に設けられた仮設工房で、マリエラは円盤状に構築した錬成空間を超高速で回転させていた。
師匠はというと、ふっかふかの長椅子にカワイイ系からインテリ眼鏡まで4人の兵士をはべらせて、今日も今日とて宴会中だ。殺風景だった地下室は、日々運び込まれる家具や毛皮の敷物のおかげで、非常に快適な空間が広がっている。もちろん宴会コーナーのところだけ。
マリエラの周囲は相変わらず殺風景なままで、薬草の袋を運んだり、ポーションを樽に詰めては運び出す兵士たちが、労役に就く懲罰兵のようだ。同じ部屋なのにこの待遇差。天国と地獄か。
働けど働けど師匠の飲酒を阻止できないマリエラは、とうとうグレてしまったのか。何の目的かはわからないが、一人何やらぶつくさ言いながら錬成空間を回転させている。
「《温度制御》、あとは上から《ウォーター》」
高速回転する円盤の中心に水を垂らす。落とされた水は円盤の上を滑り、遠心力によって小さく分散されながら外周へと飛び出していく。周囲の温度を下げているから細かく吹き飛ばされた液粒は凍って微細な氷の粒になる。
「うーん、制御が楽だから一気にたくさん作れるけど、ちょっと水滴が大きいんだよね……」
上級ポーションをすべて錬金術スキルで行うには、ルナマギアの抽出がどうしてもネックになる。凍らせた水に溶かしだす固溶の速度はとても遅いものだから、どうやって微細な水滴を作るかが重要なのだ。
グランドルがくるくる回す傘のふちから、水滴が飛び散る様子を見てこの方法を思いつき、早速試してみたのだが。
「これでも作れなくはないんだけどなぁ、なんか違う気がするんだよね」
この方法でも、上級ポーションは作れると思う。ほんの少し薄い仕上がりになるだろうけれど、『スキルだけで上級ポーションを作る』という条件は達成できるだろう。
でも、何か大切なことを理解できていない。なんとなくそんな気がする。
「んー、やっぱノズル使う方向でもう少し考えてみよう」
そう思いなおしたマリエラは、使い慣れたノズルを取り出すと、今日も上級ポーションを1本分ずつ魔力の限界まで作成し、魔力切れというお昼寝タイムに突入するのだった。
「今日は、ここまでぇ~」
ふんにゃりパタンと、魔力を切らせて倒れるマリエラを、いつのまにかそばに来ていた師匠が抱き止める。
「お疲れ、マリエラ。それに気づけたらもう少しだ」
師匠のねぎらいは、魔力切れで意識のないマリエラには聞こえない。師匠は軽々とマリエラを抱き上げるとマリエラをふかふかの長椅子に横たえる。
宴会コーナーにはべっていた兵士たちは皆立ち上がって扉の近くに整列していて、長椅子の近くにはマリエラのサポートを行っていた兵士のうち腕の立つ2名が控えている。
師匠はマリエラの手をお腹の上で右手が上に来るように重ね合わせると、何かを唱えながらマリエラの右手の中指にはめられた虹色の指輪にそっと触れた。
ぼう、と指輪から引き出されるように手のひらほどの炎が浮かび上がる。
マリエラに指輪を与えたサラマンダーだ。
炎はたちまち小さなトカゲの形をとって、自らを呼び出した師匠と、師匠が指し示すマリエラを交互にみつめる。
師匠がサラマンダーの鼻先に手を近づける。指先に浮かび上がったのは青白い炎で、マッチの先ほどの小さなそれをサラマンダーはばくんと食べる。一瞬全身を振るわせて青白い炎をほとばしらせた後、すべての炎をかき消したサラマンダーは、小さな赤いトカゲになってマリエラの手の上に体を丸めて寝そべった。
「しばらくお守りをたのむ」
「はっ」
当然のように4人のホスト……、いや兵士を伴って部屋を出ていく師匠の指示に、椅子に控える2名の兵士が応じる。
マリエラが倒れたあと、師匠がこの小さな精霊を呼び出してどこかへ出かけるのはいつものことで、このサラマンダーも見慣れたものだ。初めて見たときは本当に驚いたものだが、見慣れてしまうと愛嬌のある赤っぽいトカゲに見える。
炎の精霊の体は炎そのもので、こんな風に人の手の上に寝そべったりはできないと思っていたのだが、この炎色のトカゲはわずかに透けてはいるものの、よく見なければただのトカゲと変わらない。
(他の兵士は出来上がったポーションを箱に詰めて運んだり、薬草の搾りかすを処分するのに忙しい。炎災の賢者が戻ってくるまでは、自分たち二人の兵士がこの小さなトカゲと一緒に錬金術師を守るのだ)
大任を果たすべく背筋を正し、神経を研ぎ澄ます二人の兵士たち。
彼らは知らない。
仮初とはいえ、受肉するほどの魔力を与えられたサラマンダーの実力を。
この小さい火トカゲがマリエラ以外を基地ごと吹き飛ばす発火装置であることを。
ふあ、とあくびをするように口を開けたサラマンダーをみて、にこりと動物好きの兵士が微笑む。この小さいトカゲがのんきに寝ていられるように、きっちり警備を行おう。そんなことを考えながら。
真に『お守り』を頼まれたサラマンダーは、マリエラの手の甲の据わりのいい位置を探して顎を乗っけると、気持ちよさそうに瞳を閉じた。
*****************************
大層危険な『お守り』を残した師匠は、4人の兵士を引き連れて次の会場へと向かっていた。2次会会場だ。まっ昼間からお持ち帰りでお楽しみのサービスコースではないようだ。
ご機嫌な酔っぱらいよろしく唄を口遊みながら、迷宮討伐軍の基地を進んでいく師匠を見とがめる者はいない。もちろんウェイスハルトから『炎災の賢者』に関する指令は出されているから、師匠が基地を勝手に歩き回っても何も問題はない。けれど見慣れない部外者に誰も見向きもしないのは、その存在をおぼろげにしか意識できないからだ。
そんな様子に初めは驚いた4人の兵士も、今ではすっかり慣れてしまった。そもそも、錬金術師につけられた兵士の中から、ウェイスハルトの側近や諜報部員だけを選んで呼びつけた時点で、炎災の賢者の底知れなさに頭を垂れるよりほかなかった。身分をやつして潜り込んだというのに炎災の賢者の前では何の意味もなさなかったのだ。
そして到着した二次会会場は。
迷宮討伐軍に食料や物資を納入する通用門から入ってすぐの、一棟の倉庫だった。倉庫の外に並ぶ馬車には、小さなガラスの瓶が大量に積まれている。倉庫の入り口には数名の兵士が在中していて、馬車から数本の瓶を抜き取ると、サイズや重さを測ったり、何やら魔道具にかけた後、書類を渡して馬車の持ち主に倉庫への搬入の指示をしている。
ポーション瓶だ。
復興された採砂場から運ばれた砂は、分級設備にかけられてポーション瓶に適した砂がより分けられる。そののち『精霊の神殿』に運ばれておよそ一晩放置することで《命の雫》が込められる。ここまでが迷宮都市の官営事業の範疇だ。事業は採砂、運搬、砂の分画にガラス工房への砂の販売と、複数の業務に分割して発注され、受注した貴族家や商人に一定の利権が発生しているが、砂の質と価格は発注時の取り決めに従い維持されている。
《命の雫》がこめられたポーション瓶用の砂は、迷宮都市の各ガラス工房が買い取ってポーション瓶に成形し、この倉庫に納品される。
ポーション瓶用の原料は手間暇かけた貴重な砂だ。ポーション瓶が必要なこの時期に、普通の窓ガラスや酒瓶などに加工されてはかなわないし、いずれ業務自体を民営化しても成り立つように普通の砂より高価な価格が設定してある。もちろんポーション瓶の方も、必要以上にガラスがケチられないように容量や重さ、その他品質規格があって、原料代に工賃、利益を乗せた価格が設定してある。
倉庫の入り口で検査を行う兵士たちは、ポーション瓶が規格を満足しているか抜き取り検査を行っているわけだ。使っている魔道具は、帝都でも中古ガラス瓶の買い取り時に使われるものでガラスに含まれる《命の雫》や魔石の含有量を測定する魔道具らしい。
何しろ砂も高価なら魔石も使う、原料代の高い瓶なのだ。買い取り価格が高いから、より多くの儲けを出そうと、つまらないことを考える者も現れる。
「ミッチェルくーん」
がばりと師匠がミッチェル君の肩を抱く。酔っぱらいだ。顔が近い。
最初の頃ならドギマギしていたミッチェル君だったが、最近は慣れたもので「危ないですよ」などと言っている。師匠は面白くないのか、ちょっぴり口を尖らすと、ミッチェル君の耳に口を寄せてひそひそと何かを囁いた。
師匠の存在は、不思議な術によって周りに強く意識されないけれど、見えなくなるわけではない。当然師匠とミッチェル君がいちゃこらしている様子は見られているのだけれど、なぜ真昼間の迷宮討伐軍基地で男女が肩を組んでいるのかと、不思議に思う者はない。そして視線をそらした次の瞬間には、八百屋の親父の顔を忘れるように意味のない情報として記憶の隅に押しやられてしまう。
師匠はその金の瞳で、検査を待つ馬車を眺めた後、三次会へと出かけて行った。師匠に従う兵士は3人。ミッチェル君だけ2次会で解散だ。師匠にフラれてしまったのか。
ミッチェル君はくりくりした髪をシュッとかき上げ、師匠のそばにいた時とは別人のような厳しい顔つきになると、検査をしている兵士の元へと歩いて行った。
「次の馬車と、その二つ後ろ、全数検査だ。逃げられんように搬入門は閉めておけ。特に後ろの馬車は要注意だ。工房を査察しろ。数日前に砂の盗難があったろう。関係があるやもしれん」
「はっ」
ミッチェルの指示に直ちに従う兵士たち。
ポーション瓶の材料も買い取り価格も高いのだ。検査が抜き取りで行われるならば普通のガラス瓶を荷台の中心に仕込んで嵩増ししようと考えたり、より質の悪い者ならば、原料を盗んだりもするだろう。『精霊の神殿』から砂の荷台が運び出されるより朝早くに馬車ごと盗んで魔の森にかくし、後日、農作物や採取品でカモフラージュして迷宮都市に運び込むのだ。
《命の雫》を込めただけで溶かしてガラスにしていない砂なんて、数日もたてば《命の雫》がすっかり抜けてただの砂と変わらなくなってしまう。迷宮都市の住人は長らくポーションに触れてこなかったからそんなことも知りはしない。ただの砂で薄まったポーション瓶など検査をすればすぐわかる。
(よくこれだけ、下らないことを思いつくものだ)
全数検査が行われると知るや、急に帰ろうとする後ろの馬車を抑えにかかる兵士たち。炎災の賢者が囁いた通りの有様だ。
(これは、今日中に終わらないかもな)
ミッチェルの不満気な表情に、これは大事だと一層キビキビと動く兵士たち。
3次会に連れて行って貰えないのが不満なのか、仕事が長引きそうで嫌なのか。それとも、ポーションの市販という大事に際して下らない真似をする者たちに怒っているのか。
検査の兵士はすぐさま増員されて、その日のうちにすべての調査が完了したけれど、ミッチェル君が仕事から解放されたときには師匠はマリエラだけをお持ち帰りして『木漏れ日』に帰った後だった。
ざっくりあらすじ:ししょう、はたらく。




