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雲行き

「あなたのご無事を祈って、眠れぬ夜を過ごしております」

 帝都に住まう正妻からのそんな手紙を、マルローは「しらじらしいものだ」と破り捨てた。


 自らの姓を名乗らず「マルロー」として過ごす彼は、帝都と魔の森の境に領地を持つ下級貴族の三男として生まれた。領地は狭く三男であるマルローに継げるものなど何もない。マルローは、もって生まれた《念話》のスキルを頼りに迷宮討伐軍へと志願し、若くして隊長に昇りつめることができた。


 実家にベラート伯爵家からの縁談が持ち込まれたのもその頃だ。

 実家の爵位とエンダルジア王国の系譜である家柄を考えれば、帝国の古い家柄で伯爵家でもあるベラート家からの、婿に欲しいという縁談はあり得ないものだった。この縁談を可能にしたのは、若くして迷宮討伐軍の隊長に任ぜられた功績によるものらしい。婿入り先は迷宮都市と帝都を往復するヤグー隊商の宿営地を領地に持つ家で、マルローの領地はその宿場町を経由して帝都や迷宮都市の食料や鉄、様々な物資を得ていた。だからこの縁談を断ることはできなかった。

 たとえ、マルローに将来を誓い合った相手がいたのだとしても。


 縁談先であるベラート伯爵家は、マルローのことを調べたうえで縁談を申し込んできたらしい。迷宮都市から出さないことを条件に愛人と子をなすことさえ認める条件を提示してきた。

「二人で異国へ逃げよう」

 恋人の手を取り告げるマルローに、別れを切り出しベラート家との縁談を勧めたのは他でもない恋人だった。彼女のお腹には既に命が宿っていて、その時すでにどこへ逃げることもできなかったのだと、マルローはずっと後になってから知った。


 地位も名誉も財産さえも持ってはいないマルローの恋人は、その全てを持つベラート伯爵家に婿入りすることがマルローの幸せだと信じて疑わなかったのだ。

 自らの実力で軍の隊長へと出世した、けれど身分の低い男を夫に望む女性当主。

『愛人を認める』などという条件を出す相手に疑念を抱いてはいたけれど、マルローの幸せを心から望む恋人には、相手の女性も自分と同じ気持ちに違いないと信じるほかなかったのかもしれない。


 迷宮討伐軍を辞し、ベラート伯爵家へ婿入りしたマルローを迎えたのは、妻である女性当主とその横に親しげに佇む男性執事だった。執事の黒髪が染めたものだということはすぐに知れた。執事の実際の髪と瞳の色は、少し鮮やかではあるがマルローと同じ金髪碧眼。マルローは自分と同じ色を持つ執事に、この婚姻の事情をすべて理解した。

 執事は平民の出身で、どれほど功績を積み上げようと女性当主の夫にはなれなかったのだ。


(これではどちらが愛人なのか分かりませんね)

 そんなマルローの思惑通り、形ばかりの妻からは髪と瞳の色以外、自分と似つかぬ子供が生まれたし、執事と妻は一層仲睦まじく、入り婿として立場の弱いマルローの居場所はどこにも無くなっていった。


 そんなマルローがかつての恋人を懐かしく思ったとして、誰も責められはしないだろう。嫌い合って別れたわけではなかったし、別れて以来忘れた日などなかったのだから。


 Aランク冒険者を雇い入れ、迷宮都市にたどり着いたマルローを待っていたのは、マルローの娘を苦労して育てるかつての恋人の姿だった。

 幼い娘は自分と全く同じ金髪碧眼。ベラート伯爵家の輝くような金髪の息子と違い、マルローと同じくすんだような金の、柔らかなウェーブの髪の子供だ。

「眠ったときに、足の指をぎゅっと丸めるへんな癖があるのよ、あなたと一緒ね」

 そんな風に話すかつての恋人は、「生活の面倒をみさせて欲しい」というマルローの申し出を、「ありがたいけれど、女伯爵(あのひと)のお金は要りません」と断った。


 それならば。

 マルローは丁度アンバーのために大金を必要としたディックや、迷宮討伐軍とあわず勤め先を探していたエドガン、ドニーノ、グランドルに声を掛け、黒鉄輸送隊を立ち上げた。

 マルローが立ち上げた輸送隊ではあったけれども、隊長をディックにしたのは黒鉄輸送隊にベラート伯爵家から要らぬ圧力をかけられぬための配慮でもあった。


 ベラート伯爵家は、マルローの決断に多少の難色を示したものの、はるかに格上のシューゼンワルド辺境伯家からの口利きもあって、月に1度は帝都に顔を出すことを条件にマルローが黒鉄輸送隊に参加することを許可した。


 この時も妻は、「ベラート伯爵家の夫が帝都に月に1日もいないというのは問題である」だとか、「心配なので顔を出してほしい」などといった、白々しい麗句を並べたのだが、実際は執事との間に第2子ができたときの言い訳であるとか、頻繁に魔の森を行き来して死んでくれれば好都合だとでも考えたのだろうと、マルローは思っている。


 妻ベラート伯爵側にどんな思惑があったにせよ、マルロー達黒鉄輸送隊はなんとか魔の森を渡って来られたし、もっと困難が多かったけれど、かつての恋人と娘に父親だと名乗り、迷宮都市にいる短い間だけ共に暮らすことを許された。


 今回、迷宮討伐軍への復職がかなったのも、シューゼンワルド辺境伯家からまとまった金額の『謝礼』という強い後押しがあったからに過ぎない。

 ベラート伯爵家は執事が手掛けた事業が失敗し資金繰りが悪化していると聞く。マルローが黒鉄輸送隊にいたときから金の無心は幾度もあって、事業の見直しを条件に支払ってはきたが、負債を積み上げるばかりで事業は一度も見直されていない。黒鉄輸送隊はうまく軌道に乗っていたから、隊長をディックにしていなかったら、とうに事業ごと取り上げられていたに違いない。


 今回の『謝礼』は、事情を熟知したウェイスハルトと共にマルローが計画したもので、迷宮討伐軍に復帰以降は、機密を含む職務に就くことから任を解かれるまではベラート家に帰れない《魔法契約》にしてある。迷宮都市にいる間はベラート伯爵家の事業とは一切かかわりを持たないし、債務を含む一切の権益から除外されることを帝都の司法機関を通して《誓約》してある。事実上の離縁に等しい契約だからついでに離縁も申し出たのだが、そちらは受け入れては貰えなかった。


「離れていましても、愛しておりますもの」

 そんな薄ら寒い台詞を笑顔で述べたと聞いたとき、マルローは背筋の寒くなる思いがしたものだ。


 そんなさなかでの、帝都のベラート伯爵からの便りである。

(検閲が入ることを予想してこんな文章を送ってきたのでしょうが、目的は一体……?)

 帝都から多くの人間が迷宮都市を目指し集まっていて、すでにあちこちで小競り合いも起こっている。自分たち迷宮斥候部隊まで諜報任務に駆り出されるくらいだ。


 見上げた夏の空は厚い雲が広がっていて、湿度の高いむっとした熱気にいら立ちが募る。

(せめて抜けるような青空であればいいものを)

 見通しの利かない空模様に、マルローは深くため息を吐いた。



 *****************************



 でんせつのゆうしゃ一行は『木漏れ日』にむけて迷宮都市を凱旋していた。

 メンバーは聖剣兼聖盾・アンブレラを持つでんせつのゆうしゃグランドルと元盗賊のヌイ、薬味草店の商人メルル、そして薬師のマリエラだ。でんせつのゆうしゃのパーティーなのだ。錬金術師(アルケミスト)がいてもおかしくはないのだろうが、あえて薬師を名乗るあたりマリエラも注意深くなったと言えよう。


(このパーティー、ちょっと火力が足りないよね)

 火力と言えば師匠だろう。時も場所も選ばずに常に強火でファイヤーだ。料理の火力は大は小を兼ねないと教えてやりたい。

 剣士か戦士がいればもっといい。ジークは狩りから帰っていないから、他に『木漏れ日』で強そうな人は……。

(ニーレンバーグ先生、参加してくれないかなぁ……)


 師匠なら確実に参加してくれるだろうが、ニーレンバーグは無理だろう。氷点下の眼差しが今から突き刺さるようである。

(どこかに剣士余ってないかな~)


 ゆうしゃごっこの抜けないマリエラは『木漏れ日』へ向かう。ゆうしゃパーティーのメンバーが足りないのだ。酒場で探すのが常套手段だろう。『木漏れ日』は酒場ではないけれど、日々師匠が飲んだくれているから大して違いはないだろうし、お茶も飲める。似たようなものだ。

 かくして、「『木漏れ日』でお茶はいかがですか?」というマリエラの誘いにグランドルが乗ってゆうしゃの凱旋と相成ったのだ。


「ここが『木漏れ日』です」

 マリエラの案内で扉を開けたその先には。



「オレは真実の愛に目覚めた! 燃え盛るこの胸の内を伝えたい! 美しい人、ぜひお名前を!!!」

「あはは、ファイヤー?」

「ファイヤー! それがお名前か!」

「ちがーう。ファイヤー!」

「ファイヤー!」

「ファイヤー!」


 愛の彷徨い人エドガンが、酔っぱらった師匠に恋に堕ちていた。

 この壊れよう。恋に落ちるなどという落差の小さいものではない。底なしの奈落へ堕ちるかのようだ。完全に人生に迷っていて、戻って来れそうもない。

 師匠は「ファイヤー! ファイヤー!」言っているけれど発火はしていないから、まだ理性が残っているようだ。けれど大層ご機嫌で、ものすごく危険な感じがする。


 店の奥ではニーレンバーグ先生が、冬のアーリマン温泉よりも氷雪の階層よりも冷たい眼差しをエドガンに送っているけれど、このいずれをも乗り越えたエドガンにはさして効き目はないらしい。


 ジークはもう少し友達を選んだ方がいいかもしれない。もっとも、リンクスとエドガンくらいしか友達らしき人間がいないから、リンクス亡き後、毎日魔の森や迷宮に一人で狩りに行かされているジークには、ほかに選択肢も新しい友達を作っている時間もないのだが。


(魔法使いを仲間にしたら、剣士もついてきそうだけど……、いらないや)

 急に我に返ったマリエラは、師匠たちを無視するとグランドルたちにお茶を出し、そのまま夕食の支度にかかるのだった。



 *****************************



「今回のはただのバカだったけど、だいぶ入ってきてるねぇ」

 黒鉄輸送隊が運んできた帝都のお茶と茶器の外商を装い、薬味草店のメルルはウェイスハルトを訪ねていた。彼女が扱う品は茶などの形あるものだけではない。

 彼女は諜報部員。真に扱うのは情報だ。


「そうか。外の貴族家がらみか?」

「まぁね。あとは、利に敏い商人がちらほら。だいたい想定通りだけどね。それにしても迷宮都市の貴族達は随分協力的じゃないかい? ポーションの市販で資産価値が暴落したってのにさ」

「アグウィナスの一件の前後に街の『掃除』は済ませてある。残りの連中にも十分な対価を約束しているからな」

「いいのかい? ちょいと小耳に挟んでるけどさ、あんな約束……。賢者サマが黙ってないんじゃないかい?」

「その賢者サマの提案なのだ」

「……、それならいいけどさ。あの賢者サマの提案て聞くと不安が残るね。それはさておき、当面の問題は外の連中だろうさね」


 迷宮都市はシューゼンワルド辺境伯家の領地であるが、そこに居を構える貴族家はシューゼンワルド家だけではない。迷宮都市の官職に就く貴族家の多くが代々居を構え、暮らしている。

 シューゼンワルド辺境伯家も迷宮都市に住まう他の貴族家も、等しく帝国の臣である。しかし、帝国自体、魔の森を始め、蛮族、亜人、戦争の絶えない小規模国家群、宗教国家といった相容れない周辺国家に相対するために帝国の体裁を維持してきた面があるから、これら争乱地帯との境の守護を任された辺境伯たちは、その任を全うする範囲において多くの裁量権や自治権を与えられている。

 迷宮都市に住まう貴族家は、実態においてはシューゼンワルド辺境伯家の臣下に近いのだ。


 彼らの多くは200年前はエンダルジア王国に仕えた貴族のうち、魔の森の氾濫(スタンピード)のあとも故郷を捨てず復興に尽くした者たちで、迷宮都市が帝国の領土となった後も、その貢献を評価され爵位と魔の森の外周部に中小の領地を与えられてきた。

 彼らがかつて所有していた迷宮都市周囲の領地は、魔物に奪われ森に呑まれて取り戻すことなどかなわなかった。だから新たに領地さえ与えられたのだが、その場所は魔の森の警備を担えと言われているも同義で、小さな規模の領地では収穫期のゴブリンやオークの襲撃に対応することも困難だった。


 生き残るために協力し合ったり、強者の庇護を求めることは当然の成り行きだったろう。しかし協力し合っても、領地から得られる税から領地を守るための費用を差し引くと手元にはほとんど利益は残らない。帝国から支給されるわずかばかりの年給を合わせてもまともな生活などできはしないから、200年が経過したころには、代官の派遣から生産など各種技術の供与、納税に至る土地の管理をシューゼンワルド辺境伯家に委託し、自分たちはシューゼンワルド辺境伯家の領都か迷宮都市で官職に就いて、年金やら官職の手当て、委託している領地の運用益を合わせて暮らす貴族が大半を占めるようになっていた。


 人手という助けが必要なのはシューゼンワルド辺境伯家とて同じことだったから、官職を求める協力的な貴族家は実力と家柄のバランスを取りながら、迷宮討伐軍と都市防衛隊という二つの組織を使い分けて適切な処遇を心掛けてきた。

 それでも、実力にそぐわぬ自尊心から、無謀な野心を抱く者は幾人かいたが、これらの度し難い貴族たちはアグウィナス家の騒動の前後に粛清し、『療養休暇』中である。


 残りのまっとうな貴族家であっても、迷宮討伐軍で上位職に取り立てられた協力者の家でない限り、ポーションの市販による資産価値の低下や、目まぐるしく変化する状況に不安を覚え、怒りにも似た感情をシューゼンワルド辺境伯家に向けるのが道理だ。しかし、事前にシューゼンワルド辺境伯家から提示された『とある約束』によって、迷宮を倒すまでの間、協力的な体制が築かれていた。


 だから、問題となるのは迷宮都市に居住せず、魔の森の外周に領地を持つ貴族たちだろう。彼らの多くは、中規模以上の領地を有していたり、資源やヤグー隊商の宿営地を領地に持っていたりと、自領地だけで防衛を含む運営が行える豊かな貴族たちだった。

 彼らは、「我らは等しく皇帝の臣であり辺境伯の臣ではない」との主張の元、防衛に関しては一定の協力体制をとるものの、シューゼンワルド辺境伯家の官職を求めてはこなかった。


 高いプライドが邪魔したわけでも、ましてや主張のとおり皇帝への忠心からの行動ではない。単に、損得を秤にかけた結果に過ぎない。彼らの領地の税率が例外なくシューゼンワルド辺境伯家の領地より高いことがそれを物語っている。

 シューゼンワルド辺境伯家とともに民が十分暮らせるよう税を下げ、兵士として迷宮の討伐を行い、魔の森と帝都の警護に努める方が、よほど貴族としても皇帝の臣下としても正しい有り様なのである。


 自らの利を優先するような貴族たちだ。迷宮都市でポーションが市販されるようになって、行動を起こさないはずはない。迷宮というものは流通経路さえ問題なければ、多額の富を生むものなのだ。


 誰が何を考え、どう行動するのか。

 大きく変動する迷宮都市で、ウェイスハルトは難しい対応を迫られていた。




そこそこあらすじ:マルロー嫁&間男執事がやなかんじ。

         迷宮都市にちょっかいかけてきそうなのは、魔の森の外の貴族たち。

         迷子のエドガン、ラブファイヤー!


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