茸栽培コンビ
しとしとと、止むことなく雨が降っていた。
もう何日も晴天など見てはいない。晴れぬ雲間に細く降り続く雨は、街の中心に迷宮を、外に魔の森を臨む迷宮都市という場所を、更に陰鬱なものにしていた。
濡れそぼった町の壁はその薄暗い色合いを一層際立たせて、街全体が喪に服しているようだ。
「マリエラさん、部屋干し用の新しい洗剤、とても好評ですわ! 嫌な臭いがしないと皆さんおっしゃっています。梅雨時にこんな悩みがあるなんて、わたくし、存じませんでしたわ!」
キャロラインがいつもより明るい口調を心がけてマリエラに話しかける。
「うん……、ちょっとでも役に立てて、よかったよ……」
じめじめじめ。項垂れたまま小声で応えるマリエラ。
「マリエラちゃん! 新しいお菓子だよ! これは凄いよ。ヤグーじゃなくて牛の乳のチーズを使ってるんだ。だから癖が無くってコクがある。しかも舌触りがとろけるようでね。こんなの食べたら、口まで蕩けちまうよ」
薬味草店のメルルさんが、牛の乳を固めた菓子を持ってくる。牛の乳など迷宮都市では高級品だ。畜産を行える十分な土地が無いから、粗食に耐え、騎乗も荷運びもでき、肉も乳も取れるヤグーは多く見かけるが、食用のためだけに飼育される家畜の数は極めて少なく、貴族の食卓にしか上らない。
これも、シューゼンワルド家から送られてきた特注の菓子だ。
「あ……、太ったら困るから……。もう、迷宮でダイエットとか、出来ないし……」
じめじめじめじめ。上着の裾をきゅうと握るマリエラ。
リンクスに追いかけられて、迷宮の階層階段を駆け上がった事を思い出して目がうるうるしている。
(しまった! アンタ何とかしとくれよ!)という顔をしたメルルさんの目配せを受けたゴードンが、指定の椅子の上でフリフリと尻フリダンスを始める。
「マッ、マリ嬢! ほれほれ~。こういう湿気の多い日にこうするとな~、ほうれ、椅子がぴっかぴかになるんじゃ~!」
かなり無理がある話の転換だ。そして椅子の座面だけぴかぴかにしてどうするのだ。
ウェイスハルトのために磨いているのか。キャロラインとの仲は進展していないウェイスハルトだが、ゴードンとは既にお尻会いなのか。会話をしたことも無い身分違いの二人なのに。
「……、ゴードンさん、椅子、拭いて帰ってね」
じめじめじめじめ、じめじめじめじめ。
マリエラのじめじめ度が上がったようだ。黙って掃除用の雑巾を指し示している。
「マリエラ……、荷物が届いた……」
じめじめじめ。マリエラ以上の湿度を保つジークが住居部分に繋がる扉から顔を出し、マリエラに声を掛ける。ジークはマリエラよりも繊細な性質だ。本来のウェットな性格にリンクスの一件が上乗せされて、一層じっとりとした雰囲気をかもし出している。
「うん。今行くよ、ジーク……。ごめんなさい、アンバーさんお店お願いします……」
じめじめじめ、じめじめじめ。
「わかったわ、いい香りの石鹸でも作れば、きっと気分も変わるわよ」
そう言って工房へ向かうマリエラを見送るアンバーさん。
マリエラとジークの二人が消えた『木漏れ日』は、心なしか湿度が下がった気がする。
「マリエラさん、お辛いのですね。おいたわしい。でも……」
悲しげに二人の去った扉を見つめるキャロライン。
「えぇ。辛いのはわかるのだけど。でもなんていうか……」
「じめじめして、茸生えそう」
「うん」
誰かが発言した茸生えそう発言に同意する一同。
迷宮都市では死は隣合せで、リンクスのように若くして世を去る事も珍しくはない。
それはとても痛ましいことではあるが、皆それを心に刻んで生きていくのだ。共に過ごした時間に託し、託されたものがある。生き残った者が其れを成すことこそが追悼であると、迷宮都市に住まう者は考えている。
勿論、リンクスの死後、マリエラとジークがそれぞれが己に出来る事を始めた事は知っている。それが何かはわからないけれど、二人が必死の努力を行っていることは伝わってくる。
けれど、何時までも悲しみに浸って、二人で傷を舐めあうように自らを酷使するようなその有り様は、些か悲劇の主人公を見ているような気持ちにさせられた。
ありていに言えば、うっとおしい茸栽培コンビが誕生してしまったのだ。
「ジーク、材料はこれだけなの? 私、まだまだ作れるよ。魔力まだ残っているもの!」
「マリエラ、無理はいけない。昨日だって上級ポーションと特化型の上級ポーションあわせて200本も作ったじゃないか! マリエラにもしものことがあったら、俺はっ……」
じめじめじめじめ、じっとりじめじめ。
二人きりの工房は換気の魔道具が全開で動いているのに、たいそうウェットだ。
だばだばと粘液を吐き出す、ほぼ水分で構成された合成スライムのスラーケンよりしっとりしている。
本気で茸が生えてきそうだ。
いつものマリエラならば、「わー、新種の茸だー。タダで材料ゲットだよ!」などと言い出しそうなのに、今茸が生えてきたとしても、「材料だっ。ポーションつくらなきゃ、わたし、わたしっ!」「マリエラッ」などとさらに茸が増産しそうな会話が繰り広がられるのだろう。
これにはウェイスハルトも若干の戸惑いを感じていた。
先の赤竜討伐失敗の余波によって、錬金術師が危険にさらされた事は聞き及んでいる。迷宮討伐軍基地の地下から常時迷宮攻略が行われていることは一般には開示されておらず、敗退の際に浅い階層に強敵が出現する可能性があるとしても、万一に備えて迷宮を立ち入り禁止にするような措置は行われない。けれども錬金術師の重要性を考えれば、無理やり理由を付けてでも分隊程度の兵士を常時同行させるべきだった。少なくとも、不確定要素の多い討伐日に迷宮に立ち入らせないよう、行動を把握して採取日を変更させるくらいは出来たはずだ。
平時はニーレンバーグを付けているし、Aランク間際の冒険者2名が張り付いているから戦力の上では問題が無いと考えていた。自分たちの赤竜戦に意識を割かれ錬金術師の行動を見逃した自分の失策だとウェイスハルトは考えている。
その結果、錬金術師を助ける為に黒鉄輸送隊の若き精鋭を一人失ってしまった。ディックやマルローはもともと迷宮討伐軍の一員で、任務の最中に仲間を失う経験は少なからずあった。大切な仲間を失うことに慣れる事はないけれど、その死を受け止め、原因を理解し、前に進んでいく方法を身につけている。レオンハルトやウェイスハルトはそれ以上で、だから錬金術師も同じであると思いこんでいたのだ。
屋敷に招いたのだって、赤竜討伐の現状を伝え非を詫びて、共に進んでいく決意を新たにする壮行会であったのに、現れた錬金術師は憔悴しきった様子で、リンクスという青年の死を乗り越えられているようには見えなかった。
赤竜討伐の失敗がリンクスの死に繋がったのだと、その可能性を伝えず迷宮に立ち入らせた自分に責があるのだと伝え、全ての責を負うことは容易い。けれどそれがリンクスという青年の死を乗り越えることに繋がらないことを、ウェイスハルトはわかっていた。
これからも迷宮討伐は続く。参加を表明してくれたディックやマルローが討ち死にする事もあるかもしれないし、共に攻略を進めるうちに錬金術師が親交を深めた迷宮討伐軍の人間が亡くなるかもしれない。その度に自分を責めて憔悴していたのではこれからの戦いを耐える事など出来ないだろう。
マリエラたちを『木漏れ日』に帰したのは、単に『木漏れ日』の警備体制が既に十分整っているからだけではない。劣悪な環境で四六時中ポーションを作ることが生産性に繋がらないからだ。錬金術師に期待しているのは、ポーションを増産する労働力だけではなく、深い知識やそれに基づく思いつきから導かれる、階層攻略の糸口でもある。
攻略に使えそうな特級ポーションの『氷精の加護』はまだ作れないし、過酷な環境下でも活動できる竜人という種族に近い体に変身できるポリモーフ薬の一種、『竜人薬』に必要な赤竜の鱗は手に入ってはいない。
今はまだ、マリエラはリンクスの死を消化しきれておらず、鬱々とポーション作成を行うばかり。最初、迷宮討伐軍に採取させた大量のルナマギアを持ち込んだら、ルナマギアがなくなるまで、魔力切れで倒れる生活を繰り返していた。自らをただ酷使するような有りさまで、故人が浮ばれるものではないのだ。
(見た目通りの少女、ということか……。時間が必要だな)
そう見定めたレオンハルトとウェイスハルトは、晩餐の席であえて他愛ない会話を心がける。まずは笑顔を取り戻すこと。気持ちの整理がついたならばきっと彼女は歩き出してくれるだろうから。
(さて、どうしたものか……)
ウェイスハルトは思案に暮れる。上級ポーションであれば今までの納品分で十分な在庫は確保できている。しかし、対赤竜の妙案が無い。
赤竜のブレスを無力化して見せたエルメラの夫ヴォイドに活路を見出したいところではあったが、それとなく助力を求めたところ、守りは出来ても赤竜を地に下ろし倒しうる攻撃手段が無い事を理由に断られている。
目下のところ、迷宮討伐軍が取りうる手段は、迷宮の各階層に兵士を送り出し少しでも迷宮の成長を妨げるために力を殺ぐ事だけだった。
ようは、膠着状態にあったのだ。
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土が、石が、溶けて固まった草木も生えぬ大地。
迷宮討伐軍を阻む迷宮56階層を思わせる、そんな場所が魔の森の奥深くにもあった。
200年前の魔の森の氾濫の激戦地の一つだ。
Aランクの魔物が徘徊する魔の森の深淵に降立った『炎災の賢者』が振るった炎の猛威は、天を焼き、大地を溶かし、数多の魔物を葬り去った。そのお陰でエンダルジア王国を襲う魔物の勢いは大きく削がれ、僅かながらに人々が生き残ることが出来たとも、魔の森の氾濫の直後に救援に訪れたシューゼンワルド家の軍勢が何とか人の住まう領域を確保できたとも言われている。
その戦いの名残は未だに残されていて、焦土の面積は随分縮小したとはいえ、未だに草木の生えぬ死の大地が残されている。この辺りには200年前と変わらずAランクの地竜が生息しているから、この場所を訪れたことがあるのはディックなど上位の冒険者に限られる。
しとしとと降り続く雨は、魔の森にも余さず降り注ぐ。
不毛の大地は木々などさえぎるものが無い分、降り注ぐ雨に溶けて固まった大地が少しずつ削られていく。
水は大地の弱いところを削り、岩石はひび割れ、風に、水によって風化して少しずつ普通の大地に変わっていくのだろう。
森に近いところは降り積もった落ち葉が腐って土になり、落ちた種子が芽吹いて森が広がってきている。中には背の高い樹木も育っていて、その一本に突如落雷があった。
燃えながら裂けて倒れる樹木。落雷の衝撃も、樹木が倒れる地響きも、さほど珍しいことではない。雨の中飛び立つことのできない小鳥が木陰で身を寄せ合う以外に、落雷の衝撃に騒ぎ立てるものはなかった。
だから、魔の森に棲まう何者も、倒木の衝撃で焦土の一角に穴が開いたことに気がつきはしなかった。
ドクン
止まっていた心臓が動き出す。凍っていた血液がとけてめぐり、肺が酸素を求める。
ヒュウ、と息を吸えば口の中に、大量の埃が舞い込んだ。
「ゲホッ、ゴホッゴホ、カハッ」
息がくるしい、酸素が足りなくて頭がガンガン痛む。空気、新鮮な空気が欲しい。
《換気》
口を開けた穴の底で目覚めた者は《換気》の魔法で新鮮な空気を取り込むと、酸欠で朦朧とした頭で考える。
(なんで、こんなことになってるんだっけ?)
《命の雫》
目覚めた者は手を器の形に合わせると、白く光をはなつ水を汲みだしてあおるように飲み干す。次第に明瞭になる思考、細胞の一つ一つが目覚め、体が力を取りもどす。
天井に開いた穴を爆炎の魔法で吹き飛ばすように広げると、目覚めた者は軽やかにジャンプして地下の穴倉から飛び出した。周囲は魔の森と焦土。この死の大地には見覚えがある。
「結構森に飲まれてんなー。この感じ、だいぶ長く寝てたみたいだけど……」
ぼりぼりと頭を掻いて積もった埃を振り払っていると、人の魔力を嗅ぎつけた地竜が木々をなぎ倒しながら現れた。
ズシン、ズシンと押し寄せる地竜。背丈は3mは越えるだろう。見た目はラプトルを大きくした様な、長い尾を持つ竜だが違いは4本の足で歩くことだろうか。脚は何れも太く短く俊敏ではないけれど、圧倒的な質量と鋼の装甲のような表皮を持つ。
ここは魔の森で、魔物はすべて受肉しているから倒しても亡骸が消える事はない。もしも堅硬な地竜の素材を手にすることが出来たのならば、十分な富を得られるだろう。事実、黒鉄輸送隊設立前にディックとマルローはこの地で地竜に挑み、得られた素材で黒鉄輸送隊を立ち上げたのだから。
当然、ランクに見合った強敵で、ディックであっても複数を同時に相手取る事は不可能だ。マルローがうまく誘導、連絡し、一対一の状況を作り出しての狩だった。
そんな地竜が3匹。
うまそうな餌だと涎をたらしながら、目覚めた者を取り囲む。
「あー、そうそう。こいつらがいたんだっけ。もっと、うじゃうじゃいたけど」
暢気に呟く目覚めた者。地竜の一匹の目がその者を捉えて薄く光ると、大地から無数の石の槍が飛び出す。
《ストーンランス》。
地竜が操る大地の魔法だ。地竜の動きは俊敏ではないけれど、大地の魔法を操って獲物を捕らえ、貪り喰らう。その守りは強固でダメージが通りにくいから倒しにくい上に魔法攻撃が早い難敵だ。
けれど、その者は穴から出たときのように軽やかにジャンプしてストーンランスの先端に降立つと、不愉快そうに一言もらした。
「うっざ」
あの時も、ビシビシバシバシ地面から槍を生やしてくれたんだっけ。だから面倒くさくなって、全部まとめて『溶かし』てやったんだった。
「炎よ、我が眷属よ、共に謳い、舞い踊れ。《炎舞招来》」
その者の、『炎災の賢者』の呼びかけに大気中の熱量が凝縮したかのように空中に炎が幾つも巻き起こり、地面から生えた石の槍も、地竜ももろともに巻き込んで炎の柱が渦を巻くように踊り狂う。いくら堅硬な表皮を誇ろうと、渦巻く炎に空気を奪われ、高熱で焼かれて無事でいられるはずはない。肺の腑から搾り出すような断末魔を響かせて地に倒れ付す地竜を眺めながら、炎災の賢者は炎の只中でくるりと回る。
踊るように、指揮を執るようにその腕が振られると、この場を支配していた炎の柱は掻き消すように消えてなくなり、そこにはぶすぶすと煙を上げる地竜だけが残った。
「うーん。焼きすぎだ。これじゃ食えん」
魔の森の氾濫の時は、人のアジトに踏み込んできた地竜にキレてうっかり全力で魔法を放ってしまった。地竜どころか大地も、自分の家まで焼いてしまったけれど、地下室は丈夫に作ってあるから無事だった。あの地下室はなかなかの出来栄えだった。流石は自分だと炎災の賢者は自画自賛して気分を良くする。地下室を作ったのは大工で、炎災の賢者ではないのだが。
あの時は、ちょっと火力を上げ過ぎて、魔力が枯渇しそうになったから慌てて地下室に駆け込んだのだった。今日は十分弱火にしたはずなのに、火加減というのは難しいものだ。折角の良い肉なのに、これでは食べられそうにない。
ランタンのような小さな火というのは、自分には存外に難しい。だから、地下室には仮死の魔法陣と一緒に燃料がたっぷり入るランタンをすえつけてある。カンペキだ。
「ん?ランタンの……火?」
あー、、、、と情けない悲鳴をあげて、炎災の賢者はしゃがみ込む。
いつもは外でぶちかますから忘れていた。密室で火を灯したら酸素がなくなるじゃないか。
スタンピードが去っても、蘇生できずに眠り続けていたんだ。溶かして固めた入口が開くまでずっと。
「どんだけねてたんだー……」
炎災の賢者の嘆きは虚しく森に響いた。
落ち込むこと10秒。どこかの錬金術師と違って復活が早い。
「ま、いっか。たぶんアイツも目覚めてんだろ。腹減ったし、久しぶりに帰ってやるか!」
道端の花でも摘むように三匹の地竜から魔石と使える素材の一部を剥ぎ取ると、炎災の賢者は迷宮都市に向かって歩き出した。
雨は何時しか止んでいて、雲間に光が差し込んでいた。
ざっくりあらすじ:誰かさんとソックリな感じで、やばいのが目覚めた。




