現れた月は
本話は“オチ”です。ご注意を。
(まさか……、な……)
ジークムントは、腕の中で穏やかな寝息をたてるマリエラを抱きしめながら、傍に置いた手拭を眺める。『ジーク』と刺繍の刺されたそれは、マリエラと出会った日に渡してくれた手拭で、今尚彼の宝物でもある。
折れそうな心を支えてくれるその手拭を、今日のような日に懐に入れたのは不思議ではないだろう。
その手拭はベッチャベチャに湿って無造作に屋上の床に置かれている。
マリエラの鼻水だ。
仕方が無いじゃないか。
あれだけ泣いたのだ。鼻水だって出るだろう。
どれほど大切な宝物でも、マリエラには代えられない。
涙も鼻水も、拭ってやらねばならないだろう。
「わたしを一人にしないで」
そんな告白にも似た願いの後で、マリエラは泣いて泣いて、これまた泣いて、わんわかわんわか大洪水で、干からびるんじゃないかと水を飲ませたら、追加はいりましたとばかりに更に泣いて、一生分泣いたんじゃないかと思うほどに泣くだけ泣いたら泣きつかれたのか、ジークの腕の中でそのまま眠ってしまったのだ。
そりゃぁ、もう、ぐっすりだ。
ジークはリンクスを親友だと思っている。その死が辛くないわけではない。
今だって、リンクスを失った悲しみがギリギリと胸を締め付けている。
彼の死をきっかけにマリエラが自分を求めたとして、良心の呵責を感じないわけではない。
けれど、まぁ、ちょっとイイ雰囲気だったはずなのにな、くらいは思ってしまう。
奴隷に落ちる前は、一通りの遊びはこなしてきたジークだ。下種野郎だった分、弱った女性と事を成した経験だってそれなりにあった。だからこそ、まさかと思ってしまう。
まさかあの雰囲気から、ギャン泣き、鼻かみ、爆睡のコンボがキマルとは、と。
普通、年頃の女性は泣いたとしても目を擦ったりはしない。腫れて酷い顔になってしまうからだ。低級ポーションで治るとしても、泣き顔は狙った相手以外に見せるものではないし、泣いた事実を悟られぬようにするものだ。
しかしジークの腕の中ですいよすいよと眠るマリエラの目はパンパンに腫れ上がり、目だけでなく鼻まで真っ赤になっている。ちょっぴりニードルエイプに見えなくも無くて、なんともいえない気持ちになってしまう。
(……、とりあえず、部屋で寝かすか……)
毛布で包んでいるとはいえ夜は冷える。風邪でもひいてはいけない。
ジークはマリエラを抱き上げると、階段を下り屋上を後にした。
雲間から顔を出した月は、弓のように細い三日月で、どこかの満月男の願いむなしく満ちてはいなかった。
ちなみに、お気に入りの手拭は、綺麗に洗って引き出しの奥にしまいなおした。
マリエラですから……




