遮るもの
「こんにちは。ほら、エリオも挨拶しな」
「こ、こんにちは」
「おや、かわいいお客さんだね。雨の中お使いかい?」
『木漏れ日』にエルメラの息子パロワとエリオがやってきた。薬味草店のメルルさんに声を掛けられて、内気なエリオはもじもじと兄パロワの後ろに隠れてしまう。
二人をみてシェリーが、
「あら、いらっしゃい。今日は何の本、読もうか?」
と声を掛けるとエリオは嬉しそうにコクコクと頷いてシェリーのいる店の隅へと走っていった。
「エリオが遊びに来たいっていうから」
買物でも無いのにお店に来た事を申し訳なく思っているのか少し小声で話すパロワに、
「アタシだって、用も無いのに来てるからね! ほれ、遊ぶ前に《乾燥》! お菓子でもあげようかね」
とメルルは勝手知ったる『木漏れ日』でお茶とお菓子を準備するのだった。
「今日は、お父さん一緒じゃないの?」
「うん、とーさま、急にお仕事だって」
「私のパパもよ。あと、マリエラ姉さまもジークさんもお留守なの」
そんな話をする二人。静電気を飛ばしてしまったのに、避けるどころか一層可愛がってくれるシェリーと遊びたいとエリオが駄々をこねたのだ、とメルルさんに入れてもらったお茶を飲みながら話すパロワ。
話を聞くメルル、アンバー、キャロラインの瞳がらんらんと輝いている事に、いたいけな少年は気付かない。
「そういえば、この前リンクスがマリエラちゃんと二人で夕食にいったらしいじゃないかい」
「そうよ、『ヤグーの跳ね橋亭』で働いてた頃お客に連れてって貰った、私のオススメのお店なの」
「まぁーあ! ついにリンクスさんが動きましたのね!」
「そういうキャル様はどうなのさ、ウェイスハルト様と」
「ウェイス様? いつも部下の体調を心配なさるお優しいかたですわね」
「……、この子達って……」
女性三人の会話に参加しないほうがいいと本能的に察したパロワは、「お姫様の出てくるお話がいい」とブーたれているエミリーの相手をするべくそっと席を離れた。
外は雨が降っていて、通りの石畳や天窓を打つ雨の音はひときわ大きい。
いつもと変わらない『木漏れ日』の中にだけ、外界から切り離された穏やかな空間が広がっていた。
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迷宮第56階層の溶岩台地は、雷帝エルシーが電撃を放った瞬間、真っ白に染まった。
余りの放電量に瞼を閉じていて尚、視界が焼けるようだ。
鼓膜を破るほどの轟音。ハーゲイが付き立てた避雷針代わりの大剣に落ちた《天雷》は、大地を揺らし地響きを立てる。揺れる大地がこの技のすさまじさを物語っている。
《天雷》を受けた赤竜は体のあちこちから煙を噴出しながら体勢を崩し、大地めがけて落下していった。
「やったか!?」
問う兵士にレオンハルトの指示が飛ぶ。
「まだだ! 火山に住まう竜だぞ。痺れて動けん今のうちに止めを刺すぞ!」
地響きを立てて落下した赤竜めがけて駆け出す一同。レオンハルトの言葉通り、赤竜の落下でダメージを受けているのは赤竜を受け止めた大地ばかりで、赤竜自身は所々焼け焦げ煙を上げている他は、外傷らしきものも見えない。ヒクヒクと動いているのは痺れて筋肉が引きつっているのだろうか。
雷帝の天雷がどれほどの時間赤竜の動きを封じていられるのかはわからないが、地に落ちている間に翼だけでも切り落とし、飛行能力を奪わなければ。
この赤竜にどれ程の知能があるかは知れないが、竜種の知能は総じて高い。人間との戦闘がはじめてであったから、盾を打ち鳴らす挑発からの雷撃が有効だっただけで、二度目があるとは思えない。
圧倒的な強さを誇る赤竜ではあるが、斥候や整備部隊への攻撃はブレスのみの単調なものだ。この階層には動きはするが頭すらない火山以外の魔物はいないから、赤竜は知的刺激を受けることなく過ごしてきた。戦闘経験のなさにこそ付け入る隙があるだろう。
この階層が開いたとき、いきなり噴出したガスに迷宮討伐軍が被害をこうむったように、初見だからこそ有効な手というものもある。
「急げ! このまま倒しきるぞ!」
レオンハルトの叫びと皆の思惑は一致している。この赤竜が学習し複雑な攻撃を仕掛けてくる前に倒しきらねば。
だから、忘れていたのだ。
この階層には『歩く火の山』が存在している事を。
ド、ドドドドドドォッ。
何の前触れもなく、一度にそこらじゅうの溶岩溜まりから溶岩が吹き上がる。
こちらに向かってくる『歩く火の山』の歩みは遅く、距離はまだまだ遠い。けれどこの階層自体が『歩く火の山』の体の一部だということか。
直撃を避けられたのは、Aランクの身体能力あっての事だろう。急激に上昇した気温にウェイスハルトが施した氷の皮膜は瞬時に溶ける。
「グァッ」
運悪く大きく息を吸い込んだ戦士の肺を灼熱の空気が焼く。他の者も氷の皮膜が薄い手足にダメージを負っているのだろう。手鋼や手袋で覆われた手足は地肌が見えず、焼けて爛れる様を見て取ることは出来ないが、ギリと奥歯を噛み締める表情が、皮膚が焼ける痛みを物語っている。
「《アイス・フィールド》、兄上! ポーションを!」
「これしきの傷、後だ! 先にやつを!」
再び氷の護りを得るや、一同は再び走り出す。周囲の溶岩溜まりからはマグマが間欠泉のように立ち昇り、溶岩石の雨が降る。高温のそれを防ぐほどの効力はアイス・フィールドには無く触れた場所に深い火傷を負うけれど、そんな事に構ってはいられない。
魔法の射程に入った雷帝エルシーや魔術師は同時攻撃に向けて魔力を練り上げる。ディックも黒槍を掴み槍撃の構えをとり、レオンハルトやハーゲイは剣を手に飛び掛るために脚に力を篭める。
もう少しで、赤竜が近接攻撃の範囲にはいる。
もう少し、あと少し、そんな距離だったのに。『歩く火の山』による噴火がなければ届いていたはずなのに。
そんなタイミングで赤竜が目覚めるのは、迷宮の主の悪意によるものなのだろうか。
ブワッサと、ばい煙と熱気を迫りくる矮小なる敵に向けて放ちながら、赤竜は再び空へと舞い上がった。
《サンダー・ボルト》
《ストーン・ランス》
完全に射程から離れる前に、雷帝エルシーと迷宮討伐軍の魔道師が雷撃を、石の槍を赤竜に放つ。けれど十分に練り上げられていない攻撃は二人掛かりであっても先ほどの《天雷》と比べるべくもなく、地に落とされて怒り狂う赤竜の逆鱗に触れるだけだった。
赤竜の巨大な咢が開かれる。赤竜が飛翔する高度はまだ低く、こんな至近距離からではブレスを逸らすことなど出来ない。
「うおぉぉぉおっ!」
「とどけえぇぇっ!」
どんどん射程から離れていく赤竜にむけ、届けと剣撃を槍撃を放つ面々。せめてブレスの軌道だけでも変えられるものならばと。
けれど、彼らの一撃は赤竜に届くことなく、赤竜のブレスは雷帝エルシーを捉えて放たれた。
「雷帝!」
雷帝エルシーを護ろうとウェイスハルトがとっさに放った氷の壁は炎の前に紙切れのようにあっけなく消え去る。狙われた雷帝エルシーも当然退避行動に移っているが、着弾までに移動できる距離はブレスの範囲を超えるものではなかった。
(あなた、パロワ、エリオ……)
家族の幸せな未来を願って参加した雷帝エルシー、いやエルメラは何を思うのか。赤竜が放つ灼熱のブレスを前に彼女は何を見るのか。
ズズズガァアアアァァン。
至近距離で放たれたブレスはわずかばかりも勢いを失することなく、雷帝エルシーに着弾する。階層を揺るがすほどのエネルギーを持ったそれが至近距離で着弾するのだ。周囲の大地は吹き飛び、爆風が辺りを支配する。比較的近くにいた魔道師だけでなく、赤竜に飛び掛っていたレオンハルトやハーゲイ、ディックらの氷の護りは瞬時に消え去り、全身を熱風に焼かれながら吹き飛ばされる。
これほどの火力だ。万一直撃したならば人間など消し炭すら残るまい。
勝ち誇ったように咆哮を上げながら、更に高度を上げる赤竜。巨大な翼がはためく度に暴風のような風が吹き荒れ、着弾時の粉塵をかき消していく。
(雷帝……!!!)
氷の守りを失い、吸い込んだ灼熱の空気に咽だけでなく肺の腑まで焼かれたレオンハルトやハーゲイ、ディックは血を吐くばかりで声など出ない。
それでも、雷帝エルシーの生存に一縷の望みをかけて、灼熱の大地を這い進む。
クレーターのようにへこんだブレスの着弾地点。
赤竜の翼が巻き起こす風で露わになったその地には、雷帝エルシーに覆いかぶさり護るように一人の男が立っていた。
背丈は平均よりは高い程度。服装はごくありふれた庶民が纏うもので、とても迷宮の最深部に見合うものではない。しかも手足の部分は焼け焦げて体幹部分しか残っていない。服は焼けてしまっているのに、手足には傷一つなく、そしてその肉付きは決して戦士の其れではない。そして何よりも。氷の護りも無いと言うのに、灼熱の大地のなか素足で経つ男には火傷一つなく、露わになった手足には日焼けほどの熱傷すら見受けられないのだ。
ひどく穏やかそうな面立ちの男は、ガラスが割れて歪んだフレームしか残っていない眼鏡の奥から、少し不思議そうに自らが庇った雷帝エルシーを見つめると、
「エルメ……ラ?」
と、あやふやな記憶を探るかのように呟いた。
「あなたっ!」
バリバリバッチーン。
最愛の夫、ヴォイドの首にかじりつく雷帝エルシー、いやもはや愛妻エルメラだろうか。昂ぶった感情のせいで電撃の制御が甘いのだろう。特大の「パチッ」が間一髪助けに入った夫を襲う。
「!!! あぁ、思い出したよ。エルメラ。やはり、君は刺激的だね」
それは、物理的に痺れているだけですよね、と突っ込みを入れられる余裕のある者は誰一人いない。
赤竜のブレスは確かにエルメラを襲い、ヴォイドが助けた。
しかしどうやって? なぜこの男はこの階層で火傷一つ負わずにいられる?
そんな疑問に支配されるウェイスハルトにヴォイドが声を掛ける。
「アイス・フィールドを展開したほうがいい」
その指摘に我に返るや、全員に氷の守護を施すウェイスハルト。全員満身創痍ではあったが、素早くマスクを外して上級ポーションを飲み干すと、何とか動けるようにはなった。
そうしている間にも赤竜はどんどん高度を上げ、もはや《天雷》すら届かない。
「ギィヤアアアアオォォォッ」
その咆哮は苛立ちを孕んでいるようにさえ聞こえる。
自らを大地に落とした報復に、ブレスで消し炭に変えたはずなのに、誰一人殺せてはいないのだから。
ドウッ、ドウッ、ドウッ。
と、ブレスを乱射する赤竜。連射する分1撃の威力は小さいが、Aランカーを焼き殺すには十分すぎる火力だ。
《飛龍昇槍》
ディックの槍撃がブレスを逸らすが、ミスリルの槍は残り少ない。
《ウィンド・ストーム》
《アイスシールド》
魔道師の風魔法では十分な威力を得られず、多少威力をそがれたブレスを盾戦士が斜めに受けて逸らす。
たったそれだけの攻防で盾を握る左腕は酷い熱傷に見舞われる。
次弾をお見舞いしようと再び開かれる赤竜の咢。次は避けきれるだろうか。
「撤退するならば援護しよう」
ヴォイドの声は爆音響く中、レオンハルトの耳に届いた。
(作戦は失敗だ)
レオンハルトは逡巡する。赤竜は再び天を舞い、降り注ぐ火炎の弾は以前と異なり細かく我々を狙っている。再び射程圏内に降下してくる可能性は低く、降りてきたとして、《天雷》の魔力を練り上げる余裕は無いだろう。
(しかし、ここで退けば……)
赤竜はこの戦闘で得た経験を元に更に強化されるだろう。再び挑み《天雷》を食らわせられたとして、耐性を付けているやもしれない。
ズシーーーーン、ズシーーーーンと火の山が近づいている。
長期戦になれば、火の山さえも相手取らなければならない。
命を掛けて参戦してくれたハーゲイを、今まさに死に掛けた雷帝エルシーを、残り少ないミスリルの槍を握り締めるディックを見る。共に闘ってきたウェイスハルトを、迷宮討伐軍の兵士たちを見る。
全員が戦況を解っている。このまま戦ったとしても、赤竜に届く攻撃が無い事を。
全員が解っている。ここで退けばどうなるのかを。
だからこそ、誰も諦めてはいない。ここで命尽きようと、倒せる可能性があるのならば闘い続けようと。
だからこそ、レオンハルトは命令を下す。
「撤退だ」
我々は、ここで、潰えるわけにはいかないのだ。




