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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第三章 芽吹き育つもの
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雨の日に

 ざあざあと、外は雨が降っていた。けれど迷宮の天気は外の天候に左右などされない。

 23階層『常夜の湖畔』はルナマギアの生息地で、大小さまざまな湖と木々の隙間を縫うせせらぎの階層に雨は降らない。


 さらさらと岩の隙間から流れる水、岩を伝うように落ちるこの水に、降りしきる雨は流れ込んでいるのだろうか。水中一面に生えた水苔のせいで深さの推し量れない水面に落ちないように気をつけながらマリエラは、十分月光石の光を貯えたルナマギアを採取していた。


「忙しいのにごめんね」

「気にすんなよ」

「マリエラの護衛が最優先に決まっている」

 申し訳なさそうに謝るマリエラに、気にするなと手を振るリンクスとジーク。


 アグウィナス家の騒動からしばらく減少していた上級ポーションの注文だったが、日々ケロリとしてポーションを作り続けるマリエラの様子に、『仮死の魔法陣の影響で急逝する予兆は今のところ無し』とニーレンバーグは報告をし、日に百本の買取が再開されている。


 攻略済みの階層に蔓延(はびこ)る魔物を討伐することも迷宮の力を殺ぐ方法だから、最深部の攻略に参加できない迷宮討伐軍の兵団はそれぞれの能力に見合った階層で日々魔物の討伐にいそしんでいる。当然ポーションは消費されていくので、上級ポーションの注文量を抑えた状態では迷宮討伐軍のポーション備蓄量は横ばいだった。

 もっとも迷宮都市に残されたポーション瓶の在庫量は5千本を上回る程度で、この半年の間にほとんどがポーションで満たされて空き瓶の残数は残り少ない。最近は、アグウィナス家の地下にあるポーション保管設備を再稼動させ、樽に収められた上級ポーションが運び込まれては、保管設備の巨大タンクへと移し替えられている。

 ちなみに運搬容器に使われている樽はポーションが100本分入る程度のサイズで、ポーション瓶同様に劣化防止の魔法陣が刻まれているのだが、数日という酷く短時間しか効果が続かない。時間が経つと刻まれた魔法陣が消えてしまい、更に時間が経つと枝や根が生えてくるのだ。


 再びポーションの管理者としての務めを得たアグウィナス家であったが、任されているのは管理だけでポーションの所有権は迷宮討伐軍にある。保管設備の稼動に必要な魔石も迷宮討伐軍から提供されるため、場所を貸しているといったほうが正確な状況だ。この状況を知っているのはキャロラインの父ロイスと老いた家令だけで、ポーションの出所の詮索をしないことも含めた強い誓約魔法を課せられている。何れキャロラインが夫を迎えアグウィナス家を継いだ後は、秘密と誓約をも継ぐのだろうが、せめてそれまではこれ以上余計な重責を負わせたくないというロイスの親心でもあった。


 そういった事情はマリエラには知らされていないし、1日100本の上級ポーションの納品は強制事項ではない。唯一人の錬金術師に万一があっては困る、という本音もあるのだろうが『無理の無い範囲で』と口を酸っぱくして言われてはいる。それでもマリエラは毎日100本の上級ポーションを作る。それも100本まとめてではなくて、1本ずつ100回。アンバーやニーレンバーグ親子が『木漏れ日』に常駐する事で空いた時間を使って何回も何回も同じ作業を繰り返す。

 お金が欲しいわけではない。今まで受け取ったポーションの代金は既にマリエラの理解の範疇を超えていて『いっぱい』すぎて数えてもいない。


 もう少しの気がするのだ。もう少しで、道具を一切使わずに上級ポーションを作れるようになる。

 マリエラの《ライブラリ》の解放条件は『道具を使わず錬金術スキルのみでポーションを作成する事』。

 特級ポーションが作れるようになれば、ジークの眼だって治せるかもしれない。Aランクになって自由の身になるお祝いにこれ以上の物は無いだろう。


 だからマリエラは時間も魔力もかかるけれど1本ずつ繰り返し上級ポーションを作りまくっていた。

 しかし残念な事に、1万本近い上級ポーションを作ってきたせいで、迷宮都市のルナマギアが品薄になってしまった。前回リンクス達と採取したルナマギアなどとうに無い。

 マルローに依頼して掻き集めてもらってはいるけれど、次の納品は三日後で、手持ち無沙汰になってしまう。だから、討伐の合間にでもとリンクスとジークに頼んでみたところ、二つ返事で引き受けてくれたのだ。


 依頼料を払うといったのに「リザードマンの素材あるしなー。んじゃ、晩飯オゴリな」という気前の良さだ。丁度、黒鉄輸送隊が迷宮都市に戻ってきているらしく、今回もラプトルと荷物持ちまで連れてきてくれた。

 荷物持ちの男、ジヤにもお礼を言おうとしたマリエラだったが、濁り腐ったどぶの澱みのような青い目でジロジロとマリエラを見るジヤに、声を掛けることが出来なかった。


(あの人……、ジークと会った日にレイモンドさんの奴隷商館でラプトルのお世話をしていた人だよね?)

 ジークの瞳は綺麗で見ているとなんだか懐かしい気持ちが湧き出てくると言うのに、ジヤの目はあまり見ていたくない。ほとんど接点は無いはずなのに、ひどく恨まれているような気がして、マリエラはジヤから離れ、ラプトルを連れてルナマギアの群生場所へと進んでいった。


 マリエラの事をぶしつけな目で観察していたジヤだったが、マリエラに対して何かしたり、近寄ろうとさえしなかった。彼女が何もので、手を出せばどうなるか理解しているからだ。

「おい、ジヤ、こっち」

 リンクスに言われるまま、前回同様のろのろとリザードマンが落とした魔石や皮を拾い、少し離れた場所でマリエラはルナマギアを採取しては乾燥させてラプトルの背に積んでいる。


「グギャー」

 水頂戴と甘えた声を出すラプトルにマリエラは「少しだけだよ」と両手を器の形に合わせて水を与える。この階層は何処もかしこも水ばかりなのに、マリエラの水がいいらしい。このラプトルは迷宮都市での脚として飼われていて、リンクスと一緒に『木漏れ日』にやってきては裏庭で寛いでいる。いつも魔力の篭った水をあげているせいか、マリエラにとても良く懐いている。

 さらさらと流れる水の音、遠くに聞こえる滝の音、時折リンクスやジークが倒したリザードマンの断末魔が聞こえる以外は会話もない。

 空気が冷えている事もあるのだろう。この前来た時は外よりもこの階層のほうが暖かく感じられたのだが、春が来て今ではこの階層のほうが薄ら寒い。

(冷えてきちゃった。あと少しだけ回収したら帰ろう)

 かじかむ手のひらを擦り合わせてマリエラは採取を再開する。


 そして、気付いた。静かだと――。

 リザードマンの声が聞こえてこない。

「ジーク、リンクス」

 二人に声を掛けようとした丁度その時、近くのせせらぎの水が迫り上がるようにして、それらは現れた。



 ************************************************************



「では、行くか」


 レオンハルトが集まった冒険者と、迷宮討伐軍の精鋭達に声を掛ける。

 マリエラ達が23階層でルナマギアの採取を始めて暫らくした頃のことだ。


 熱に弱い装備の物はバジリスク革の装備に換装しているが、ここに集まる者の多くは、身に馴染んだ高価な装備を持っているから、普段の装備に追加されたのはワイバーンの肺をフィルターに使ったマスクだけだ。

 高温からはウェイスハルトの氷魔法で防御する予定で、サポートに徹するウェイスハルトには迷宮討伐軍のAランクの盾戦士が付く。


 火山の歩みは遅い。遠方に移動しているタイミングで突入すれば、すっ飛んできた赤竜だけを相手に出来るはずだ。溶岩地帯というフィールドの悪さを氷魔法のサポートで緩和しつつ、先に赤竜1体を相手取る作戦だ。火山が十分遠くに移動したのを確認し、突入の合図を出す。


 《アイス・フィールド》

 ウェイスハルトが全員に弱い氷魔法をかける。対象を冷気で包み込みゆっくりと凍りつかせる魔法であるが、今は灼熱の大地から皆を護っている。勿論高速で動き回る10人の戦士達に切れ間なくかけ続けなければいけないからウェイスハルトには攻撃に参加する余裕などは無い。


「ギャオアァァァ」

 自らのテリトリーに侵入してきたムシケラを踏み潰そうと赤竜が火山の噴火口から飛び出し、恐ろしい勢いで飛んでくる。


 竜種の特徴の一つに、個体差が大きいことが挙げられる。

 人にしろヤグーにしろ他の魔物にしても、体の大きい小さいや体色の差という物は当然ある。しかしある程度の範囲があって、平均と呼べるサイズや色形がある。しかし竜種に限ってはまるで別の種族かと思えるほどに形も大きさも能力にも差が大きい。個体の総数が少ないためまとめて竜種とされているだけで、戦闘能力に関しても個体差が大きいことが特徴だ。


 そしてこの赤竜、形状こそは2枚の翼を持った飛竜であるが、サイズはワイバーンなどとは比べ物にならないほどに大きい。ワイバーンは馬より大きい程度であるが、そのワイバーンすら一口で食せそうなほどの巨体である。表皮は熱を持った溶岩のように赤黒く、見るからに分厚く強靭だ。恐らく重量も相当にあるのだろう。2枚の翼を広げると体長よりも長く、風を受けて翼膜が張っている。小さくはない翼だがこれだけの重量を支えられるとも思えないし、細かく羽ばたく様子も見られないから魔法と翼を併用して飛翔するタイプなのだろう。

 竜種の中には千年もの時間を生きる個体もいるそうだが、この赤竜は200年も生きてはいない、若い個体と言えるかもしれない。けれどこれだけのサイズに成長しているのは、迷宮に満ちている魔力のなせる業かもしれない。


「クッ」

 相対する事で実感する強者の威圧に誰とはなしに声が漏れる。けれど立ちすくむわけにはいかない。

 高速で飛翔し高所から放たれるブレスに向けて、ディックが何本も背負った槍の1本を放つ。愛用の黒槍ではない。この戦いのために作られたミスリル製の槍だ。


 《飛龍昇槍》

 《ウィンド・ストーム》

 ディックが槍のスキルで放った一撃に、レオンハルトほか風魔法が使えるものが魔法を載せる。魔法と相性の良いミスリルの槍を中心に激しく渦巻く風は竜巻のようで、この槍撃に触れた者はミスリルの槍に届くより先に風の刃でずたずたに切り裂かれるに違いない。

 けれどその強力な槍撃も赤竜のブレスには及ばないのだ。ブレスから僅かにそれる軌道で放たれた槍撃はブレスを削り、その熱でミスリルの槍が溶け切る前にその軌道を討伐隊から大きく逸らした。


 ズ、ズズーンと、地響きを立てて56階層の大地に着弾すると共に吹き荒れる熱風。

 赤竜は高度を変えず、巨体に似合わぬ急旋回を繰り返しながらに2発目、3発目のブレスを吐き、ディックの投槍がその全てを逸らしていく。


 武器だけでなく魔法にも射程距離が存在していて赤竜はその射程に入ってこない。赤竜のブレスはディックの槍で直撃しないが、槍も含めて赤竜に届く攻撃方法が存在しない。


「折角来てやったんだ、恥ずかしがらずに降りてきていいんだぜ!」

 ハーゲイや迷宮討伐軍の戦士達は、盾に剣の鞘をぶつけてガンガンと音を出し、挑発するくらいしかすることが無い。


「つーか、前時代的な作戦なんだぜ? 絵本なんかに出てきそうだぜ」

 最初こそ、強敵の気配に息を呑んだハーゲイだったが、赤竜は頭上を旋回しながらブレスを飛ばしてくるばかり。そのブレスもレオンハルトと魔道師の風魔法を乗せたディックの槍が軌道を逸らすから当たりはしないし、溶岩台地のダメージはウェイスハルトの氷魔法が防いでくれる。


 赤竜が地上に降りてから仕事が始まるハーゲイや二人の戦士職は手もち無沙汰もいいところで、赤竜の挑発に勤しんでいるところだ。はるか昔の幼い日、戦士が盾を打ち鳴らしてドラゴンを挑発する物語を読んだことがあるんだぜ、などと暢気なことを考え始めたとしても仕方がない。

 もちろん、言葉を理解しているかわからない赤竜に「やーい、羽虫。お前の母ちゃん(火山)、超短足!」なんて罵倒を言い出さないだけの緊張感は残っているのだが。


 挑発されている事に気がついたのか、ハーゲイらの様子に隙ありと見たのか、それとも光物を集める習性があるのかはわからないが、赤竜はもう一発ブレスを吐くと、ハーゲイらめがけて急降下を始めた。

 赤竜は巨大で翼も大きい。急降下後一撃を加えて再上昇するつもりなのか、それとも地に下りて闘うつもりなのかはわからないが、あの巨体が接近しただけで風圧で吹き飛ばされそうだ。


 風に飛ばされないようにするためだろうか、ハーゲイは腰の予備の大剣を抜くと地面に突き刺し、そして叫んだ。

「雷帝! いけるぜ!」

《天雷》


 赤竜が雷帝エルシーの射程圏内に入るや、ハーゲイほか戦士達は大きく跳び退り、この階層に降り立って以来詠唱を続けていた雷帝エルシーの大技、《天雷》が赤竜の体を貫いた。




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