シール夫妻
「パロワ! エリオ! 母さまが! 母さまが迎えにきましたよ~!」
『木漏れ日』にやたらめったら嬉しそうな様子でエルメラさんが飛び込んできた。
「パロワ~、エリオ~! ん~っ!」
お店の隅でエミリーちゃんやシェリーちゃんと、本を読んだりして大人しく遊んでいた二人の少年に抱きついて、ほっぺにムッチューとキスをするエルメラさん。
エルメラ女史の素顔を知っているマリエラは特に驚きもしなかったが、素肌を一切見せない紺のロングワンピースに手袋、ブーツ、髪はぴっちりと束ねて眼鏡をかけた、いかにもお堅そうなエルメラのデレッデレなこの有様を、知らぬ人が見たら唖然とするに違いない。現にお店でお茶を飲んでいた薬師の一人は口に含んだお茶をカップにリバースしている。汚い。たった今、『木漏れ日』に『使ったコップは自分で洗う』というルールが誕生してしまった。
パロワと呼ばれた13歳の少年は少しうっとおしそうな表情で「母さん、人前でやめろよ」と言っていて、エリオと呼ばれた9歳の少年は「かーさま」と嬉しそうににこにこしている。
照れくさそうに、嬉しそうにする二人の少年以上に幸せ一杯なのがエルメラさんだ。いつも仕事で子供の世話は夫に任せきりである。母親らしい事をしたい願望が強いエルメラは、『子供のお迎え』イベントにテンションダダ上がりである。仕事中も余りにソワソワソワソワしているので、いつもは人に仕事をやらせてばかりの副部門長リエンドロが、「あとは僕たちがやっておきますから~」と申し出たくらいだ。
尤もリエンドロの事だから、エルメラがやり残した仕事は誰か若手に丸投げするのだろうが。
「マリエラさん、子供たちを見てくれてどうもありがとう。これ、良かったら皆さんで」
ひとしきり子供たちを抱擁したあとエルメラさんは、マリエラに大きな包みを渡した。『木漏れ日』が託児所事業にまで始めたわけではない。夫婦揃って仕事の日に預かっているのだ。『木漏れ日』にはシェリーもエミリーもいるし、常連客も皆子供好きだ。店の隅で大人しく遊んでいられる子供達はたいして手もかからないし、むしろ手のかかる常連客の相手をしてくれて助かるくらいだ。
エルメラが「今日、仕事のついでに捕って来まして」と道端の草でも摘んだような口ぶりで渡した中身は、ブラスト・ロブスター。
両手のひらからこぼれるほど大きな海老である。『突風、爆風』の名がつくように、巨大な鋏から繰り出される遠距離攻撃は大人が石を投げつけるほどの威力があるし、その攻撃を避けて近づいたり捕まえたりしたら自爆して捕食者を攻撃するなんとも命知らずな海老である。自爆によって捕食者を排除した環境で子孫を残すことで、魔物という強者が跋扈する環境で生き延びてきたのだと言われている。
そういう特攻気質の海老なので、当然採取は極めて難しい。そして味は絶品の高級食材である。それが20尾ほども入っている。
ごくり。
マリエラの咽がなる。食材を見て咽を鳴らすなど年頃の娘とは思えないが、ブラスト・ロブスターは卸売市場でも見た事が無い珍しい海老だ。流石は雷帝。こんなものをホイホイ捕まえてくるなんて。
「王様のエビフライにしよう。丸ごと揚げるやつ……。皆も食べてくよね?」
マリエラの提案に顔を輝かせるパロワとエリオ。アンバーさんとニーレンバーグ親子は異論なしといった表情だし、エミリーちゃんに至ってはよだれを垂らしてしまっている。
「まぁ、お礼にと捕ってきたのに。いいのかしら……?」
と人差し指を顎に当てて思案するエルメラに、マリエラはこう提案した。
「旦那さん、まだ戻って来てませんし、パロワくん、エリオくんと一緒に作って食べさせてあげたらどうでしょうか」
『子供と料理』イベントである。しかも『お父さんに感謝をこめて』イベントでもある。エルメラが乗らないはずが無い。父親に食べさせたいのはエミリー、シェリーも同じで、お客が帰り店を閉めたあと、マリエラ、エルメラと子供たち4人による巨大エビフライ作りが始まった。
「ふぇ、えびさんのあしが動いた……」
「あー、ちょっと電撃流れちゃったんだよ。生きてないから大丈夫だよ、エリオ」
弟のエリオはエルメラの血が強く出て、電関連のスキルを持っているようだ。幼いせいで力をうまく制御できないのか、雨合羽のようなゴムの服を着ている。人を電撃で傷つけるのを恐れているのか、兄パロワの後ろに隠れていて、エミリーやシェリーともなかなか打ち解けずにいた。兄パロワはエリオの電撃がなんとも無いのか、よく面倒をみている。いいお兄ちゃんだ。
「この海老は、背中の三番目のつなぎ目から殻をはがすと、ほら、簡単に殻がむけるのよ」
「シェリーちゃんすごいねー」
こちらはシェリーとエミリー。シェリーは解体スキルを持っているらしい。実に手早くブラスト・ロブスターの殻をむいている。
迷宮都市、特に卸売市場で売られている食材は、食べやすいように小分けになどしていない。家族で食べきれる程度の鳥ならば一匹丸ごと売られているし、大物であっても骨付きの塊でドカッと売られている。各家庭で捌くことが多いから、解体スキルもちの女性は嫁の貰い手に困らないと言われるほどだ。
(さっすが、シェリーちゃん)
剥かれたブラスト・ロブスターのワタを取り除き、引き締まった肉を筋きりしながらマリエラは、シェリーの女子力の高さに慄いていた。ちなみに普段全く料理をしないエルメラは子供たちの奮闘を眺めてキャッキャと喜びながら、堅いパンをすごい勢いで摩り下ろしパン粉を大量生産している。アンバーが何やら計算しながらパンを取り出しているから、この機にパン粉を量産するつもりだろう。
「きゃっ」
「ご、ごめ、ごめんなさ……」
ブラスト・ロブスターの殻がうまく剥けないエリオに、シェリーが教えようと手を触れたとき、強めの静電気が当たったらしい。
「大丈夫よ、びっくりしただけだから」
そう言って慰めるシェリーだったが、エリオの方は大きな瞳に涙を一杯に浮かべている。
「ごめ、なさ。ぼく……。おねちゃ、きらいにならないで……」
今までちょっとした接触で静電気を飛ばしてしまい、友達をなくしてきたのだろう。今にも泣き出しそうなエリオを見てシェリーは。
「……、かわいい……」
(……シェリーちゃんは、紛れもなくニーレンバーグ先生の娘だわ……)
マリエラは、このときシェリーとニーレンバーグの共通点が黒髪だけではないことを確信したのだった。
多少のハプニングはあったものの、エリオが小麦粉、卵、パン粉を順に付けて自分の手まで揚げる前のフライみたいにしている間に、シェリーがスープを作り、パン粉の大量作成が完了したエルメラがシュビビビビと音がしそうな勢いで葉野菜を空中でみじん切りにしていた。アンバーがサラダを盛り付け終わった頃に、ブラスト・ロブスターを一匹丸ごとフライにした「王様のエビフライ」は完成した。
パンの大半がパン粉に変わってしまったので、ピラフも炊いて大きな器に載せてある。フードプロセッサーというのは実に便利だ。みじん切りがあっという間で、凄く短時間で出来た。
料理の完成を見計らったように、エルメラさんの旦那さんが『木漏れ日』を訪れた。エルメラさんとお似合いの、とても優しそうな人で眼鏡をかけているところまでおそろいだ。なぜかガーク爺まで一緒にいる。
どうしたのかとマリエラが声を掛けようとしたとき、エルメラさんが嬉しそうにこう言った。
「あなた! お爺ちゃま、お帰りなさい! お爺ちゃまも一緒にお夕飯をいただきましょ!」
驚きだ。いや、言われてみればものすごーく納得がいくのだが。エルメラさんはガーク爺の孫娘らしい。薬草マニアはガーク爺譲りか。
そして、なによりも。
「お爺ちゃま!?」
「……うるせぇ。エル、オメーもいい加減その呼び方ヤメロ」
噴出しそうなマリエラをじっとりと見ながら自分の店に帰ろうとするガーク爺に、二つの影が飛び掛る。
「じーちゃん!」
「じぃじー!!」
「うわ、パロワ、エリオ! エリオはその手で抱きつくんじゃねぇ」
大混乱の『木漏れ日』にジークとリンクス、エドガンも帰ってきて、嵐のような夕食になった。
大勢ででっかいエビフライに齧り付く。いや齧りついているのはリンクスと二人の少年くらいのもので、あとは一口サイズに切り分けて食べている。
ブラスト・ロブスターは肉の味が濃くたいそう美味だが、そのまま揚げると身が引き締まりすぎて少々堅くなる。レシピ通り筋切りをしたお陰で、程よい噛み応えを残したまま口の中でほろほろとほどけて、衣に包まれて濃縮された旨みを存分に味わうことが出来る。
ブラスト・ロブスターは美味しい。とんでもなく美味しいはずなのだが。
「この人ったら、いっつも私がいないと退屈だ、退屈だって言うの」
「キミはいつだって刺激的だからね」
いちゃいちゃいちゃいちゃ。
(なんだろう、半分も食べてないのに胸焼けが……)
人目を憚らずいちゃこらし、「アナタ、はい。あーん」だとか「ソースがついてるよ。ぺろり」だとかやり出すシール夫妻。
マリエラは目のやり場に困ってもっちゃもっちゃとエビをいつまでも噛み続けているし、リンクスはいつもより早い速度で食い散らかして、すでに三匹目に突入している。ジークはマリエラの口元にソースがついていないかチラチラ見るが、今日のマリエラはお行儀よく食べていてソースはついていないから、仕方なく自分の口元にソースをつけて、全員にスルーされている。
エドガンに至っては、堅すぎて普通は残すエビの尻尾をバーリバリと噛み砕いていて、口の中はきっと血だらけだろう。「ブラスト、ブラストォ」とブツブツいっていてちょっと恐い。
「マリエラさんは優秀な薬師でね」などとエルメラは夫ヴォイドにマリエラを紹介しているのだが、二人の世界過ぎて入り込めない。二人の息子は慣れているのか子供だけで盛り上がっている。
「エドガンさんは双剣、リンクスさんは短剣、ジークさんは片手剣で今は38階層でサイクロプスを狩っているんですって」
エルメラの話をうんうんと聞いていたヴォイドだったが、ジークの話で少しだけ止まる。
「ん? 片手剣? 弓を使っているように見えるが……」
そうポツリともらした。
なぜわかるのか。急な指摘に僅かに体をこわばらせるジーク。
「いや、僕も昔は少しだけ冒険者をしていてね。身のこなしや筋肉のつき方、雰囲気からその人の武器を当てるのが得意なんだよ」
少しだけ気まずくなった空気を払拭するように、ヴォイドはにこやかに答えた。
「君は左右で腕の筋肉のつき方が違うからね。勿論片手剣だからというのもあるのだろうけれど、弓特有の肉付きがあってね」
「利き目をやられまして、剣に変更を」
ヴォイドの説明を遮るようにジークが説明する。
「ン? 片目でも狙えるだろう? 利き目を変えるのに手こずりはするだろうが、体はそう忘れるものでもあるまい。一から剣術を身につけるよりはよほど容易いのではないかな」
言いたいことを察したジークが視線を逸らすのをみて、ヴォイドは、
「いや、高位の冒険者に余計な詮索をしてしまったね。気を悪くしたなら謝るよ」
とだけ言うと、再びエルメラとの他愛の無い会話に戻っていった。
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その夜、ジークはしまいこんでいた練習用の弓矢を取り出し、自室で一人眺めていた。
ヴォイドが何を言いたかったのか、ジークは理解している。
「弓を使えないのではなく、使わない」のだと、そう言われたのだ。
(あの頃のことは、思い出したくない……)
精霊眼という強い加護に頼りきっていた自分。弓以外の闘い方を、魔力で体や武器を強化するやり方さえも知らなかった。誰かに頭を下げ、教えを請うということが耐え難かった。誰に師事しなくとも、獣相手の弓矢で十分魔物は倒せていたのだ。
「そんな普通の武器でよく魔物に挑めるな」
そんな事を言われるたびに、自分の力量が優れているのだと受け取って、気をよくした。今ならばわかる。対する魔物に見合った武器や防具を揃えるべきだと忠告されていたのだと。
稼いだ金はあっという間に消えていった。良い武器や防具の代わりに戦いの役には立たない洒落た服や靴を買い、贅沢な酒や料理につぎ込み、派手に遊ぶ。
精霊眼を持つ選ばれた自分、優れた自分が魔の森の辺の辺鄙な村の出身だと、田舎者だと思われたくなくて、流行と聞けば惜しげもなく金をつぎ込んだ。
精霊眼を失った後の事はさらに思い出したくもない。
依頼数さえこなせばAランクに届く。そう思っていたのに、精霊眼無しの自分はCランクでさえ怪しかったのだ。Bランクだと逆上せ上がって虐げてきた仲間たちよりも弱いなどと、認めたくは無かった。
だから「精霊眼が無いから弓は使えない」そう思い込んだのだ。
(けれど今は――)
ジークは弓矢を再び棚にしまいこみ、ミスリルの剣を鞘に納めたまま掲げる。
身体強化も使えるし、武器に魔力を流す事だって出来るようになった。肉体の運動能力だってあの頃よりはるかに向上している。弓を使わなくとも、Aランクに届くのだ。
精霊眼など無くとも、あの時の自分を越えたのだ。あの時の愚かで駄目な自分ではもうないのだと、だから弓が使えなくても良いのだと、ジークはそう考える。
その日ジークは刀身に映る自分を見ることなく、剣を鞘から抜くことなく眠りについた。
今刀身に映る自分を見てしまったら、きっと気付いてしまうから。
それが未練で。逃避で。今尚自分が惰弱なままであることに。
今回のあらすじ:ジーク、3歩進んで2歩さがる




