94.そこにある危険
ホラーもののテンプレ、気が付いた時にはもう遅い。
そして感染もののテンプレ、母は何が何でも子を守ろうとする。
私も子供はいますが、何か起こった時を想像したとき「自分の命あっての物種だ」とつい考えてしまうのは薄情でしょうか?
「皆、言い争いなんぞしとる場合じゃない!
わしらには、もっと早くやるべきことがあったじゃろ!!」
二郎が、いきなり血相を変えて立ち上がる。
あっけにとられている周りに向かって、二郎は声を張り上げる。
「おまえら、すぐ服を脱いで全員の体に噛み傷がないか確認するんじゃ!男と女子供で分かれて、早う見ろ!
噛まれた奴が死霊になってからじゃ遅いぞ!!」
それを聞いた瞬間、部屋のほとんどの者がはっとして青ざめる。
二郎の言葉の意味と、その重さを理解したのだ。
死霊に噛まれて死んだ者は、死霊になる。
そしてこの逃げ場のない状況で誰か一人でもそうなれば……自分たちが助かる見込みはほとんどなくなることを。
中には、意味が分からずきょとんとしている者もいた。
しかしそういう者には、分かっている者がすぐ説明した。
知っているのは、前回の経験者だけではない。外の惨劇を見た者のいくらかは、実際に噛み殺された者が死んでいながら起き上がるところを見ている。
もはや、その危険性を疑う余地はなかった。
村の重役の男がてきぱきと指示を出し、男と女子供を分けてお互い確認するように言う。避難者たちは、素直にそれに従った。
男たちの塊の中で、重役の男は二郎に頭を下げる。
「すまんのう、こんな大事なことに気づかんで……。
あんたは、わしら全員の命の恩人じゃ」
「いやいや、礼には及ばん。
この中で前回のことを一番よく覚えとるのはわしじゃ、これは当然のことじゃよ。こちらこそ、今まで忘れとってすまんかった」
二郎はこの中で最高齢、つまり最も高い年齢で前回の災厄を経験していた。
こんな歳で守られる立場になってしまったが、それでも前回の経験を皆を守るのに生かせてよかったと、二郎は感謝した。
しかし、程なくして部屋の一部に不穏な空気が立ち込めた。
「ちょっと、乱暴にしないで!この子はもう寝てるのよ」
女子供の方で、トラブルが起こったのだ。
一人の母親が、他人の前で子供を脱がすのを拒んだのである。周りが口々に説得しても、その母親は頑として聞かない。
「あんな怖い思いをして疲れ果てて、せっかく眠りについたのに……子供がかわいそうだと思わないの?
確認なら、私が責任持ってやるわよ。それでいいでしょ!?」
母親は、上着をかぶって横になっている子供を必死に守っていた。他人の手が届かぬよう、その身を盾にするように。
「しかしだな、これは皆の命を守るためだ。
全員の安全を確保するために、どうか協力……」
「だーかーら、死霊にならなきゃいいんでしょ!?
自分の子が生きてるか死んでるかなんて分かるし、ちゃんと私が見てるから。何かあっても、私が何とかするから。
自分の子のことぐらい、自分で責任取れるから!!」
重役の男がお願いしても、その母親は聞き入れようとしない。むしろ頑なに自分の責任でやると言い張り、手を引かせようとする。
二郎は、嫌な予感を覚えた。
この母親の態度は、子を起こしたくないという理由にしてはやりすぎだ。一時の眠りと全員の命ならどちらが重いかなど、誰でもわかるはずなのに。
現に他の母親は、寝ていた子を起こしても安全を確認し周りに見せている。
この状況で拒むのは、自分たちが怪しいですと叫んでいるようなものだ。それでもそうするしかないということは、そこまでして見られたくないということ。
子供はすっぽりと上着を被せられていて、肌も息遣いも分からない。むしろ、分からないようにしているようにさえ思える。
どう考えても怪しい……皆の視線が、その母子に突き刺さった。
その時、母親の横で小柄な人影が動いた。
「それじゃ、ちょいと見るだけね」
母親が気づかない間に、タエが細い腕で子供を覆う上着を掴んでいた。母親が止める間もなく、タエは素早くそれをはぎとる。
「あっ返して……」
その下から出てきた子供の肌を見て、全員の目の色が変わった。
子供の肌はすっかり血の気が抜け、ろう人形かと思うくらい白かった。同じ明りの下にいる他の子たちと比べて、明らかに異常だ。
「おい、こりゃまずいぞ……」
噛み傷はまだ見えないが、この状況で皆が思う事は一つだ。
「早くあいつを捨てろ、窓から放り出せ!」
「死霊になる前にこっから出せ!!」
恐怖に駆られた者たちの手が、その子供に殺到する。
しかし、母親は叫び声と共に半狂乱になって子供に覆いかぶさる。何としても渡すまいと、歯をむいて必死の形相で抵抗する。
「イヤーッ!!!
この子は渡さない!殺させない!私が守るんだからぁっ!!
この子があんな化け物になんか、なる訳ない!!」
まさしく、子を守ろうとする母の本能だ。
母親はただ、我が子を守りたかった。子供が傷を負っていることは分かっていたが、それでも自分の手から奪われて殺されるのは我慢ならなかった。
子供はまだ死んだ訳ではないから、助かる可能性があると信じた。ここまで育ててきた我が子だから、助かると信じずにはいられなかった。
我が子が理不尽に殺されてあんな恐ろしい化け物になるなんて、あってはならなかった。
だからそんな事はないと、命がけで信じて守ろうとしている。
その姿に、他の母親たちも胸が張り裂けそうだった。自分たちだって、立場が逆だったら同じことをしない自信はない。
だが、それでも許す訳にはいかない。
自分たちにだって、守る子がいるのだ。その子たちをみすみす死霊に食わせる訳にはいかない。
病んだ枝を切り捨てんとする大鉈が、哀れな母子に迫った。
だが、その時母親が何かに気づいたように目を丸くした。
「あっ……!」
「ど、どうしたんじゃ?」
周りも、思わず伸ばしていた手を引っ込めた。最悪の予感が頭をよぎり、皆が本能的に一歩後ずさる。
そんな中、母親はにわかに体を起こした。
「もう、やっぱり起きちゃったじゃない」
母親のすぐ側で、子供が手足をぱたんと動かす。
母親はそれを見て安堵の笑みを浮かべ、子供を抱き上げる。
「大丈夫よ、怖くない。
ごめんね……でも、ちゃんと生きてるから捨てるなんて言わないよね」
母親は優しく声をかけながら、周りを牽制するように見回す。
子供は動いた、生きている。だから今は捨てなくていいでしょ、と。賭けに勝ってほっとしたような表情。
しかし、周りは緊張を解かないまま、さらに後ずさった。
知っているから……今宵この村では、動いても生きているとは限らないことを。現にそんな奴らが、今も大挙してこの家を囲んでいるではないか。
そうこうしているうちに、子供がゆっくりと目を開く。
その目は、膜が張ったように白く濁っていた。
「だ、ダメじゃ……この子はもう……!」
そう言いながらも、周りは手を出せなかった。うかつに手を出せば、この小さな死霊の歯が食い込むかもしれないから。
それでも、母親は子供を離しがたく抱きかかえたままだ。そんな母親に、うつろな目をした子供が涎を垂らして大口を開ける。
「だめぇ!!」
飛び込んだのは、タエだった。固まって見ているばかりの母親から、子供をひったくる。
一緒に床に倒れ込んだタエの首に、子供の口が迫った。




