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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
90/320

90.弱者の籠城

 舞台は再び平坂神社です。

 そこはほとんどの場所で人も死霊もいなくなり、閑散としていました。


 しかし、まだ一か所だけどちらも残っている場所があって……誰が残っているか、覚えていますか?

 赤い月の光が、石畳に散る血痕を照らし出す。

 平坂神社には、嵐の後の静けさが立ち込めていた。

 鳥居前の参道にあれだけひしめいていた死霊は、今は一体もいない。鳥居の内側にあれだけ詰めかけていた人間も、今は影も形もない。

 ついさっきの惨劇が嘘のように、何も動くもののない不気味な静寂に包まれている。

 それは神社の境内、神殿前の広場にも広がっていた。

 つい一時間ほど前まで、そこには多くの村人が避難して来ていて、皆がここで一夜を明かそうとしていたのに。

 今ここにあるのは、引きずり倒されたテントの残骸。そして鮮血と腐った血に塗れた長机とパイプ椅子。

 人間も死霊も、誰もいない。

 人間は、多くが死霊から逃げて神社を脱出し、一部は逃げきれずに死霊になった。

 死霊は神社内の人間を食らい、神社内にエサがなくなるとそれを追って神社から出ていった。

 おかげで、境内にはただ惨劇の跡だけが残されていた。


 だが、その静かな神社の中に一か所だけ、未だに死霊が集まってひしめき合っている場所があった。

 それは、平坂家の自宅だ。

 もはや主が誰一人残っていないその家に、死霊は群がって手を伸ばしていた。獰猛に唸り声を上げ、粘ついた涎を垂らして、体の一部が潰れても構わず押し掛ける。

 なぜなら、そこには神社で最後のエサがあるからだ。

 主がいないにも関わらず、そこの二階には電気が点いていた。

 主でもないのに、そこに留まっている者たちがいるのだ。

 それに気づいた死霊たちは、これがここでのディナーの締めくくりだとばかりにそこに殺到した。

 後から後から押し寄せる死霊の数十人分の力で窓を破り扉を倒し、洪水のように一階に侵入して埋め尽くした。

 もはや、二階にいる者たちの命は風前の灯であった。


(299)

 二階では、老人や子供とその親たちが身を寄せ合っていた。階下から聞こえてくる不穏な物音と唸り声に怯え、それでも正気を失わぬように必死で支え合っている。

 ここにいるのは、徒歩で死霊から逃げるのが困難な者たちだ。

 無事に死霊から逃げきるには、死霊に追いつかれない速さで集落に逃げて隠れる必要がある。今ここにいる者の多くは、それだけの力を持たなかった。

 ゆえに、無謀な逃亡の末に食われるよりは……と、ここに避難したのだ。

 ここなら、侵入路は一か所の狭い階段に限られる。

 そこさえ塞いで守り切れば、食われることはない。

 それに気づいた村の重役の男は、死霊に襲われて右往左往している老人や親子たちをとっさにここに誘導した。

 こうして、逃げ道もなく助けも来ない弱者の籠城戦が始まった。


 その籠城戦には確かに勝機があった。

 二階には侵入路が一か所しかない上に、地上からある程度距離がある。そのため生者の音や臭いも、地面に足をつけている死霊たちに届きにくい。

 だから電気を消して静かにしているだけで、やりすごせる可能性すらあった。

 たとえ隠れる時既に集まってきた死霊がいても、それだけで済むはずだった。もしくは、それも他の逃亡者に気を取られて去ったかもしれない。

 だが、悲しい事にそうはならなかった。

 ここに逃れた者の中に、静かにできない者……子供がいたからである。

 子供の中でも、今ここにいる子供たちは皆我慢などできない歳の幼児ばかりだった。もっと育って体力がつき理性が出てきた子供は、親や大人と一緒に集落まで逃げられるから。

 こんな小さな子たちが、暗闇の恐怖に耐えられる訳がない。

 まして、周りから常に死霊の不気味な唸り声が聞こえるのだ。

 そのうえ子供たちは、周りの大人たちが死霊に恐れおののきパニックになる様を見ている。とびきり運が悪ければ、実際に人が襲われるところを見ている。

 そんなものに囲まれて、静かにしていられる訳がない。

 試しに電気を消した途端、子供たちは火がついたように泣き出した。見えなくなった親を求めて、体の全てを絞り出すような大声で。

 電気の明りよりさらに遠くまで派手に届くほどに。

 さりとて子供を切り捨てる訳にもいかず……彼らを守るために勝機を削るしかなかった。


(300)

 八畳ほどの部屋には、既にかなりの疲労と苛立ちが漂っていた。

 避難している誰もが、こんなはずじゃなかったと裏切られた気持ちで一杯だった。実際、全員が平坂家に手酷く裏切られたのだ。

(こんな事なら、戸締りして家にいれば良かった!)

(おばあちゃんが行かなきゃ死ぬって言うから慌ててきたのに、何なのよこれは!!)

 小さな子供とその若い親たちは、そもそも死霊を信じておらず避難に乗り気でなかった。それが老親や条例に従って仕方なく来てみたらこんな事になって、たまったものではない。

 自分たちの考えに従っていたらどれだけマシだったかと思うと、疲労は倍増し怒りと恨みが湧いて来る。

 それでも、老人を恨むのは筋違いだとも分かっていた。

 だって、老人たちだって結界がないことを知らなかったのだ。

 老人たちはただ家族のために、自らの経験上一番安全な選択肢に誘導しただけだ。事実、平坂家の怠慢がなければここが一番安全だったのだから。

 それを裏切られた老人たちも、ひどい失望と憎悪に苛まれていた。

(クソッわしらは皆で助かるために、必死でここに来させたのに……!これでは、わしらが間違っていたようではないか!)

(平坂家にあんな事を許すとは、周囲の若人たちは何をやっとった!?)

 こちらも、悪いのは平坂家であり若者ではないと内心分かっている。

 しかし、やり場のない怒りは膨らむばかりだ。

 そんな中耳に入ってくるのは、おどろおどろしい死霊の呻き声と、居場所を知らせるように放たれる子供の泣き声。

 渦巻く悪感情は、爆発のきっかけを探していた。


 そんな中、ひたすら目立たぬように息を潜めている一組の親子がいた。

(お願い……頼むから、早く夜が明けて……!)

 この母の心を占めるのは、それだけだった。

 幼い子供は泣き叫んでいなかったが、代わりに青ざめてぐったりとしていた。目はうつろで、呼吸は浅く速い。

 そして手に巻かれた包帯の下では、傷口が腐臭をまとってきていた。

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