85.処分
平坂親子から伝えられた情報に従い、工場内が動き始めます。
野菊の武器を封じるために、まずやるべきは死霊のせん滅。
つまり工場内にすでに発生している死霊を……。
普通に考えれば実行しがたいことですが、工場にはそれに適任の者がいました。暴力を得意とする肉体派、平時は厄介なあの親父です。
ホールで休んでいる社員たちに、竜也から指示が下った。集められた力自慢の男たちは、緊張した面持ちで事務長から話を聞く。
「現在工場内にいる死霊を、全て停止させる」
事務長は、ごく簡潔にこう言った。
だが、言われた社員たちはぎょっとして青くなった。
「は?そんな事できるのか!?」
「死んでも動いてんのに、どうやって止めるんだよ!つーか、既に動けないように拘束してあるんじゃ……」
騒ぐ社員たちを黙らせ、事務長はいかめしい顔で説明する。
「情報によれば、死霊は頭を……正確には脳を傷つけることで停止する。そうなればもう、人に噛みつくことはない。
社内の安全確保のため、全ての死霊をそのようにする。
よって、おまえたちにそれを実行してもらいたい」
それを聞いて、社員たちの顔がますます血の気を失う。
特にさっきの救急隊の惨劇を見ていた者たちは、この世の終わりのような顔をしてガタガタと震え出した。
彼らの心には、死霊の恐ろしさと気味悪さが痛いほど刻み付けられている。あんなのを再び視界に入れるだけでも、もうごめんだというほどに。
だが、事務長は高圧的に言った。
「怖いのは分かるがな、震えている間に拘束を引きちぎったり扉を破ったりしてこちらに来てからでは遅いぞ。
その可能性が残ったままでは、工場内で安心して休むこともできん!
おまえたちの働きに、ここにいる全員の安全がかかっているのだ。分かったな?」
そう言われて、震えていた者たちもどうにか覚悟を決めてうなずいた。
逆に、今こそ出番だとばかりに張り切る者もいた。酔いが抜けない赤ら顔で勇ましく鼻を鳴らす、陽介の父である。
「フン、死にぞこないなんぞいくらでも潰してやる!
で、もちろん手当は出るんだろうな?」
「参加者全員に五万円、死霊を一人停止させるごとに十万だ」
あからさまな金の話に何人かが眉をひそめたが、今はきれいごとなど言っていられない。どんな方法でも勇気を絞り出して、死霊を倒さねばならないのだ。
一行は武器を取り、死霊のいる部屋に向かった。
最初は、ついさっき負傷者を隔離した部屋だ。
ここには三人の救命士と六人の社員が隔離されている。死霊に噛まれてしまい、もうすぐ死霊になってしまうので、他人を襲わないよう拘束されている。
そのうちの四人が、既に死霊となっていた。
事務長がまだ死んでいない者たちに事情を説明すると、彼らは涙を浮かべて懇願した。
「お願いです。僕たちも同じように殺してください。
もう、少しずつ腐っていくのは嫌なんです!」
「そうしてもらえば、ああならないで済むんですよね?死んでから、絶対に誰かに噛みつかなくなるんですよね?
だったらいっそ、人であるうちに……!」
その訴えに、事務長は非常に困った顔をした。
「君らの考えは嬉しいが……これは殺人になりかねん。
そうだ、緊急時の対応に詳しい石田さんを呼んで来い」
事務長はすぐに、唯一生き残った救命士である石田を呼ぶように指示した。後々厄介にならないために、そういう現場をよく知っている人間を巻き込んだ方がいいから。
もっとも、この訴え自体は事務長としては大歓迎だ。竜也は事務長に、死霊とそうなる者全てを処分しろと命じていたのだから。
「さて、我々はその間に、この死霊共を処理するとしようか」
まだ生きている者たちを後回しにして、事務長は既に死んだ者たちの方に向き直った。
床の上で、血の気を失い目を白く濁らせたモノたちがうごめいていた。
近くにあった適当な布やテープで全身をぐるぐる巻きにされ、芋虫のようにのたうっている。口も塞がれ手を伸ばすこともできないが、白い目はどうもうな衝動を湛えて生きた人間の方を見つめていた。
救命士が二人と、社員が二人。
彼らの魂はもう、この世のものではなくなったのだ。
「こいつらの、頭を潰せばいいんですな?」
陽介の父が、鉄パイプを上段に構えながら言う、その言葉に、元同僚であり元同じ人間であった者へのためらいなどない。
事務長も、そっけなくうなずいた。
「ああ、やれ。
死んでまで苦しませることもないだろう。早く楽にしてやれ」
取ってつけたようなセリフだが、これは少しだけ社員たちの気持ちを後押しした。
死霊になった者たちは、かつて餓死した農民たちと同じ極度の飢餓感を味わう。それは、生きた人間の血肉でほんの一時やわらげる事しかできない。
白菊伝説をそれなりに知っていた、村出身の社員が言っていた。
この苦痛から解放してやるのだと言えば、やることは残酷でも一応言い訳にはなる。蛮行を、自分に納得させられる。
社員たちは、それを己に言い聞かせて陽介の父を止めることなく見守っていた。
もっとも、当の陽介の父に抑えるべき憐憫や罪悪感などない。
酔いの勢いと欲望に満ちた目で転がる死霊を見下ろし、獣のように狙いを定める。
「へへっ今楽にしてやっからよぉ。
でもって、俺のためになって逝けや!」
とてもこれから死にゆく人にかけるとは思えない、軽薄で意地汚い言葉。それを心苦しく思う周りの視線など歯牙にもかけず、陽介の父は鉄パイプを振り下ろす。
「おぅりゃ!!」
次の瞬間、バゴッと鈍い音がした。
鉄パイプが死霊の顔面にめり込み、ぐしゃりと変形させる。人の形を留めていた顔の輪郭が崩れ、片目が外れそうに飛び出し、鼻や耳から血汁が飛び出す。
体が数回、がくがくと痙攣した。
そして、濁った目と口をカッと開いたまま動かなくなった。
そこには、顔の半分が無残に潰れた動かぬ死体が転がっていた。
社員たちは、そのおぞましい光景を何も言えずに見ていた。そのうちの何人かは、口を押えてさっと目を逸らした。
さっき自分たちを殺してくれと言った負傷者も、これには恐怖を禁じ得なかった。
本当にこれで良かったのか、これ以上こんなことをしてもいいのか、という戸惑いと恐れが皆の心に広がる。
その空気に事務長はあからさまに顔をしかめ、陽介の父に言った。
「……せめて、もう少しきれいにできんのか。
事が済んだら、葬式をせねばならんだろ。その時棺の中で見せられんような顔にするのはちとマズい。
特に、村外から来ている者はな……」
「ああ?役人の上層部はこのことを知ってんだろ?
だったら隠蔽や偽装もそっちに任せりゃいいじゃないか」
二目と見られぬ顔になった犠牲者を悼む……という訳ではなかった。ただ会社の今後のことだけを心配した会話だ。
だが、こんな奴らだからこそある意味冷静に対応できる面もあるだろう。
「そうだな……おい、ちょっとそれ貸せ」
事務長が、武器として持ってこさせた刃物の一つに目を留めた。それは、太く短い刃を持つ枝切り鋏だった。
「おまえの力なら……こいつを頭の後ろの方からブッ刺して、留め金を骨のところまで押し込んで、中で刃を開けるか?
それなら、小さな傷で脳をかき回せるだろ」
「ああ、そりゃできるかもな」
事務長から枝切り鋏を受け取ると、陽介の父は別の死霊を足で蹴って転がす。そしてうつ伏せになった首元を踏みつけ、固定した頭に鋏を突き下ろす。
ガスッと深く刃を突き刺し、そのまま力任せに鋏を開く。
すると、死霊はガクリと力が抜けて動かなくなった。
鋏を抜いて顔を見ると、さっきよりは断然きれいな死に顔をしていた。
「よし、これなら正面から見たら分からんだろ。
この調子で、他もやってしまおう」
目的はただ一つ、会社の今後への影響をできるだけ減らしつつ死霊を処分するのみ。信頼すべき社長の命に従い、また次の死霊に鋏が突き下ろされた。




