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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
73/320

73.二人目

 ゾンビに気づかず対応していると、往々にして被害を広げてしまいがちです。

 被害に驚いて人が呼ばれ、その人が被害に遭うとまた驚いて別の人が呼ばれ……。


 そしてゾンビの真の恐怖は、犠牲者が死んでからが本番ですよね。

 部屋の中では、なおも地獄が進行していた。

 無事な救命士の体が、同僚の体から流れ出す血でどんどん赤く染まっていく。食いちぎられた首の傷から、温かい命がどんどん失われていく。

「畜生……こんなの、どうすりゃいいんだよ!!」

 血まみれの手で傷口を押さえながら、無事な救命士は涙すら浮かべて焦っていた。

 噛まれた救命士の顔は、既に紙のように白くなっている。

 出血が止まらない……止めようがないのだ。

 頸動脈を破られた傷は、その血流の多さを表すようにものすごい勢いで血を噴き出す。とても、圧迫で止められる勢いではない。

 圧迫がだめなら元を断つという発想で、手足であれば付け根をきつく縛ってしまう方法があるが……首にそれはできないのだ。

 首の血管は、脳に血液を送っている。そこを締めてしまったら、出血は止まっても脳への酸素供給が止まってしまう。

 そんな事をすれば、待っているのは死……運が良くて脳死だ。

 つまり、生かすために止めることはできないのだ。

 だが、みるみるうちに血の勢いは弱まってきた。

 見た目には喜ばしいが、それが意味するところは……

「おい待てよ、死ぬなよぉ!!」

 無事な救命士が、悲痛な表情で叫ぶ。

 血の勢いが弱まったのは、もう出て行くべき血があまり残っていないから。噴出する勢いがないほど、血流が弱まっているから。

 それこそ、一番大事な臓器である脳に十分な血液を送れないほどに。

 首に当てがわれた無事な救命士の手が、ぼたりと床に落ちる。

「脈が……消えた……」

 頬に涙の筋を作りながら、無事な救命士が放心したように呟く。

 首を噛まれた救命士の命の灯は、あっけなく消えた。皮肉にも、命を救うために来た者がここでの最初の犠牲者となった。

 薄く開かれたまぶたの奥で、死んだ救命士の目がどろりと濁っていった。


「お、おい、どうするんだ!

 救命士が死んだぞ!!」

 白川鉄鋼の社員たちは、驚愕の表情でそれを見ていた。

 救命士が来てくれたから、自分たちは助かったと思ったのに。傷ついておかしくなった女に適切な処置をして、みんな助かると思ったのに。

 その救命士が一人、目の前で死んでしまった。

 いや、殺されてしまった。助けるはずの、傷ついた女に。

 死んだ救命士の血で上半身を真っ赤に染めて、女はまだもがいている。社員たちが机を使って懸命に押さえていなければ、また別の誰かを噛むだろう。

 正直、もうどうしていいか分からない。

 残った二人の救命士のうち、一人は手を噛まれて自分の傷の処置をしている。無事な一人も、目の前で同僚が死ぬのを見て冷静さを失っている。

 自分たち社員も、もう冷静に再び拘束などできそうにない。

 女の負っている傷の凄惨さと、そして救命士が噛み殺されてしまったことで、全員の心に動揺が走り恐怖を植え付けられた。

 もう誰も、この女に近づきたくないと本能で思ってしまうほどに。

 いつも冷静な竜也とて、例外ではない。

(くそっ……一体何が起こっている!?何を間違えた!?

 ここから一体どうすればいい!?)

 こんな異常事態は初めてだ。想像したことすらない。

 死にそうな怪我を負っている女が、ものすごい力で助けに来た救命士を噛み殺す。鎮静剤を打たれたのに。脈も呼吸もなしと言われたのに。

 現実的に考えて、考えられない。

 ただ有り得ないはずの現実が、確かに目の前で広がっていた。


 その時、廊下の方から再び慌ただしい足音が聞こえてきた。

 救急車に待機していた仲間の救命士たちが、かけつけてきたのだ。血まみれの部屋に、再び汚れなき白衣が翻る。

 社員たちはそれを見て、どうか救いになってくれと心から祈った。


「うわっ何てことだ……!

 僕はあいつらの方へ行くから、君は患者さんを頼む!」

 救命士たちはすぐ二手に分かれ、それぞれの処置を開始する。年配の方が死んだ同僚を抱えて放心状態の救命士の方へ、若い方が傷ついた女の方へ。

「おい、まだ現場は終わっとらんぞ!しっかりせんか!」

 年配の救命士が、放心状態の救命士に声をかけ、現実に引き戻す。

「ショックなのは分かる。だがな、そうしている間にも体を動かせば助けられる奴がおるだろ。

 いついかなる時も、助けられる奴を助けるんだ。

 そいつは、後でしっかりいたわって供養してやるしかない」

 死んでしまった救命士を床に寝かせると、放心状態だった救命士を手を噛まれた救命士のところへ連れて行く。

 我に返った救命士は、泣きながらも仲間の止血を手伝い始めた。

 一方、若い救命士は暴れる女を見て注射器を取り出す。

「大丈夫です、すぐ鎮静剤を打ちますからね」

「おい、さっきの奴もやったが効かなかった……」

「きっと血管に入らなかったんですよ。これだけ血を失っていると、静脈に打つのは大変ですからね。

 少しリスクが高いですが、動脈に打ちます」

 そう言って、若い救命士は女の頭を押さえつけて首の動脈を探し始めた。

 だが、すぐにその顔が曇る。

「あれ、脈が……見つからない……?」

「何をやっとるんだ、早く打たんか!」

 年配の救命士もかけつけてきて、二人がかりで女の静脈を探そうとする。しかし、すぐに年配の救命士も焦り始めた。

「な、何だこいつは……!

 こんなに強い力で暴れとるのに、脈が触れない……。それに、首や体幹のこの体温……これじゃまるで……」

 思わず、口から漏れてしまった言葉。

「もう、死んでるみたいじゃないか……」


 そして、同じように死んでいるのはこの場に彼女だけではない。

 全員の視線が外れたところで、先ほど死んだ救命士がむくりと起き上った。

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