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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
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71.覆いの下

 見てすぐゾンビと分かれば、取れる対策はいくらでもあります。

 問題は、目の前のモノをゾンビだと認識できないただその一点なのです。

 だって、取り押さえるために拘束するってことは……。

 傷ついた女の白く濁った目が、事務員を捉える。

 いきなり、その体がぐねっと身じろぎをじた。

「わっ……!」

 事務員は、思わず手を引いた。

 後ろから、救出隊の男たちが息を飲むかすかな音が聞こえてくる。助けようとして噛まれた恐怖を思い出しているのだろうか。

 こいつらにあんな話を聞かされたせいで、ただ動いただけなのに不気味に思えてくる。

 生きていれば、動くのはごく当たり前のことなのに。

(落ち着け、まずは呼吸さえ確認すればいい。

 しっかり息さえしてりゃ、救急隊が来るまで放置でいいだろ)

 事務長の厳しい視線を背中に感じながら、若い事務員は傷ついた女に再び手を伸ばす。そして、口と鼻を覆っている作業着の袖をほどく。

 その口元が露わになった途端、その場にいた全員が目を丸くした。

「げぇっ……!」

 女の口は、唇と頬の一部が抉れて歯と歯茎が見えていた。そのうえ歯茎の色が健康的なピンクではなく、青黒く変色している。

 あまりにひどい有様に、見ている者は言葉を失った。

「お、おい……君たちは、こうなっている事に気づかなかったのか?」

 竜也がどうにか絞り出した問いに、救出隊の一人が答える。

「暗い中でしたし、こっちも怪我人を出しながら取り押さえるのが精一杯で……顔も血だらけだとは思いましたが……」

 確かに、暗い中襲われながらではここまで確認するのは無理かもしれない。

 その様子を見ていた事務長が、さらに不愉快そうに眉をしかめて言う。

「ほら見ろ、だから言ったんだ!

 救出はできても、それじゃ重症かなんて分かる訳ないだろ!

 見てみろこの歯茎の色を!これが元気な奴の色か!?どう考えても血流不足か酸素不足で死ぬ寸前の色じゃないか!!

 もうすぐ救急隊が来る、蘇生するフリだけでもするんだ早く!!」

 耳をすませば、かすかに救急車のサイレンが聞こえ始めている。こんな状態なのに何の処置もしていないと、第三者に見られてしまう。

 そうなれば、会社が払うべき代償は……。

 慌てて騒ぎ立てる事務長に急かされ、事務員たちは仕方なく女の体に触れた。

 その瞬間、ガチンと固い音が鳴った。

 見れば、傷ついた女が身を捩り、事務員の手を見て歯を打ち鳴らしていた。

「ひいっ!?ちょ、本当に噛もうとしてますよこれ……」

「押さえつけろ!何のための人手だ!?」

 事務長に言われて、救出隊の怪我をしていない男たちが傷ついた女を囲み、頭や体を強く押さえつける。

 傷ついた女はなおも口を開いたり閉じたりしているが、事務員はおっかなびっくり鼻と口の前に手を差し出した。

 すると、女がまた身を捩る。

 それでも恐怖に耐えて、じっと鼻と口に手をかざすこと十秒ほど……。

「あれ……息、してなくないか?」

 事務員の背中を、じりじりと焦燥が這い上がる。

 噛まれるギリギリまで手を近づけてみても、空気の流れを感じない。確かめるように自分の鼻と口にも手を当ててみると、そこでは空気が流れている。

 固まってしまった事務員に、焦れた事務長が声をかける。

「おい、どうなんだ?」

「あ、えっと……息を、感じないんですけど……」

 その答えに、事務長と竜也がみるみる目を見開く。

「それはまずいぞ!!」

「何てことだ……おい、早く処置を!

 人工呼吸……は、この口の怪我では難しいか。ならば心臓……早く、脈を確認するんだ!」

 竜也の指示の下、社員たちは雷に打たれたように反応して動き始める。

 怪我が軽い者や事務長も手伝い、少しでも拘束を緩めるように女を縛っていた作業着をほどいていく。

 暴れられる可能性など、今はどうでもいい。

 人の命の危機なのだ。とにかく、救命に手を尽くさなくては。

 人一人の賠償は高くつく。会社の財政的にも、社員の精神的にも。だから社の未来のために、最善を尽くさなくては。


 かくして、死は解き放たれる。


「くっ……そこ、手をどけろ!」

「もうちょっとだが……くそっ、死にそうなのに何て力だよ」

 心臓マッサージをするために、社員たちは傷ついた女の体を覆っていた作業着を外し、体を床に押し付ける。

 しかし、それだけの作業がうまくいかない。

 拘束が解けるにつれ、傷ついた女が体を動かすようになったのだ。

 首に手を当てて脈をとろうとしても、女は手がある方に顔を向けようとして首を動かす。手首は動かないように押さえつけているため、脈どころではない。

 じりじりと過ぎていく時間に、社員たちの肌に汗がにじむ。

 見ている者たちも、言い知れぬ心のざわめきを覚えていた。

「ねえ、何で……死にそうなのに、こんなに動けるのよ?」

 ひな菊が、全員の心の中にある疑問を口にする。

 実際、傷ついた女の抵抗はかなりのものだ。普通ならもう意識もないような息も絶え絶えの患者が、どうしてあんな力で動けるのか。

 さらに、力ずくで女を仰向けに寝かせると、もっとおぞましい光景が目に飛び込んでくる。

 覆いを外された女の胸や腹は無残にシャツを破り取られ、その下の傷口から見えてはいけないものがのぞいていたのだ。

 赤く濡れた棒状の骨と、ひもとレバーのような何かが……。

「ひ、ひいぃっきゃあああ!!!」

「見るなひな菊!!」

 ひな菊が恐慌を起こして絶叫し、竜也が慌ててその目を塞ぐ。

 社員たちもあまりの凄惨さに、心臓が縮み上がる思いだった。

 まさか拘束の下がこんなになっていようとは、誰が想像しただろうか。拘束した側も、その時は気づかなかったのだ。

 だって、こんなになっている者が歩ける訳がないし。

「そ、そんな……こんなの一体、どうすりゃ……」

 こんな状態では、心臓マッサージもできない。


 だが、ここでようやく救急隊がかけつけてきた。

「お待たせしました。すぐに処置を開始します!」

 これで助かった……社員たちの体から、少なからず力が抜けた。

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