63.放たれた罪人
人も動ける死霊もいなくなった神社の入口で、異変が起きていました。
カギとなるのは、大罪人。
彼女たちの看守となるのは野菊、そして他の死霊を将として率いるのも野菊。その野菊が倒れたからこそ、予定外の異変が始まったのです。
赤い月の光が、朱塗りの鳥居に降り注いでいる。鳥居から神社の奥につながる参道には、ところどころ赤い血溜まりができていた。
赤に彩られたそこは、今はもうしーんと静かになっていた。
さっきまであれほどたくさんいた死霊たちは、もうここにいない。皆人間を追って神社の奥に押し寄せるか、音に引き寄せられてどこかに散ってしまった。
生きた人間も、もういない。皆死霊から逃げてここから去るか、もしくは死霊になって餌を追っていった。
ここにあるのは、動かぬ死体ばかりだった。
頭を撃ち抜かれて倒れ伏した骸だけが、赤い月に照らされていた。
突然、そのうちの一体が動いた。
「ん、うう……ああ~……?」
呻き声を上げて少し手足をばたつかせた後、ゆっくりと身を起こす。そして再び日本の足で立ち上がった。
赤い月の光が、彼女の頭のかんざしをキラキラと輝かせる。
その身にまとうは、黒地に色とりどりの菊が咲き乱れる華やかな着物。はだけて破れていても、血の汚れを免れた花は鮮やかにその色を主張する。
その女の名は、間白喜久代。
前回の災厄にて白菊塚の封印を解き、野菊によって終わらない黄泉の呪いを受けた大罪人の一人であった。
さっきは田吾作に頭を撃たれたが、大罪人がそれで解放されることはない。
たとえ頭を破壊されても、時間が経てば再生して復活する。
しかも、起き上った喜久代の挙動はさっきとは違った。
彼女はなんと、周りの状況を確認しようとするかのように辺りを見回したのだ。周りは静かで人もおらず、死霊の食欲を刺激するものはないというのに。
そして彼女は、遠くに明るい建物を見つけた。
「あ、な、に……てっ……きに、ミつか……」
彼女の口から、明らかに意味を持った言葉が漏れた。
喜久代は、ぼんやりと自身の変化を感じていた。
何かの枷が外れたように、少しだけクリアになった意識。お腹が空いて喉が渇いているけれど、何も考えられないほどではない。
さっきまでの、有無を言わさず意思を消し去られるような感覚がない。
おかげで、少しだけ考えることができるようになった。
(ここ、どこかしら……?)
辺りを見回すと、鳥居と石畳が目に入った。神社のようだ。
喜久代は、はてな、と思う。
最期に意識を失った時、自分は自分の邸宅にいたはず。それなのに、いつの間にこんな所まで来たのか。
とりあえず家に帰ろうと思って集落の方を見ると、大きくて窓や夜灯の明りが目立つ建物が目に留まった。
喜久代は、反射的に怒りを覚えた。
(何やってんのよ!あんなんじゃ、敵機に見つかる!)
空襲を防ぐために、夜は光を漏らしてはいけないのに。灯火管制を知らないのか。
(ぶちのめしてやる……あたしの村で、あんな事して……)
軍人の娘としての使命感に駆られて、彼女は歩き出す。
頭の中はまだノイズがかかったようにぼんやりして、考えようとしてもうまくいかないけれど、お国のために行動することは反射と言えるほど叩きこまれている。
そうだ、自分はお国のためにこの村を任されているのだ。
村の誰も、自分と家族に逆らうことなど許されない。
だからあんな、軍の命令に逆らって自分の顔に泥を塗るような奴は、力ずくでも罰を与えて思い知らせてやらないと。
それに、お腹もすいたし……あんな非国民なら、食べたって誰も怒らないだろう。
喜久代は、意思を持った足取りで踏み出した。
その視線の先には、窓の明かりと夜灯がこうこうと光っている大きな建物……他でもない白川鉄鋼の工場があった。
意思を取り戻した死霊は、喜久代だけではなかった。
しばらく倒れていた喜久代より先に、二人の女が白川鉄鋼へと歩を進める。
二人はいずれも着物姿の死霊。一人は長髪を後ろで一つに結い袴をはいた、女学生風の娘。もう一人は彼女に似た面立ちの、中年と思しき女。
「とうさま……の、こうじょ……ウ……」
「ムスめ、の……カタき……」
常人よりは鈍いものの、力のこもった足取りで工場の明り目指して歩いていく。
さらに、別の方向に歩いていく死霊もいた。
頭から抜いた白菊の花を手に持ち、チラチラとそれに目をやりながら歩いていく。身にまとうは、黒地に大輪の白菊模様の着物。
一人違う方向に足を進めるのは、紛れもなく白菊姫その人であった。
「き……く……」
全てを塗りつぶす飢えと渇きがいくぶん和らいだことで、白菊姫は大切なことを思い出していた。他でもない白菊姫にとって大切なこと……すなわち、菊のことである。
(見たこともない菊じゃ……この花は開き損ねておるが、うまく開けばどれほど美しい形になるものか……。
見たい……この花の畑は、どこにある……?)
死霊と成り果ててあいまいな意識の中でさえ、真っ先に考えるのは菊のこと。
いつの間にか頭に挿さっていたこの斬新な花の在処を求めて、白菊姫は明かりの少ない畑の方に歩いていった。
後に残されたのは、相変わらず地に倒れたままの死体。
その中には、頭を撃ち抜かれた野菊も混じっている。
もう動ける死霊はほとんど、ここから離れてしまった。
大多数の意思を持たない死霊たちは、餌である生きた人間を追っている。逃げる人間について、村中に散っていく。
少しだけ意思を取り戻した大罪人は、それぞれ勝手に行動している。
この黄泉の尖兵どもを、制御する者はいない。
野菊は未だ気絶したままだ。
こうして、野放しになった地獄は村中に広がっていった。




