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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
61/320

61.留まる者

 逃げるのが大変な老人のターンです。

 そして、社務所に置き去りにされた哀れな男から田吾作は真実を聞き……。

 神社は、死霊に制圧されつつあった。

 表の鳥居から押し寄せてきた死霊は、止まることなく神社の奥へと歩き続ける。さらに、食われて死んだ村人たちがその列に加わる。

 片や人間の数は、減る一方だ。逃げ遅れた者や判断を誤った者は人でなくなり、奥にいた元気な者は我先にと神社から逃げ出す。

 しかし、逃げたくても逃げられない者たちがいた。

「しっかりしろ、タエ!」

「ああ、二郎さん……私はもう……」

 背後に迫って来る死霊の声を聞きながら、畑山タエは動けなかった。

 二郎に手を引かれて逃げるうちに、足をくじいてしまったのだ。暗くて視界が悪い中、年老いたタエの足は石畳の隙間に引っかかってしまった。

 二郎も近年は持病で体力が落ちており、タエを背負って逃げる力はない。

「二郎さん、あなただけでも……」

「ダメだ、おまえを置いて行けるか!ずっと守ると、約束したじゃろが!」

 それは遠い日、赤い月の下、暗い蔵の中での誓い。

 しかし、今の二郎にそれを果たせる体力はない。助けを求めようにも、元気な者はもうこの場にほとんどいない。

 二人が動けない間にも、死霊は近寄って来る。

「あ、ああ……二郎さん逃げて!私はもういいから……」

 丸腰でタエを守ろうと立ち塞がる二郎に、死霊がゆらゆらと歩み寄る。誓いとか覚悟とか人の都合などお構いなしに、ただその肉で飢えを満たそうとやって来る。

 だが、その死霊はいきなり頭から地面に倒れ伏した。

「無事か、二人とも!」

「田吾作さん!!」

 そこにいたのは、村の最後の守り手となった田吾作だった。残弾の少ない銃を背負い、代わりにテント設置用の鉄パイプを手にしていた。

 田吾作は鮮やかな手つきで、殴り倒した死霊の頭を叩き潰してとどめを刺した。

 しかし、一体の死霊を倒したとて危機は変わらない。

 神社には相変わらず夥しい死霊がいるし、時が経てば今襲われて死霊の気を引いている者たちも死霊になるだろう。

 神社は、人が生きられる場所ではなくなる。

「田吾作さん、いい所に。

 どうか、タエを運んで……」

 二郎のすがるような頼みに、田吾作は冷たく首を横に振る。

「だめだ、ここから一番近い民家まででも、どれだけ距離がある?わしももう若くはない、死霊に追いつかれずそんなに長いことは無理だ」

「そんな……」

 無情な事実を突きつけられ、打ちひしがれる二郎。

 だが、そこで社務所の方から声がかかる。

「おーい、逃げれんならこっちへ来い!

 平坂家の二階に、今歩いて逃げられんモンを移動させとる。一晩もつか分からんが、階段を塞いでやり過ごすんじゃ!」

 それは、社務所に控えていた村の重役たちだ。

 社務所には、外で夜を過ごすのが辛い老人や幼い子供が集められていた。当然彼らは、この闇の中死霊に追われながら他へ逃げるのが難しい。

 そのため、重役たちは彼らを平坂家……清美と聖子の家の二階に移動させていた。

 死霊たちが活動できるのは、日の出までと決まっている。それまで狭く上にいる者が有利な階段を塞いでしのげば、もしかしたら生き残れるかもしれない。

「そうだな、歩けん以上今はそれが最善じゃろう」

 すぐに社務所の方から男が走ってきて、タエをおぶって運んでいく。

 その間に、田吾作は重役に聞いた。

「……で、清美さんは?」

「すまん、逃げられた!聖子ちゃんと二人で……残っとるのは達郎だけだ」

 予想通り、清美は聖子と車で逃げ去った後だった。清美の立場で考えればそうするしかないのだろうが、腸が煮えくり返る行いだ。

「そうか……なら、自宅をどう使われようが文句は言えんな。

 それと……達郎はどこだ!?奴には確かめにゃならん事がある!」

 平坂家に避難する二郎とタエから離れて、田吾作は守り手の使命を果たすために社務所に駆け込んだ。


 社務所の一室で、達郎はだらしなく座り込んでいた。

 好きなだけ酒を飲んでいい気分になっていたのに、いきなり起こされて死霊だの何だのと騒がれ、妻はつれないわ部外者には怒鳴られるわでご機嫌斜めだ。

 せめて静かに寝かせて欲しいのに……またドタドタとうるさい足音がする。

「ん……何だよぉ?」

「達郎貴様ぁ、結界の儀式はどうした!!」

 現れたのは、さっき怒鳴りつけてきた重役と田吾作だった。

 達郎は、ぶっきらぼうに答える。

「んあぁ~……やったよ、清美と聖子が、そこの樽の奴でさあ。おまえらも、そこはちゃーんと見てたんだろぉ?」

 達郎に言われて、田吾作と重役は転がっていた樽を手に取る。間違いなく、毎年結界の儀式に使う神酒の小樽だ。

 しかしその中の液体をなめた途端、田吾作の顔に驚きが広がった。

「……こりゃあ水だ!

 おい、どういう事じゃ!?」

 問い詰められて、達郎は悪びれずに答える。

「どういう事って……酒は飲むものだろ?その通りに使っただけだあ。地面にまいちまうなんて、こんな上等な酒にすることじゃねーし……」

「おまえが、勝手に飲んで水を入れたのか!?」

「飲んだけどぉ……清美もいいって言ったよぉ……。

 えーっと、伝統ってのは人間が始めたものだからぁ、終わらせる人間がいてもいい……だっけか?」

 それを聞いて、田吾作と重役はあぜんとした。

 つまり、飲んだのは達郎だが清美はそれを容認し、さらに儀式をきちんと行ったように偽装までしていた。

 彼女にとって面倒な伝統を、なし崩しでなくしてしまうために。

 田吾作の体が、怒りでわなわなと震えた。

 あの女は結局、自分のことしか考えていない。自分への風当たりを弱くするためだけに、嘘に嘘を重ねて多くの村人を死に追い込んで。

 これが、守り手のやる事か。

 その嘘を信じて死んでいった村人たちを思うと、田吾作は怒りを抑えられなかった。


 ガターンと、大きな音がその怒りに水を浴びせる。

「こ、こりゃ玄関か窓が破られたぞ!

 死霊が来る!田吾作さんも早く二階へ!」

 重役が田吾作の手を掴み、引いて走りだそうとする。だが、田吾作はその手を振り払って鉄パイプを握りしめた。

「わしは、神社を出る。他の皆に、このことを伝えにゃならん」

「い、今からか?そんな無茶な……!」

「わしが行かんで誰が行く?

 このことを誰かが伝えんと、あの清美がまた息を吹き返して好き放題やるかもしれん。そこの愚図に全ての責任を押し付けてな」

 確かに、その可能性は高い。清美の性格から考えて、ほぼ確実にやるだろう。

 それを防ぐためには田吾作と重役のどちらかが生き残らねばならないが、平坂家の二階が一晩もつかは分からない。

「なに、わしも現役の猟師だ。一人なら、生き残って見せる。

 それに、餌ならある」

 ズルズルと、引きずるような大勢の足音が近づいて来る。重役がはっと目を向ければ、既に死霊が廊下から迫っていた。

 その死霊たちの前に、田吾作は迷いなく達郎を転がす。

「せめて、わしらの逃げる時間を稼いでもらおうか。

 ほら、死霊がそこにおるぞ!」

「へ、死霊?そんなのいる訳……」

 なおも現状が分からない達郎めがけて、腐った手が一斉に伸びる。次の瞬間、酔いも一気に醒め果てる痛みが達郎を襲った。

「あぎゃあああ!!!」

 ここに来て、達郎はようやく現実を認識した。

 明らかに生きた色ではない、悪臭を放つ目を濁らせたモノたち。自分の体中に噛みついている。助けてくれる者はいない。

「うあぁっ何だよ!?清美!聖子!誰かあぁーっ!!!」

 どうしてこうなった。自分は、キツい労働をしなくてもいい職に就いて、家と土地と地位のある女を嫁にし、娘もできて人生勝ち組のはずだったのに。

 達郎に、その答えを求める時間は与えられなかった。

 そして達郎が儚く命を散らす間に、田吾作と重役は逃げおおせていた。

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