59.地獄の始まり
さあゴアシーンの始まりです。
あるという想定だった防御が実はないと、その反動で被害が大変なことになります。
それに、災厄を経験していない世代は噛まれた人を見たら助けちゃいますよね(ゾンビあるある)。
その負の連鎖に、良心ある村の老人や有力者はどうするのか……。
「あぎゃあああ!!!」
突如響いた絶叫に、村人たちはふと口をつぐんだ。
反射的に目を向けたその先で、一人の男が倒れた。足の辺りから黒っぽい液体を飛び散らせ、身をよじってのたうつ。
その男の下半身に、何体もの死霊がまとわりつく。
身をかがめて、顔を男の体に近づけて、粘ついた口を顎が外れそうなほど開いて……その口が閉じるたびに男が叫ぶ。
村人たちは、固まったままそれを見ていた。
もはや、何が起こっているかは間違えようもない。
男は、食われているのだ。
時を越えて蘇った、忌まわしい死霊たちに。
「そ、そんな嘘だろ……!?」
「嘘じゃねえ、あれが嘘なもんか!!」
理解するにつれて、村人たちに津波のような恐怖と動揺が広がっていく。後方の者は何が起こっているか分からなくとも、前方の勢いに押されて雪崩のように逃げ始める。
だが、いかんせん人が多すぎて思うように動けない。
そのうえ、動きを間違える者たちもいる。
「おい、放せコラ!」
「すぐ助けてやるからな!」
噛まれている男の友人と思しき数人が、噛まれている男を掴んで死霊から引き離そうと引っ張る。
無論、死霊たちが餌を手放すはずがない。
その間にも、男には次々と死霊が群がり、足ばかりか胴体まで食い荒らす。両側から引っ張られるせいで、腹が破れた傷はミチミチと開いていく。
「あぎゃ……や、やめ……ぐげっ……!」
力は傷ついた体の耐久力を容易く上回り、男の体は上下真っ二つに裂けた。
「うわあああ!!?」
引っ張っていた友人たちは、男の上半身とともに勢いよく後ろに倒れる。その顔に、男の体から飛び散った血しぶきがかかる。
予想だにしなかった惨事に、友人たちは悲鳴を上げて恐慌に陥る。
だが、死霊は待ってくれない。
へたり込んで動けない友人たちに死霊の波が襲い掛かり、一斉に手を伸ばす。あっという間に友人たちは、助ける側から襲われる側に回る。
「あなた、しっかり!」
そうするとまた、その友人たちの家族などが助けに入ろうとする。もちろん死霊たちはやって来た餌に平等に手を伸ばす。
そうして芋ヅル式に、十数人が死霊に噛まれた。
最初の男が噛まれてからこの間、わずか数十秒。始まってからこれだけ短い時間でこれだけ多くの犠牲が出るのは、前代未聞である。
これも、守り手の巫女による前代未聞の不手際が原因であった。
そんな中、老人たちが声を上げ始める。
「助けに行っちゃならねえ、自分のことだけ考えて逃げろ!!」
「噛まれた奴にゃ手ぇ貸すな、そのうち死霊になるぞ!
むしろ、できるなら頭砕くか首を折れ!」
田吾作や畑山夫婦を始めとした、前回の経験者たちだ。混乱の極みにある村人たちに、少しでも自分たちの知ることを伝えて逃がそうとする。
その言葉に耳を貸し、親しい人に背を向けて逃げる村人が増え始めた。
だが、それでも諦めきれない人はいる。助けようとした人が次々食われる惨劇を前にして、それでも食われている人を見捨てられず動けない若者がいる。
ただ震えて叫ぶことしかできない若者に、死霊は容赦なく手を伸ばす。
と、その若者を後ろに引き倒して一人の老人が盾になった。
「ぐぁ……は、早く逃げろ!死ぬのは、未来のないわしらで十分……」
ところが、そこでさらに予想だにしない事が起こった。幼い子供が、逃げる親の手を振り切って老人を助けに走ったのだ。
「おじいちゃんをいじめるなー!」
体中に食いつかれた老人が最期に見たのは、可愛い孫の首に死霊の歯が食い込む光景だった。
「くそっ……何てザマだ!」
田吾作は、自らも逃げながら歯を軋むほど噛みしめていた。
自分としては、気づいてから最大限の努力をしたはずだ。声を限りに逃げろと伝え、村人たちに状況を気づかせようとした。
だが、状況は芳しくない。
襲い来る死霊たちを前に、村人たちは必死で助け合おうとするのだ。
それ自体は、悪いことではない。いかなる種類の災厄であれ、個々に身を守るより助け合った方が助かる者が増えるのだから。
だが、助けようとする者の範囲が問題だ。
「おい、そいつを放せ!
噛まれた奴はもう助からん、逆におまえに食いつくぞ!」
「何言ってるの!?この人はまだ生きてるのよ!
助けを求める怪我人を放り出せなんて、あなたそれでも人間!?」
老人たちが助言しても、前回の経験がない世代の者たちは噛まれた者に手を差し伸べるのをやめない。
怪我人は助けるべきだという、一般常識と情けに従っているのだ。
前回を知らない者たちは、噛まれた者が死霊になるということが実感として分からない。それがどれだけ危険な事か、想像できない。
だから目の前に怪我人がいれば、常識と情けが優先する。
今、村はそんな世代が八割を超えているのだ。
止めようとする声より助けろという声の方が圧倒的に大きく、そのうえ老人たちに非人道的だと非難を向けてくる。
「田吾作さんも、弾があるなら少しでも撃ってくれよ!」
「ダメだ、もう十発もない。
今ここで撃ったとて焼け石に水……」
「何だよ役立たず!臆病!
一人でも目の前の人を助けようって思わないのか!!」
この数の死霊に少ない弾では時間稼ぎにもならず、かえって音でさらに死霊を集めてしまうのに。
経験がない若者たちには想像もできず、ただ田吾作を罵って喚き散らす。
どうしようもない経験の差が生み出したこの状況に、田吾作はどうすることもできなかった。
だが、ここでそれなりに若い声を張り上げる者がいた。
「皆、お年寄りの言う通りにするんだ!
少しでも多くの人が生き残るために、悔しいが怪我人は捨てるんだ!」
それは、村の菊農家の有力者である泉宗平だ。宗平は老人たちを非難する若者たちに、老人ではない立場から声をかける。
「我々はこの災厄を知らない、ならば知る者に従うべきだ。
村の未来のために、これ以上被害を増やすな!」
しかし、当然それを聞いた村人の非難は宗平にも向かう。
「あんたまで、何ちゅうことを!」
「村のためとはいえ、家族を見捨てるなんてできる訳ないだろ!しかも、それを他人にまでさせるなんて……」
口々に喚く村人たちに、宗平は厳しく重々しい視線を向けて言った。
「何を言ってる?できるだろう。
さっき、うちの娘を放り出せたじゃないか」
瞬間、場が凍った。
これだけの混乱の中でも、その言葉が耳に届いた者は皆一様に息を飲み、言葉を失う。
その通りだ、自分たちはやった。
ついさっき、清美の言う黄泉の罰とかいう建前の下、宗平の娘である咲夜たち三人の子供を生贄として放り出したじゃないか。
理由はもちろん、村のこれからを考えてその方がいいと判断したからだ。
なのに、今目の前に迫る危機から少しでも犠牲を減らすために、やらないなんて意地を通せるものか。
あまつさえ、自分たちは清美と聖子たった二人の嘘を信じてそれをやった。今度は、経験のある老人たちが全員同じことを叫んでいるのに。
「くっ……悪く思わんでくれ!」
いたたまれず、多くの村人たちが襲われている者を見捨てて走り出した。
それを見ると、宗平も自らの目にたまった涙を拭って社務所へと走った。




