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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
58/320

58.異変

 少し時間が遡ります。

 清美と聖子が逃げ出した直後、村人たちは異変を目の当たりにする事になりました。


 さあ、惨劇の始まりですよ。

 清美と聖子が立ち去ってすぐ、村人たちは異変に気づいた。

「……何だ、この声?」

 低く、地鳴りのように響いてくる唸り声。それは無数に重なって不気味な音となり、神社の入口に流れてくる。

 その発生源に気づくと、村人たちはぎくりとした。

「これは、死霊が……!」

 唸っているのは、参道にぎっしりと並んでいるおびただしい数の死霊。今数えようとすれば、百はいるだろう。

 その大量の死霊たちが、ことごとくこちらを見て唸っている。

 村人たちは、困惑した。

「こんな声、さっきまで……」

 そう、さっきまで死霊たちは声を出さず静かにしていた。だから清美と野菊の会話がはっきり聞き取れたのだ。

 だが今は、重なった唸り声が空間を満たしている。

 心臓を掴まれたように押し黙ってしまった村人たちの前で、さらなる異変は起こった。

 ざくり、とこれまたたくさん重なった音が響いてくる。それの原因は何だろうと考えて、村人たちは気づいた。

「おい、死霊が……動いてないか?」

 気が付けば、死霊たちはこちらに向かって一歩を踏み出していた。

 村人たちは、背筋が凍るような寒気を覚えた。

 さっきまで、死霊たちは立ち止まって動かなかった。最初に近寄ってきた奴らはともかく、野菊が現れてからは動いていなかったはずだ。

 それがなぜ、いきなり動き出したのか。

 村人たちが訳も分からず見ている前で、死霊たちはゆっくりと前進する。まるで潮が満ちるように、じりじりと鳥居に近づいていく。

 それでも村人たちは、そこから動こうとしなかった。

 だって自分たちは、安全地帯にいるはずだ。死霊が入れない結界があるのだから、襲われないはずだ。

 ただそれだけを信じ切って、にじり寄ってくる死霊たちを見つめていた。


 そうしている間にも、死霊たちは近寄って来る。

 胸が悪くなる臭いをまき散らし、生気のない顔で村人たちの方を見つめながら、ぎこちなく体を揺らして歩を進める。

 ふと気が付けば、鳥居との距離はあとわずかだった。

 死霊の波を間近で見て、田吾作の頭の中に警鐘が鳴る。

(まさか……いや、そんなはずが……!)

 反射的に、田吾作は銃の構えを解いて後退していた。

 頭の中で、こんなことをする必要はないだろうと理性が笑っている。しかし猟師として磨き上げられた本能が、全力で危険を告げていた。

 直後、銃身があったところで死霊の手が空を切る。

 はてな、と首を傾げた。

 自分は、体はもちろんのこと銃身も鳥居の先に出していないはずだ。そんな事をすれば、銃を掴まれて結界から引きずり出されたり銃を奪われたりするから。

 だから、銃身があったところは結界の中のはず。

 しかし、今そこを確かに死霊の手が通った。


 これは一体、どういうことか?


 田吾作の全身が、総毛だった。

 難しく考える余地など何もない。目の前で起こった事実から導き出される答えは、たった一つしかない。


(結界が、張られていない!!)


 解答に辿り着いたそばから、死霊がまた一歩前に出る。その足は、わずかだが鳥居から内側にはみ出していた。

 それに気づいた瞬間、田吾作は叫びながら飛びのいていた。


「皆、下がれえええ!!!」

 田吾作の渾身の叫びが、死霊どもの呻きを押しのけて闇を突き破る。

「結界がないぞ、死霊が来る!!

 早う逃げろ!!」

 田吾作は全身が硬直しそうになるのを無理矢理動かして、社務所の方に駆けようとした。しかし、どん、と人垣に阻まれる。

 顔を上げると、狐につままれたような顔の村人たちがいた。

「何言ってるんだ、結界がないなんて……そんな事ある訳ないじゃないか」

 村人たちは、結界がないという事実を信じられないようだった。

「馬鹿を言うな、わしゃきちんと見とったぞ。

 夕方、清美さんと聖子ちゃんが神酒の樽を持って榊の枝で境をなぞっとった。結界の儀式を、あいつらはちゃんとやったんじゃ」

 昼間祭りの手伝いで神社にいた年配の男が言う。

 儀式をやるところを見たのだから、結界がないはずがないと。

 だが、そうしてまごついている間にも、死霊は近寄って来る。見れば、もう完全に先頭は鳥居よりこちら側に入っていた。

「いや、田吾作さんの言う通りだ!

 ここにいてはまずい、早く皆後ろに下がってくれ!」

 現状を認めた泉宗平が、とりあえず下がるように声を張り上げる。

 しかし、村人たちは動けなかった。

 理由は簡単、村人たちも森に囲まれたそれほど広くない参道にすし詰めになっているからだ。そのうえ、後方にいる者たちは未だに危機を認識していない。むしろ何が起こっているのかその目で見ようと、前に押しかけてくる。

 そのせいで、前にいる村人たちは下がりたくても下がれない。

 押し合い圧し合い押し問答を繰り返しているうちに、死霊ばかりが歩を進める。

 そんな中、迫って来る死霊の恐怖に耐えきれなくなった一人の男が、人垣から飛び出して死霊を蹴りつけた。

「おい止まれよ、こっち来んな……あ……」

 男の足を、死霊の手ががっちりと掴んだ。

 あっけにとられている男の前で、死霊がぐわっと口を開いた。

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