34.怠惰と拒絶
相変わらず更新が遅くて済みません。
ちんたらしている間に畑の菊が色あせてきました。
今回は引き続き聖子たち平坂神社回、惨劇につながる重要なミスが明かされます。役目には、放棄していいものといけないものがありますよね。
ようやく雨が上がり、日が差してきた。雨に濡れた神社を、西日の光が赤く照らす。
神楽を終えた聖子は、転がり落ちるように神楽殿から退出した。そして、着物を脱ぐより冠を外すより速くヘッドホンを耳にかぶせる。
そこから頭を揺さぶるような大音量が漏れ始めると、聖子は一息ついた。
(あー……やっと解放された!)
体から力が抜け、眉間のしわが消える。
肩の荷が下りたようにくつろいで、聖子はこの偉大なヘッドホンに感謝する。
(やっぱ、最後に頼れるのはコレよね。うるさい奴らの声も打ち消してくれるし、抗う勇気と気合をくれるわ!
私と母さんの人生には、これが何より必要)
聖子は、忌々しい神楽殿の方を振り返って舌打ちする。
(全く、半日もこれを外さなきゃいけないなんて、ふざけてる!
神楽なんてただの儀式なんだし、はやしと踊りが見た目上合ってればいいんでしょ。だったら、別の音楽を聞きながら踊ったっていいじゃない。
そのためなら私、いくらでも練習するわよ!
なのに、みんな私と母さんの気も知らないで……!)
脱ぎ捨てた巫女服や冠を、腹立ちまぎれに投げ捨てる。
聖子の胸は、自分たちにはめられた枷から逃げることも許してくれない周りの人間への恨みで一杯だった。
みんな、何も分かってくれない。
この全てを吹き飛ばす轟音と反抗的な歌詞を流し込んでくれるヘッドホンは、自分と母の心が自由であるための必需品なのに。
生まれた時から聞こえてくる、死霊だか死神だかの声から解放されるために。
聖子と母の清美は、ずっと他人には聞こえない声に悩まされてきた。母の話を聞く限り、平坂家の特に女性には代々同じことがあるらしい。
不気味でしつこくて、自分たちを束縛しようとするおぞましい声。
祖母の代までは、皆がそれに屈しそれに導かれるままに仕えていたという。
だが母はこの文明の利器と自立を後押ししてくれる新しい文化に出会い、初めてそれを拒絶して自由を得た。
そんな母を見て、聖子も同じように生きたいと思っていた。
聖子にとって死霊の声は振り払うべき邪魔者であり、激しいロックとそれを聞かせてくれるヘッドホンこそが神器だった。
(……それにしても、最近はうるさすぎるのよ!)
募る苛立ちを吹き飛ばすように、聖子は音量を上げる。
うるさいのは音楽ではなく、死霊の声の方だ。
(お母さんも言ってるけど、今年の夏に入ってからのうるささは普通じゃない。聞いて聞いてって、しつこいったらありゃしない。
こんなにウザいのは、初めてだわ!)
聖子と清美にのみ聞こえる死霊たちの声は、最近尋常でなく攻勢を強めている。とにかく聞いてくれ構ってくれと、つきまとってくる。
このところ二人のヘッドホンの音量が上がりっぱなしなのは、そのせいだ。
何を訴えたいのか知らないが、所も時も構わず話しかけられるこちらにとっては迷惑この上ない。自分たちには、他にやることも考えることもあるのに。
そんな状況での、ひな菊からの絶交だ。
例年はたとえヘッドホンを外さなければならない時でも、ひな菊がよこしてくれた取り巻きとのおしゃべりで気を紛らわしていられた。
しかし、それが一番必要な今に限って、取り上げられてしまった。退屈な神事の途中も、ヘッドホンを持っていってはいけない学校でも、気を紛らわすものがない。
かといって、今さら咲夜たちの側につくのは屈辱で耐えられない。
この状況は、聖子にとってとてつもない苦痛だった。
着替えが終わると、待っていたように父で神主の達郎が顔を出す。
「よく頑張ったな聖子、ほらジュース……わぷっ!?」
笑顔でジュースを持ってきた父の顔めがけて、聖子は舞で使った扇子を投げつける。扇子は見事に当たり、達郎はジュースの缶を自分の足にぶつけて飛び上がった。
「ぷぎゃ!?ちょ、父さんにはもうちょっと優しく……」
「うるさい!!誰のせいでこうなったと思ってんのよ!?」
聖子は怒りのままに父を蹴りだし、パーンと乱暴に障子戸を閉めた。
「パーパが悪いんだぁ!!」
障子に移る娘の影に浴びせられた罵声に、達郎は尻尾を巻いて退散するしかなかった。
(ったく、何だよお……)
前祭りが終わって気だるい空気の社務所を、達郎は痛む足を引きずって歩いていく。その顔には、やり場のないうっぷんと疲労がにじみ出ていた。
手には、娘の聖子に差し入れるはずだった缶ジュースが握られている。
一瞬ウサ晴らしにそれを飲んでやろうかと思ったが、やめておいた。
もらえると思っていたジュースがなくなっていれば聖子は怒りを再燃させるだろうし、ついさっき落として衝撃を与えた炭酸ジュースを今開けない方がいいのは明白だ。
しぶしぶジュースを冷蔵庫に戻しながら、達郎は思う。
(聖子が辛いのはまあ、分かる。
でもあんな言い方はないだろ!俺はただ、一般的なことを言っただけなのに……)
達郎にとって、さっきの聖子の罵声はショックだった。
確かに聖子がひな菊に絶交されてしまったのは自分のせいもある。あの日白菊姫の伝説について尋ねてきた聖子に達郎がいい加減でいいなどと言わなければ、聖子が今ここまでの状況に陥ることはなかっただろう。
しかし、達郎の方も詳しい事情を知っていた訳ではないのだ。
達郎としては、自分は仕事について一般論を述べたにすぎない。
達郎がいた都会では、仕事の多くは細分化されて多くの分野に分かれていた。だから仕事とは目の前のことを処理することであり、常に現場の人間が全体像を覚えている必要はない。
ここでもその感覚で通用すると思って、達郎はああ言ったのだ。
それに多種多様な仕事があふれ人間があふれている都会では、学校行事ごときの失敗が将来に影響することはほぼない。
都会育ちの達郎にとっては、それが現実だった。
しかし悲しい事に、人が親密な山村の神職でそれは通用しなかった。
今回の事件でできてしまった聖子とひな菊の間の溝は、二人が村の有力者であり続ける限り将来に響き続けるだろう。
妻の清美も、最近そのことでよく達郎に愚痴を言ってくる。
達郎も自分の一言が家族と将来設計に甚大なダメージを与えてしまった自覚はあるので、言い返すことができなかった。
しかし心の中では、何でこんなに責められなきゃいけないのかと不満で一杯だった。
その不満を手っ取り早く解消する何かを、達郎は探していた。
と、そんな達郎の目に大量の酒瓶が飛び込んできた。
元々酒が好きな達郎は、思わず頬を緩めて引き寄せられる。
社務所の一室に所狭しと並べられた酒は、村の家々から神社に奉納されたものだ。この神社に対する信仰心の高さを表すように、上等な酒の大瓶がずらりと並んでいる。
毎年この菊祭りの時期に、達郎はこうして大量の酒を手に入れていた。これだけあれば、しばらく好きなだけ飲めるだろう。
だが、今のこのモヤモヤを払うにはただの酒ではだめだった。
達郎は、部屋の隅に置かれている小さな樽の酒に目を留めた。
(おっ……いっそこいつを飲んじまうか!)
それは、これから夜にかけて大事な儀式で使う酒だった。
中秋の明月の夜、神社に死霊を入れぬために結界を張るのに使う酒。例年、この日の夕方に榊をほうきのように束ねて、神社の境に沿って榊を筆代わりに酒で線を引く。
だが、そんなしきたりは今やこの家族にとってうっとうしい無駄ごとでしかなかった。
特に達郎は、今のやり場のないうっぷんを村と神社の伝統にも向けていた。そんなものがあるから、自分と聖子がこんな事になったのだと。
「へへっ神様よぉ、もしいるならずいぶんひでえ事してくれるじゃねえか?
お詫びにこの酒、俺がもらっちまうぜ。
いなきゃいないで、文句なんか出ねえ!」
腹立ちまぎれに、達郎はその酒をがぶがぶと飲み始めた。途中で妻の清美が来て見つかったが、清美も特に咎めはしなかった。
「そうね、伝統や迷信なんて結局人が始めたんだから、終わらせる人がいたっていいのよ。
こんな事しなくてもいいって分かったら、無駄な仕事が一つ減って助かるわ。今年は代わりに、水でもまいとけばいいでしょ」
清美も、達郎と同じ意見だった。しかも今年はいつも以上に死霊の声がうるさいので、苛々してやり返したくなっていた。
達郎は久しぶりに妻の笑顔を見て喜びつつ、樽の中身を水に替えてしまった。
この三人の家族は、何も分かっていなかった。
この村と神社の伝統がなぜこんなに厳格に守られていたのか、何のために毎年結界を張らなければならないのか。
死霊や黄泉の神々が、何を訴えるためにこんなに声を上げているのか……。
耳を傾けていれば予知できたはずの有事は、もうすぐそこに迫っていた。




