315.白菊姫物語
ついにタイトル回収、咲夜の演じる白菊姫物語です。
あの夜直に白菊姫を見た咲夜が演じる、白菊姫の真の姿とは。
そして、その劇を見て大樹が気づいた二人の似ているところ、そして運命を分けたところは。
全く違うようで実は似ている、今昔菊娘。
ホールでは、本日のメインイベントが始まろうとしていた。
この村の菊の由来を語り、菊に溺れるゆえに村を滅ぼしかけて一揆に散った姫の教訓を伝える演劇。
その名も、白菊姫物語。
客席の周りも舞台も、菊の生花できれいに飾り付けられていた。
特に大輪の菊で囲まれた舞台は、その清らかな色も相まって、一つの大きな祭壇のようだった。
余計な一言を加えるなら、葬式のような。
しかし、これはこれで正しいかもしれないと大樹は思った。だってここで演じられるのは、死者の物語なのだから。
「写真、位置に着いたか!?ビデオカメラ、よーし!」
スタッフの確認の声に合わせて、大樹はビデオカメラを構える。
皆からはいい席に座って見ろと言われたが、大樹はあえて手伝いを選んだ。直視して、我を忘れたくなかったから。
だが、結果としていい位置にはなった。
これも、皆の要らぬお節介なのかもしれない。
(大丈夫だ……カメラごしなら、ただの映像でしかない。村のために、広報のために、しっかり撮るんだ)
大樹は自分に言い聞かせて、カメラをのぞいた。
一方、舞台袖では咲夜が美香に背中を押されていた。
「今のイメージとか、いろんな人の見方とか、今は考えなくていいの。
あなたの思う白菊姫を、演じていらっしゃい」
咲夜はうなずき、幕の向こうから差し込む光を見据えた。開演の時間が近くなり、その光がフッと消える。
(白菊姫……私、ちゃんとあなたを伝えるよ)
咲夜の瞼の裏に、あの夜見た白菊姫のいろいろな顔が浮かぶ。
自分と世界を隔てる幕の向こうで、ブーッと開演のブザーが鳴った。
「昔々、まだ侍が世の中を治めていた頃、たいそう菊を愛する一人の姫君がおりました。姫は一番好む花から、こう呼ばれておりました……白菊姫、と」
静かなナレーションに合わせて、幕が上がる。
菊に囲まれた舞台には、一人の姫が立っていた。
黒字に大輪の白菊模様の着物、そして頭には菊を象ったかんざし。伝説から抜け出てきたような白菊姫の姿が、そこにあった。
しかし、ただ大事に育てられただけの姫ではない。
姫の肌は真っ白ではなく、日焼けしていた。髪もまっすぐではなく、少し乱れてくせがある。
化粧をあまり施さず、かつらも被らない、咲夜のままの地。
箱入りで世間知らずで身を滅ぼした姫には、似つかわしくない。外から見に来た人は、所詮田舎の催しだと残念に思った。
しかし、劇が進むにつれて、見る目が変わった。
白菊姫は、自分で畑に出て菊の世話をする。決して一人ではないが、その足で土を踏みしめて日の下で菊を見て回った。
飢饉の年の、カンカン照りの下でも、白菊姫は自ら畑に出向いて菊を心配した。
だから、白菊姫は……これでいいのだ。
ただ屋敷の奥で献上された菊を愛でるのではない。自らの労をいとわず、我が子のように手をかけて育てる。
勤勉で地道な面も強い、正真正銘の菊畑の開祖。
その白菊姫が、日焼けしておらず髪の乱れもない、訳がない。
咲夜は、そんな白菊姫を忠実に演じていた。
一般的なわがまま姫とは違う、己の好むものに全身全霊を捧げて愛した、情熱と努力の姫がそこにいた。
この一般的なイメージとの落差に、観客は引き込まれた。
これまで白菊姫を悪人としか思っていなかった村人たちも、胸を打たれた。
白菊姫は、決して甘やかされて育った浮ついた姫ではない。むしろ、しっかり大地に根を張る、太い茎をまっすぐ天に向ける菊のよう。
ただ、その水と養分を吸い上げる力が、周りを枯らすほど強かっただけ。
ひな菊のものだった着物で、咲夜は演じ続ける。
「ええい、そんな話は聞きとうない!!
その話を今すぐやめよ、やめよと言っておるのじゃ!!」
どうか水を分けてほしいと懇願する、輝夜ふんする野菊を、怒鳴りつけて手ひどく追い返す。友情も、踏みにじる。
しかしそれは、ただわがまま姫が相手を見下しているのではない。
自分の作物を何が何でも守ろうとする、育む者ゆえの激情だ。
いくら他者のためと理を説かれても、目の前にある自分の畑を捨てられずにかじりつく、工場やゴミ処分場に反対する農家と同じだ。
白菊姫は、民を踏みつぶしたかった訳ではない。
自分の菊のことで頭が一杯で、民どころではなかっただけ。
自分の興味のあることに没頭すると寝食すら忘れる、研究者気質なのだ。それが、時と場合によって村の存続や多くの命とぶつかってしまった。
だから、悲劇の姫なのだ。
「わらわが百姓を殺した?それは言いがかりです!
わらわは、菊を育てようとしただけで、人を殺めてなど……」
自分の得意分野にのめり込むあまり、それしか見えなくなっているだけ。決して、からかっているとか言い逃れしている訳ではない。
白菊姫の表情にも声音にも、悪意は欠片もない。
ただ、自分のやろうとしていることを懸命に分かってもらおうとしている。ただし、相手の都合を考えるにも自分の偏った知識と思考しか使わないが。
「後生じゃ、命だけは助けてくれい!!」
命乞いも、自分のためだけではない。
悔い、謝り、将来の償いもちゃんと考えていた。
決して、ずるくこの場さえ切り抜ければとか、相手をなめているとかではない。白菊姫の表情は真剣そのもので、目はしっかりと野菊を見据えて向き合おうとしている。そして、菊で人を豊かにする使命に燃えている。
それでも、やってしまったことと状況は姫を許さなかった。
「……もし、食べ物があふれる現代に彼女が生まれていたら、彼女の人生は大きく花開いたかもしれません。
そして今、村には彼女からつながる菊が咲き誇り、村を支えています。
我々は彼女に敬意を表し、しかし教訓は語り継がねばなりません」
断罪されて倒れ伏す白菊姫にかぶさるように、幕が下りた。
暗くなったホールに、小さな公民館を揺るがすほどの拍手が鳴り響く。
めまいがするような熱気の中、大樹は呆けたように呟いた。
「咲夜……きれいだ!」
きれいに撮ろうとしていたはずなのに、いつしか目が釘付けになっていた。意識ごと、吸い込まれるようだった。
あれは、間違いなく白菊姫だ。
そして、咲夜だ。
自分の使命に一生懸命で、頑張り屋さんで思いやりがあって、しかしそれを否定されると周りを敵と見て崩れていく。
今こうして見ると、あの災厄の流れにそっくりだ。
しかし、どれほど追い詰められても傍から見たら愚かでも、そこには芯の通ったある種の強さと美しさがある。
何かを貫き通そうと、心を決めて突き進む人は美しい。
だが同時に、危うく儚くもある。
心を許せて本当にその人のことを考える者が側にいて支えないと、大切なものを守ろうとするあまり周りと衝突して壊れてしまう。
白菊姫と咲夜の運命を分けたのは、そこだったのだろう。
白菊姫の側にいて育てていた両親は、菊で名を上げることしか考えていなかった。代官は、機嫌を取って恩を売って白菊姫を手に入れようとしていた。
野菊は、立場のために正面から対決しなければならなかった。
窮地の白菊姫に寄り添い、味方として立ち直らせようとする者がいなかった。
だから、取り返しのつかないことになった。
しかし、咲夜には……。
(良かった、あの夜、ずっと咲夜の側にいられて……)
自分と浩太が、どうなっても見捨てないと誓って支えたからこそ、咲夜は今生きてこの舞台にいる。
そう思うと、胸の中に太陽ができたように熱くなった。




