314.菊祭り
災厄の前は、寝た子を起こすなと隠されていた白菊伝説。
災厄の後、村はどのように変わったのでしょうか。
伝説を忘れないための菊祭りと、それを一丸となってこなす村の仲間。禁忌を守るのと祭りの両立は、どのようになされたのか。
そして、祭りで途切れかけていた縁が結び直されることもある。
世間一般に災厄がどのように報道されていたか、も添えて。
月日は止まることなく流れ続け、ついに菊祭りの日がやって来た。
抜けるような晴天にポンポンと煙だけの花火が上がり、高い空を綿毛のような煙がゆっくりと流れていく。
村のあちこちに、菊祭りののぼりが立っていた。
村の菊畑はどこもきれいに咲き誇り、いつもは花を覆っているビニールハウスも今日ばかりは開放されている。
赤、黄、ピンク、紫……そして、白。色も形も様々な菊が、競い合うように咲き乱れている。
村の道端には、朝早くからカメラを構える人たちが繰り出していた。
前日から近くの街のホテルか、村の民宿や民泊に泊まっていた客だ。
いつもは空き家になっている民泊には、菊の花が門に供えられているところもある。今は亡き家主を弔い、感謝を伝えるために。
そんな花々を横目に、村の人々は観光客の対応とイベントの準備に追われていた。
背中に菊がプリントされたはっぴを着て、駐車場の案内やパンフ配りに精を出す。
災厄の前には想像もしなかった、にぎやかな祭りだ。
その中心となる菊原村公民館では、周りにいくつもテントが立ち並び、土産物や白菊姫のキャラグッズが売られている。
そして少し離れた所にある白菊塚には、大きな献花台があった。
まだ朝だというのに、そこにはたくさんの白菊の花束が供えられていた。
「日付をずらすってのは、いい考えだったな」
本部に控えている宗平が、晴れやかな笑みで呟く。
白菊塚にいくら白菊が供えられていても、今日は中秋の名月ではない。一般的によく効く祭りが催される、十一月の半ばだ。
中秋の名月を含むしばらくの間、塚は祭りの準備中の名目で工事用フェンスとシートで覆われ、入れなくなっていた。
こうすれば、自然と人の目をこちらに向けて危険な日に塚を封鎖できる。
祭りで呪いの伝説を広めるにあたり懸念されていた、興味本位の禁忌破りは、この盛大な囮の祭りで防ぐことになった。
中秋の名月以外なら、いくら備えても何の問題もないのだから。
日が高くなってくると、公民館の近くのテントで猪鍋の振る舞いが始まった。
美味しそうに煮えている大きな鍋の側には、『私が獲りました』と中年のおじさんの写真が、『私がさばきました』と淳の写真が貼られている。
大鍋から忙しく汁をすくう二人の男は、爽やかな笑みを浮かべていた。
「いやー、こういうのもいいもんですね。
たくさんの人に受け取ってもらえると、何というか、やり甲斐があります!」
「そうだな、人に喜んでもらえるっていいもんだ。
それ以前に、仕事の結果が実物であるといいだろ。シンさんよ」
シンおじさんと淳は、労働の喜びに満ち溢れていた。人に憎まれる後ろめたい仕事や延々と物を運ぶだけでは、得られない達成感がそこにあった。
そこに並ぶ列に、陽介が猟師になりませんかというパンフレットを配っている。
「お兄ちゃんも猟師なの?すごーいムキムキ!」
「おう、いいモン食って美味い空気の中で鍛えりゃこうなる!
田舎暮らしもいいもんだぜ」
陽介は自慢のムキムキをアピールしながら、訪れた子供の気を引いている。少しでも村とこの仕事に興味を持つ子が増え、守り手の継承につながるように。
その光景を、田吾作とタエはニコニコと見守っていた。
ここにいる次代の戦士たちは元は嫌われ者とよそ者の集まりだが、今は村の一員として認められ組み込まれた。
こうして和気あいあいと祭りを運営するのも、その手段であり証だった。
だが、不意にその和やかムードを切り裂く声が響いた。
「お父さん……どうしてここに!?」
「ダメぇっ!!」
見れば、一人の女性が小学生くらいの子供の口を押さえていた。小学生の驚いた目と女性のひどく怯えて焦った目は、淳に向いていた。
「おー……こんな所で会うなんて」
淳は周りの人波を気まずそうに見まわし、別れた元妻子に切ない笑みを向けた。
突然公民館の一室に案内されて、元妻はひどく戸惑っていた。
(どうなってるの……どうしてあの人がここにいるの!?
あの人は、この村でたくさん人を殺した反社の社長の犬だったから……この村に住めるわけがないのに!
せっかく安い家賃で家を見つけたのに……どうして!!)
別れた夫のことで警察が家に来た時は、心臓が縮み上がった。
そして知った、元夫が関わった菊原村の惨劇。反社の社長が村を支配するために、反対派の村人数百人を殺害した大事件。
そのとんでもない反社の下に、元夫がいた。
しかも、時々慈善団体から届いていた食料品や商品券は、反社で違法な仕事をしていた元夫の給料から出ていたというのだ。
元妻と子供は、いろいろな意味で途方に暮れた。
これで自分たちは、人殺しの元家族になってしまった。なぜか警察の人たちは優しかったが、これでは人の多いところで暮らしていけない。
それでも、元夫の送金のおかげで何とかまともに暮らせていたのは事実だ。それがなくなった今、パートの女手一つでどうやって暮らしていくのか。
実際、生活はみるみる苦しくなった。一日三食食べることも、できなくなった。
無理をして仕事を増やしたら、病気になってさらに働けなくなり……。
そんな時に、菊原村に格安で借りられる家がたくさんあると知り、逃げるように移住することに決めた。
ここなら、素性がバレなければ食べ物と仕事はある。元夫も近づけまい。
そうして、自分たちを知らない土地で新しい人生を始めようとしていたのに……。
元妻は、何もかもに裏切られた気持ちで一杯だった。
「どうして、あなたがここにいられるのよ!?
今度は、一体どんな手を使ったの!?いいえ……この村は一体どうなってるの!!人殺しを住まわせるなんて、正気じゃ……!!」
周りの村人をも恐慌の目でにらみつけ、喚き散らす元妻の前に……。
「あなたの元夫に、命を救われました!」
いきなり、一人の少年が歩み出て深く頭を下げた。見れば、その少年は片足が義足になっている。
戸惑う元妻の前に、今度はおばさんがやって来て頭を下げた。
「あたしも、あなたの元夫に目を覚ましていただきました!
淳さんが寝返って呼びかけてくれなかったら、あたしたちは社長を信じ込まされたまま人間の盾にされていたでしょう。
淳さんは、百人以上の命を救ったんです!!」
「え……え?」
予想外に元夫を慕う村人たちに、困惑する元妻。
元夫はあんな人でなしだったのに、なぜこんなに受け入れられているのだろう。一体、何があったのだろう。
自分の知っている話と違う。
そこに、村の重役の森川が現れて告げる。
「あなたもこの村に移住を希望するなら、知らねばならない真実があります。
本当は、外の者に漏らすべきではないのですが……あなたには、知る権利がある。移住しない場合は、他言無用ですが……」
「聞きます!あの人は一体、何をしたの!?」
元妻は、食い入るように叫んだ。
「いい流れだ……この縁に引かれて、あいつらも正直になるといいが」
森川が締めたドアを眺めて、宗平は呟く。その肩を、高木夫婦が軽く叩いた。
「そろそろ行ってあげなくちゃ。
咲夜ちゃんの初舞台でしょ」
自分もいろいろ伝えたいことはあるが、それは他に任せることにして、宗平は娘の晴れ姿を見にホールに向かった。
立場はあるが、これだけは外せない。
自分に使命と役目はあれど、自分と支え合い補い合ってくれる人たちもまた、ここにはたくさんいるのだから。




