313.なれない恋人
災害の後には結婚が増えると聞くが、責任ある立場を自覚しすぎた場合はそうはいかない。
我を忘れることが許されないからこそ、引き合っても進展しなくなることもある。
災厄で、身近な破滅と己の愚かさを突きつけられた二人。村を守る使命ゆえに、それを揺らがせるものを恐れるあまり、踏み出せない二人。
大樹の一番身近な恋は、誰もが涙する悲恋に終わった。
だから大樹は決意したし、両親からも懇願された……決して、兄のようにならないと。
だがそれを考えるたび、恋をするのが怖くなる。自分に何よりも守りたい大切な人ができた時、自分は兄のようにならずにいられるのかと。
(俺は……咲夜を支えて、行政方面から村を守らなきゃいけない。
たとえ咲夜が危なくなっても……村のために、咲夜に手を伸ばさない判断をしなきゃいけないかもしれない。
その時、我を忘れちゃいけないんだ)
そんな予感に囚われるたび、大樹の脳裏にあの朝のことが蘇る。
康樹の遺体を臨時の遺体安置所に運んで、我が家に戻った時のこと。
台所には、野菊の言った通りの惨劇の跡があった。床に大量にぶちまけられた血と、生の豚肉が残った皿。
勝手口は、虚しく開け放たれていた。
康樹が、人を食う化け物だと分かっていながら招き入れた証。
床の血だまりからつながる血痕は、勝手口につながる一筋だけ。康樹が逃げ回ったり抵抗したりした跡は、なかった。
それを確認した大樹と両親は、全身の力が抜けてへたり込んだ。
頭の中にあるのは、ただ一つ。
どうして、こんな馬鹿なことをしたのかと。
だが、そこまで馬鹿になれるのが恋なのだ。
大樹はそれを、まざまざと見せつけられた。
自分が同じになってはならない。特定の人との絆に目を奪われて、何も見えない聞こえないではいけない。
自分がそうやって何が何でも咲夜を助けようとした時、犠牲になるのは守るべき他の人かもしれないのだから。
村を守る二本の柱が、そうしてまとめて倒れては困るのだ。
そんな大樹の想いに、咲夜は気づいている。
大樹自身は意識しているか分からないが、あの災厄以来大樹はどこかよそよそしくなった。自分と、距離を置いて線を引こうとしている。
はっきり言って寂しいし、もっと仲良くなりたいと思う。
しかし、お互いを思うからこそ踏み込めないところもある。
(大樹は、私への情で周りが見えなくなるのを恐れてる。
でも、それは正しいと思う。
だって私は実際に、そんな事を大樹にさせてしまった。ムシャクシャして大事なことをサボッて自棄になって……ああ、これじゃ白菊姫と変わらない!)
咲夜はあの災厄からずっと、自分の心に怯えている。
ひな菊とか陽介とか、他に責められる実行犯はいる。やるべきことをやらなかったのも、清美や聖子より罪は軽い。
それでも……自分が前の晩、焼却炉に鍵をかけていれば。
それ以前に、ひな菊を陥れなければ。
災厄のピースは、揃わなかったのに。
自分がひな菊に嫉妬して意地悪い考えに囚われなければ。被害的に考えて叩くことを正当化しなければ。
それを諫められても、逆に怒って自棄にならなければ。
あの災厄の夜明けに、村の被害がどんどん明らかになっていく中で、咲夜は自分の愚かさと引き起こした結果に愕然とした。
災厄の中で、守り手の真実と父の思いを知ったのも大きい。
次々と運び込まれる死体と、大切な人を奪われた人々の嘆きを目の当たりにして、咲夜は思った。
自分は自分の正しさでしか物を考えず、他人に犠牲を強いてしまった。
菊のことしか考えず村を滅ぼした白菊姫と、何が違うのか。いくら後で反省したって、失われた命は戻ってこないのに、と。
大樹と浩太のこともその家族のことも、責任を感じていた。
康樹が死んだのも、亮が脚を失ったのも、大樹と浩太が追放された自分についてあんな危険な夜をさまよっていたから。下手をすれば、大樹と浩太だって助からなかった。
自分がこの二人を自業自得に巻き込まなければ、二人とも家で静かにしていて、家族が傷つくことはなかった。
そう思うと、謝っても謝り切れなかった。
むしろ、許してもらえるのが心苦しかった。
そのうえで、こんな自分が将来の守り手になるのが怖かった。
今度こそ他人のことを第一に考えなきゃと思いつつ、それで無理をして大切な人に冷静さを失わせたらと恐れ、そんな恐れは独り善がりかもと自嘲し……。
咲夜は、しっかりしなきゃと思うあまりどうしていいか分からなくなっていた。
そして、どうしていいか分からないし自分は情に振り回される人間だから、自分に我を忘れる人間を作らなければいいとさえ考えた。
それで、大樹と距離を置くことにした。
自分が自分を御せるようになるまで、もしかしたら生きている間にそうなれないかもしれないけれど、自分を好く人と結ばれるのはやめる。
そうしたら、自分と大樹が共倒れしないで済む。
自分よりよっぽど早く村のために行動している大樹を、自分のために死なせなくて済む。
だから咲夜は、支え合う存在だからこそ、あの夜頼りになると思ったからこそ、どんなに受け止めてほしくても、大樹の方に踏み出せなかった。
二人ともこんなだから、いくら周りが気を利かせても、距離は縮まらない。
お互い悲しそうに顔を見合わせ、周りにすまなさそうに頭を下げるだけ。
「俺たちはまだ、そんなんじゃないよな」
「うん、今はやることが一杯で……とにかく、次の菊祭りだよ!」
お互い縛りたくなくて、縛られたくなくて、受け止めると決めた自らの使命にガチガチに縛られて。
別れが迫ってきても、当たり障りのないことにしか目を向けられない。
結局その日も、大樹と咲夜が進展することはなかった。




