306.あれから~陽介
やり直せなかった者もいれば、やり直せた者もいる。
死んでしまったひな菊と対照的な、生き残ったもう一人の大罪人の道とは。
確かに、災厄の引き金であり下手人だった。
しかしその背景に、とある老人の助けで人々はようやく目を向け始める。恨みの連鎖を少しでも断ち、幸せな未来につなぐ方法は……。
「罪には罰か……あの人はもう、やり直せないんだね」
咲夜は、悔しそうに呟いた。
竜也の惨状は逐一村に届いており、そのたびに被害者は少しでも留飲を下げる。だから、苦しむことにも少しは意味があるのだろう。
だが、あれほどできる男なら、心を入れ替えればもっとできることがあるのではないかと思う。
「やり直すにも……心を入れ替えても取り戻せるモンが何もないからな」
大樹が、困ったように言う。
心を入れ替えて前に進もうと思うのは、その先に見える希望があるから。それがなければ、人は過去にしがみつくしかない。
浩太は、振り切るように首を振って呟く。
「それに、いくらでも責めていい奴は必要だ。
みんなそいつのせいにすれば、やり直せる他が少しは助かる」
そう、加害者にも、やり直すべき者はいる。幼く、愚かで、ただ周りの状況に振り回されていただけの実行犯が。
「おーい、ここにいたのか!」
咲夜たちに、太く元気な声がかかる。
振り向けば、何か大きなものを背負った男がこちらに歩み寄って来ていた。そいつは、得意げな顔で咲夜の前にそれを下ろした。
「俺の仕掛けた罠に、いいヤツがかかってよぉ。
咲夜、おまえ何が好きだった?ハンバーグか?カツか?今日はもう遅えが、良かったら明日、一番美味いとこ持ってってやるよ!」
男はそう言って、日焼けした肌に白い歯をむいて笑った。咲夜たちと同い年ながら鍛え上げられた筋肉が、夕日を照り返す。
「あ、ありがと、陽介……重かったでしょ」
咲夜は、どぎまぎしながらお礼を言った。
咲夜の足下に置かれたのは、丸々と太った鹿一頭だった。
死んでしまったひな菊と違い、陽介は変わった。
それはもう、あの頃からは見違えるように。
立場も、名前すらも変わった。村の厄介者だった福山陽介から、たくましい次代の守り手にして猟師見習い、沢村陽介に。
陽介は心を入れ替え、沢村田吾作の養子となっていた。
あの災厄の夜が明けて、陽介はそれはもうひどい事になっていた。
何しろ、家に帰っても父も母もいない。おまけに生活していこうとしても、金は全て母が持ち逃げしてしまった。
かといって、他の人に頼ることもできない。身内に多大な犠牲を出した村人たちにとって、陽介は許せない仇だ。
あっという間に、憤怒の形相で多くの人が福山家を取り囲んだ。
そこに出て来た陽介は、完全に怯え切っていた。
頭に鍋をかぶり、手には金属バットを携えて、血走った目を限界まで開いて吠えた。
「く、来るな……畜生、死んでたまるか!」
「ふざけんな、殺されたのはこっちなんだよ!!」
その態度が、怒れる村人たちには反省の欠片もない反抗に見えた。村人たちはもう我慢ならんと、陽介の家の玄関に押し寄せ……。
その時、陽介が体を折り曲げて足を閉じ、ガクガクと震えた。
「うわぐっ……く、来るなぁ……わあああ!!」
途端にブリブリッと嫌な音がして、辺りに臭いが広がる。そのうち、陽介の足に茶色いものがつーと垂れた。
「こ、こいつ漏らしやがった!」
村人たちは一瞬驚いて足を止めた……が、そんなもので身内を殺された怒りは収まらない。
「構うこたねえ、クソ野郎がクソまみれになっただけだ!」
「そんなんじゃ、殴り返せねえだろ。こりゃいい、やっちまえー!!」
陽介が恥ずかしさに真っ赤になって腹を押さえて震えていても、村人たちにとってはやり返す好機でしかない。
今がチャンスとばかりに、圧倒的な数の暴力が陽介に襲い掛かり……。
「やめんさい!!」
突如、空気を切り裂く声が響いた。
群衆が驚いてぴたりと止まる中、一人の小柄な人影が陽介の方に抜けた。そして、陽介をかばうように立ちはだかった。
それが誰か分かると、村人たちは目を疑った。
「タエさん……あんた、何で!?」
それは老女、畑山タエだった。
タエがこの災厄で愛する夫、二郎を失ったことは皆の知る所となっている。さらにタエは災厄の前に、陽介に嫌がらせを受けていたはず。
「何で邪魔するだ!?あんた、このガキが憎くないんか!!」
村人たちが詰め寄ると、タエは鋭い眼差しでにらみ返して言った。
「全然憎くない訳じゃ、ないよ。
でも、そこまで堕ちようとも思わん。
父も母ものうなって、体まで壊しとる子供を寄ってたかって襲うなんて……あんたたちこそ、人間かね!?」
逆に怒鳴りつけられて、村人たちはたじろいだ。
しかし、そう言われても亡くなった者は戻らないのだ。
「何言っとる!?全部こいつが悪いんだろうが!!」
「そうだそうだ!家族そろってろくでなしで、悪い事しかしやしねえ!おまけにあの悪娘は死んだのに、どうしてこいつは生きて……」
憎しみに呑まれた村人たちに、タエは毅然と問う。
「……こいつと母親を、ろくでなしに預けたまま放っといたのは誰じゃ?白川の娘に頼るしかないほど困窮するのを、黙って見とったんは?
この中に、事件の前にこの子を助けようとしたやつは、おるんか!!」
叩きつけるような問いに、村人たちは答えに窮した。
助けようとした者など、いる訳がない。だって楓は呪われた血筋で、猛は荒くれ者で、それをここに閉じ込めて自分たちは平和にやってきたんだから。
そこを突かれると、素直に答えられる訳がなかった。
村人たちが黙った隙に、タエは陽介に声をかけた。
「早う、トイレ行きなさい!ここは私が守るから!」
「で、でも、家が!うちの物がぁ!」
「私が、この命に代えても盗らせん!あんたをこれ以上痛めつけさせやせんから……早うトイレに鍵かけなさい!!」
タエの剣幕と腹具合に押されて、陽介はトイレに駆け込んだ。それを確認すると、タエは自分の持っていた手ぬぐいで陽介の漏らしたものを拭きはじめた。
「あ、あんた……夫を殺されて、何でそこまで……」
あっけに取られる村人たちに、タエは静かに言った。
「許せることは許して……救って、悪い因果は断ち切らにゃいかん。
前の災厄の恨みをこの子の親に押し付けて、苦しめて笑って見とった結果がこれじゃ。なのにまた押し付けて、繰り返すんかい?
私は、これまでできんかったことを償っとるだけだよ」
それを聞いて、村人たちは自分が恥ずかしくなった。
陽介はやむを得ぬ事情から家計を助けるためにひな菊の手先となり、家族の平和と幸せを信じて禁忌を破らされたのに……それを叩き潰すのは、正しいのか。
陽介の一家がそこまでの状態になったのは、自分たちが厄を閉じ込めて満足して助けなかったのが原因なのに。
それを思うと、自分が浅ましくて情けなかった。
「その、タエさん……手伝うよ」
こうして、タエによって陽介は恨みの押し付けと私刑を免れた。
とはいえ、陽介は本当にこのままでは生きていけない状態だった。
食べ物を買う金すらなく、母が蒸発してしまったため料理も洗濯もできない。腹を壊したのも、食事が出なくて冷蔵庫にあったものを生で食べたせいだった。
どう考えても保護が必要な、孤児になってしまった。
しかし陽介は、児童養護施設に連れて行こうとすると泣いて抵抗した。家を失ったら、もう母が帰って来る場所がなくなるからと。
母はまだ生きているから、いつかきっと帰って来る……それだけが、陽介の希望だ。
その希望と家と本人を守れるように……助けの手を差し伸べたのは、沢村田吾作だった。




