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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
300/320

300.強い人

 囲まれていても相手の手が届かなければ、折れない人は折れません。特に、相手にタイムリミットがあってそれが迫っているとなれば。

 そして、折れなければ助かるという状況は確かにある。


 しかし、それでも攻撃してこないというのにはもちろん理由がある。

 白む東の空を前に、親子の希望は……。

 竜也は、総毛だった。

 野菊がここにいて神通力を使えるということは、この頑丈な車だって安全ではない。むしろ、身動きできないところを刺されてしまう。

 棺桶に隠れた上から、杭を打ち込まれるようなものだ。

「やらっやだぁ死ぬのやだあぁ!!」

 隣で、ひな菊が恐慌状態になって泣き叫ぶ。

「大丈夫だ、必ず助けてやる!」

 竜也はひな菊に声をかけながら、拳銃を野菊に向ける。

 幸いと言うべきか、野菊は竜也のいる運転席側にいる。この位置なら野菊は直接ひな菊を狙えず、逆に竜也から野菊を狙える。

 ここで白菊姫の頭を撃ってしまえば、野菊にもう手駒はない。

 しかし、野菊は薄笑いで言う。

「あらあら、こんなに死霊に囲まれているのに自分で窓を壊すのかしら。

 大した度胸ね」

 そう言われて、ぎょっとする。

 そうだ、ここから野菊に弾を届かせるには、窓を開けるか窓を貫通させるしかない。すると当然のように、防壁に穴ができる。

 そこから死霊が呪いまみれの手や指をねじ込み、汚血を垂らせるようになる。

 たとえその弾で野菊を倒せても、死霊はすぐには消えないのだ。

「ぐっ……くそっ……だが、宝剣を刺したら撃つ!!」

 竜也は、額に青筋を立てて野菊をにらみつける。

 すぐにでも撃ちたいのに、自分たちを守るために軽々しく撃つことができない。さっきの喜久代以上に、ジレンマで頭がおかしくなりそうだ。

 こんなに憎い仇が目の前にいるのに……ひな菊が、怖がって泣いているのに。

 こんなに泣き叫ぶ娘を、救ってやることも……。

(いや、ひな菊はまだ生きている!

 この位置なら、このまま夜が明ければ……ひな菊だけは!!)

 自ら攻撃できなくても、大切なものさえ守れれば……竜也はその一心で、暴れる感情を押さえつける。

 ひな菊が生きている、それだけが竜也の理性を繋いでいた。


 竜也は右手に拳銃を構えたまま、ハンドルを握る左手にも力を込める。

(さあどうする野菊……私に絶望を与えたくば、動け。

 その時こそ、我々も動く時だ!)

 この死に囲まれた浮島のような状況で、竜也はまだ希望を探す。伊達にこれまで何度も逃げきって再起した男ではない。

 ピンチは、チャンスだ。

 竜也はいつだって、そうしてしぶとく道をつないできた。

 血走った目で周りを見回し、頭を赤熱するほど回転させると、こんな状況でも希望と呼ぶべきものが見えてくる。

 大罪人のひな菊を確実に狙うには、野菊は車の前か助手席側に移動しなければならない。

 その時、野菊が動くために、死霊に隙間ができるはずだ。

 真横ではどうしようもないが、前か後ろに少しでも隙間ができれば、車を強引に割り込ませて突破口を開けるかもしれない。

(さあ動け、野菊……でないとおまえの役目は果たせんぞ!

 もう夜明けまであと少し、どうする!!)

 竜也は、引きつった鬼のような笑みを浮かべた。


 ……が、野菊は落ち着き払っていた。

 東の山の端はすでにだいぶ白い光に満ち、もうすぐ太陽を迎えようとしているのに……野菊の顔に焦りはない。

 その代わりにあるのは、呆れと哀れみだ。

「本当に、強い人ね……こんな状況でも未来を信じられるなんて。

 あなたに追い詰められて逃げ道を探すこともできず死んでいった人たちに、少し分けてあげたいくらいだわ」

「フン、私はなあ……凡人とは違うのだよ!」

 だが野菊には、分かっていた。

 こうなってしまったら、もうそんな強さに意味などないと。むしろその強さで他人に押し付けた痛みは、その身に返るのだと。

 だから竜也がどれほど強がろうと、哀れにしか感じないのだ。


 野菊は、眩しそうに目を細めて東の空を仰ぐ。

「あなたとは、もう少しお話ししたかったけど……残念ね、もう時間がないわ。

 それにあなたみたいな人には、いくら口で言っても無駄でしょう。分かるわ……同じような人を何人も見てきたから。

 取り返しのつかないものを失うまで、決して認めない。

 ……いえ、失っても学べない人だったかしら」

 野菊の言葉に、竜也はますます眉間の山脈を険しくする。

 そうだ、自分は一度かけがえのないものを失った。愛する妻、大切なひな菊を生んでくれた女を、この手からこぼしてしまった。

 だから、そこから学んでもっと安全を尽くそうと手を尽くしたじゃないか。

 なのに、この女は何を言っているのか。

 自分はこんなに家族を愛し、家族のために稼ぎ、ついでに社会にも貢献して多くの人の生活を支えているのに。

 一体何が悪い。何を返されなきゃいけないんだ。

 悪いのは全部、思い通りにならない邪魔な奴らなのに。

 それが分からない、守りたい気持ちを解さない悪の手先となど、話す価値もない。

(……まあいい、余裕ぶっているうちにおまえの時間は終わりだ。

 この車の中にいる限り、私とひな菊は安全だ)


 ……という竜也の思惑など、野菊はとうに分かっている。

 だからそんな傲慢は、残らず叩き潰す。こいつに守られている娘のわずかに残った安心も希望も、全部持っていく。

 命も魂も絆も、何もかも。

「ふふふ、それじゃあ終わりにしましょう。

 大切な人との幸せな道……奪われた人々の恨み、思い知りなさい!!」

 野菊は、叩きつけるように言って宝剣に力を込めた。暗く禍々しい呪いの炎が、ごうっと大きく燃え上がる。

 途端に、ひな菊の体がびくりと跳ねた。

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