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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
299/320

299.死霊の壁

 脱出しようとしたら道が塞がっている、ホラーのテンプレです。

 そしてゾンビものにおいて道を塞いでいる代表格はもちろん……。


 数の暴力と包囲による恐怖、それがゾンビの得意技。

 喜久代の回でも見せた、死霊使いの本領発揮です。

「なっ……!?」

 裏門の先が見えた瞬間、竜也は絶句した。

「ひ、ひいいっ!!」

 隣で、ひな菊が悲鳴を上げた。

 裏門の先に広がるのは、自由へと続く道などではない。そんな道は死に埋め尽くされてしまい、見えなかった。


 裏門の先に、道が見えなくなるほどの死霊が立ち塞がっている。

 恨めしい白く濁った目をこちらに向けて、ごうごうと唸っている。

 しかもそれがどこまで続いているか、ここからでは分からない。少なくとも、顔の高さの向こうに空間が見えないくらいには集まっている。


 一瞬、竜也は引き返すべきか迷った。

 しかしここで引き返したとて、工場内では多勢に無勢だ。人間が動き出す前に逃げられなければ、別の意味で人生が終わる。

 それに死霊が消えた瞬間に工場を飛び出しても、村から出る道は一本しかないのだ。そこを先に塞がれたら、どのみち逃げられない。

 竜也は覚悟を決め、アクセルを強く踏み込んだ。

 呪われた群れに向かって、車はぐんぐん加速していく。

「大丈夫だ、奴らの力で車は壊せん!防弾仕様だ!

 力もある、押し通るぞ!!」

 竜也はそう言って、眼前の死霊の群れを血走った目で見据える。

 どのみち、行く以外の選択肢はないのだ。ならばひな菊を守るためのこの車に、自分たちの命を預けるのみ。

「うおおおぉ!!!」

 金棒を振り回す鬼のように叫びながら、竜也はめいっぱいアクセルを踏み続ける。

 死霊の壁が、みるみる迫ってくる。

「ひな菊、頭を守れ!!」

 言うや否や、ひな菊は体を丸めて頭を覆う。衝突の衝撃からも、その次に窓の外に広がる光景からも、自分を守るために。

 次の瞬間、竜也とひな菊を重い衝撃が襲った。


「ぐううっ!!」

 竜也は歯を食いしばり、必死にハンドルを握って衝撃に耐える。

 ドシンドシンといくつもの音と衝撃が続けざまに襲ってきて、車を振り回す。同時に、進路にいた死にぞこない共が臓物をこぼして吹っ飛ぶ。

「どけぇ!さっさと、道を開けろぉ!!」

 竜也は、怒声を上げながらアクセルを踏む。

 それを押し返すように、跳ねた先からまた大勢の死霊が寄ってきて次々と車にぶつかる。

 一体一体は弱く、脆く、車の敵ではない。しかし何十体も束になると話は別だ。そのうえ、痛みも恐怖もないこいつらは退くことを知らない。

 目の前でどれだけ仲間が跳ねられても壊れても、窓から見える餌だけを目指してひたすら押し寄せてくる。

 数メートルもいかないうちに、車はぐらぐら揺れてタイヤが滑り始めた。

「こんな、所で……止まれんのだ!!」

 竜也はギアを低速に切り替え、力で死霊を押しのけて進もうとする。

 しかしそうしている間に、車は全方位を死霊に囲まれた。

 死霊たちはスピードを失った車にしがみつき、バンバンと車体を叩き始める。死霊のおぞましく腐った顔が、窓ガラスに押し付けられる。

「ひっ……や、やだぁっ!早く逃げてぇ!!」

 ひな菊が、がたがた震えながら悲痛な声で叫ぶ。

「見るな!聞くな!伏せて耳を塞げ!

 大丈夫だ、この窓と扉は破れん!」

 竜也はひな菊にそう声をかけ、自分は必死で周りを見回す。

 どちらかに群れが薄いところはないかと目を皿のようにして探すも、目に入ってくるのは車に密着した恨みの顔ばかり。

 もはや、死人の手と顔の壁が車を囲んでいるようなものだ。

 見る間に死霊の涎と腐汁が、窓ガラスを汚していく。掃除しようにもワイパーが折られ、サイドミラーもあらぬ方向に曲がる。

 ありとあらゆる方向から指が削れても車を引っ掻き、その不気味な音が車を包む。

 二人の車は、もう希望の船ではなく、死の海に沈みそうな岩のようだった。


 その圧倒的恐怖に、ひな菊の口からついに謝罪の言葉が出る。

「ご、ごめんなざい……ごべんなざいぃ!!

 お願い、もう許して……謝るから……もうやべでええぇ!!」

 これほど逃げ場のない状況で周り全てから攻撃されるという状況は、ひな菊にとって初めてだった。

 これまではいつも、守ってもらえた。逃がしてもらえた。

 自分を責めるのは、自分を囲む一部でしかなかった。

 しかし、今は……周りの全てが自分を食い殺そうとしている。しかもその敵の多くは、現代の服装……見慣れた作業着すら混じっている。

 みんなみんな、日が沈むまでは普通に生きていた。

 それが血まみれになって土気色の肌をして、ボロボロの体を削られようが潰されようが大口を開けて窓に押し付ける。

 唸り声を聞いているだけで怖くておかしくなりそうで、逃げ場や救いを求めてチラリと目を上げるたびに、その現実に打ちのめされる。

 この恐怖は、ひな菊の心を折るのに十分だった。

 悪くないと思いたくても、この場から逃れたい一心で謝り続ける。

 もっとも、謝ったとてもう相手は人の命も心も失っているのだが……それもまたひな菊に絶望を味わわせた。


 だが、そんな愛娘を竜也は必死に励ます。

「謝るなひな菊!!もうこいつらに、聞く耳などない!

 だが、奴らの手は決して届かん。車の中にいれば安全だ。

 折れなければ、恐れることなどない!!」

 実際、死霊に囲まれた車はほとんど進めなくなったが、未だ中に手が届いてはいない。逃げられなくても、防壁にはなっている。

 このまま日の出まで耐えきれば、黄泉に殺されることはない。

 そうなれば後は人との戦いだが……その時こそ、心が折れたら終わりだ。逆に人が相手なら、たとえ捕まってもやりようはあるのだから。

 未来を閉ざさぬために、今は心を強く持てば……。


「愚かね、もう救われることなどないのに」

 唐突に、静かな女の声が響いた。

 いつの間にか、それが際立って聞こえるほど、辺りは静かになっていた。車を囲んでいる死霊どもが、声を失ったように静まり返っている。

「まさか……!」

 竜也の背筋に、凍り付くような悪寒が這い上がる。


 こんな芸当ができる奴は、一人しかいない。

 全ての死霊を統べる黄泉の将、野菊だ。

 思えば裏門にこんなに死霊が集まっていた時点で、不自然だったのだ。

 こんな事にならないよう、竜也は野菊の復活は阻止した。野菊本人の体は、今も玄関前で無様に転がっている。

 だが野菊には、裏技というか奥の手があった。

 魂だけで体から離れ、大罪人の体に乗り移るという手が。

 今聞こえた野菊の声は、さっき防災放送で流れたのと同じ声。

 自らを元凶の大罪人と名乗り、村人たちに今さらみじめに謝っていたあの声……ひな菊が演じることになっていた悲劇の姫君。

(あああ……そうか、まだこいつの体が……!)

 クメと喜久代は倒した。悪代官も倒した。クルミは陽介の後を追った。

 だがまだ一人、白菊姫が残っていた。

 そして白菊姫がどこから来たのかと言うと……竜也が死霊を誘導させ、数えきれない惨劇を起こした住宅街と役場。

 この大量の死霊は、野菊が白菊姫の体でここまで連れて来たのだ。


「あなたの逃げ道なんて、最初から分かってたわよ。

 正門を塞いでしまったら、車ではここからしか出られないものね」

 いつの間にか、運転席の横にちょうど一一人分の隙間が空いていた。

 その先に立つ、黒地に白菊模様の着物をまとった少女が笑う。その手には、呪いの炎をまとった宝剣が握られていた。

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