292.守れなかったもの
ようやく己のしたことと結果だけは、言い逃れできなくなった喜久代。
その結果が、何より辛い責めとなって喜久代に襲い掛かる。
喜久代が一番守りたかったのは、それを完膚なきまでに壊したのは誰か。
そしてその根本にある喜久代の過ちは……当たり前の愛を求めたがゆえに、認められなかった悲しい世の現実。
喜久代は、何もされていないのにひっぱたかれたように感じた。
言い返さなきゃと思うのに、どう言い返せばいいか分からない。
野菊の言うことに、間違いはない。実際に呪いが宿っていても、村はいつもは平穏で何も怖いことはないのだ。
村は長いこと禁忌を守り、呪いを発動させず害されずに存続してきた。
呪いが村人を殺すのは、それこそよそ者がよく知らずに禁忌を破った時だけ。
野菊は黄泉の手下だけど、同時に村を黄泉から守るため手を尽くしてもいた。だから村の人々は、野菊を敬っていたのだ。
逆に喜久代は、それを全部破り散らしてしまった。
野菊と彼女を崇める村人たちの全てを悪と断じて、わざわざ村に死霊を呼び出し、村人たちを襲われ放題にしてしまった。
喜久代が下手に戦おうとしなければ、死霊は現れなかった。
軍人たちが神社を封鎖しなければ、村人たちには逃げ場があった。
野菊を撃たなければ、死霊が一般の村人たちを襲うことはなかった。
だから今夜死んだ村人たちの仇は、喜久代と力を貸した軍人たち。これで生じた怒りも悲しみも恨みも、全て喜久代たちのせい。
喜久代たちが何もしなければ、この多くの人たちは死ななかった。
今喜久代を囲んで唸っているのは、ほぼそういう人々なのだ。
真っ青になって周りを見回す喜久代に、野菊は無情に告げる。
「だからね、あなたが許されざる村の仇なのよ。
生き残ったって、あなたに救いなんてないわ。だって残った村人たちはみーんなあなたを恨んで、こいつさえいなければと思っているから。
私も、そんなあなたを村から消し去ることだけはできて良かった」
心なしか安心したように言う野菊を前に、喜久代は頭がぐらぐらした。
今の今まで、自分は誇りある村の守り手で正義だと思っていたのに……気づいてみれば、自分は大量殺人の大悪党。
世界が真っ逆さまになったみたいで、どうしてこうなったのか全然分からなくて……。
事実と結果だけはようやく認めた喜久代に、野菊は哀れむように言った。
「全く……喜兵衛はこういう事をする馬鹿から村を守ろうと住みついて武装させたのに、孫がこんなになるなんて。
今のあなたを喜兵衛に見せたら、どんな顔をするかしらね」
喜久代の喉から、ヒュッと悲鳴になり損ねた息が漏れる。
経緯と思いはどうあれ、自分は祖父が戦った敵と同じになってしまった。
いや、村の被害を考えるとそれ以上だ。これまでの敵は、安全地帯を封じたり死霊を野菊から解き放ったりしなかった。
つまり自分が、最悪の敵。
呪いがあっても安全に暮らせる村を守ろうと、人々は喜兵衛たちを受け入れたのに。喜久代がそれを完膚なきまでに踏みにじってしまった。
これでは、喜兵衛が築いてきた守り手の信用と村からの感謝もどうなるか。
「あ……やあっ違う!これは違うのお祖父様!
あたし、こんなつもりじゃ……!」
偉大なる祖父を思いだしてうろたえる喜久代に、野菊はさらに残酷な一言。
「お父様も、こんなんじゃもう村に帰って来られないわね。
帰ってきたところで、村の方々から仇の父親って憎まれて責められるもの。家が残っても、安住の地なんかなくなっちゃったね」
瞬間、喜久代の顔が紙クズのようにぐしゃぐしゃに歪んだ。
「いぃやああぁーっ!!お父様ああぁ!!!」
喜久代は、何のためにこんな事をしたか。
全ては、父がここに帰って来てまた愛されて暮らすため。そのために村人たちに父の言うことを聞かせ、もっと尊敬されるように武功を立てようとした。
村人がお国のために戦う父を助けようとしないのは反抗的な邪教のせいだと思って、父が暮らしやすくなるようにそれを一掃しようとした。
なのに全ては逆効果。
喜久代は、何より守りたかった父の帰る場所すら、自分の手で壊してしまった。
狂ったようにむせび泣く喜久代を前に、野菊は宝剣に力を込めた。
呪いの炎がボウッと大きく燃え上がり、喜久代の足から入った呪いが力を増して全身を侵食していく。
「あ、がぁっ……おどう、さばぁ……!」
苦しみのたうつ喜久代を見下ろし、野菊は言い放った。
「あなたのせいで、多くの人がこんな風に望みを折られて死んだのよ。
せめてあなたも、それを味わって噛みしめて死になさい!」
喜久代の事情にかわいそうな所はあるが、だからといって慈悲はない。
この女は自分に都合のいいことしか考えられず、自分だけが悲劇に抗っているつもりで、多くの愛し合う家族を引き裂き悲劇のどん底に突き落とした。
ここで止めなければ、権力を味方につけてどれだけ人を虐げたか分からない。
そう考えると、野菊は来るべき時に呼び出されて役目を果たしたと言える。ただしその代わり、村が無事では済まなかったけれど。
この後のことを思ってため息をつく野菊に、息も絶え絶えの喜久代が手を伸ばしてくる。
「ねえ……あたじ、お父様を……求めちゃ、いげながったのぉ?
家族、仲良く……それ、だめなのぉ……!?」
悲しい問いに、野菊は静かに答えた。
「それ自体は何も悪くないわ。親の愛を求めるのは、普通のこと。
ただね、あなたは知らなくて認めなさ過ぎたのよ……いくら人が当たり前に誠実に愛を捧げても、素直に善良に応えてくれる人ばかりじゃないってことを」
喜久代の目が、さらに光を失って真っ暗になった。
自分の愛と献身が全て無駄だったと知る絶望は、いかほどのものか。
それでも野菊は、最後にどうしたら良かったかだけは教えてやった。
「そうね……自分の肉親がそうじゃないって認めて諦めるって、とても辛いことよ。でもそれができれば、あなたを愛して幸せにしてくれる人はたくさんいた。
お母さんも村の人たちも、余裕があるうちはあなたを心配して幸せを願っていてくれた。あなたがそれに気づいて、その手を取っていれば……」
喜久代の息がかすれ、目と鼻から泣いているように血汁が流れ出す。
意識を失う刹那、喜久代の脳裏に映った顔は誰だったか。
死者の色に変わった喜久代の手が、血染めの畳にぱたりと落ち、動かなくなった。




