290.罠屋敷
ついに死霊に侵入され、追い詰められた喜久代と仲間たち。
そんな時は弱めに祟り目、あらゆるものが手を返して喜久代たちを処刑する。
仲間の本心、よかれと思って築いた防備、そしてこれまでの戦いで家の中に仕掛けられたもの……幾重にも重なる罠から、逃れられるものか。
次の瞬間、喜久代は後ろから首を掴まれた。
死霊に隙を突かれたかと思いきや、そうではない。首を掴む手は温かく、しかし背中に固いものがゴリッと押し付けられる。
「え、な……何……?」
うろたえる喜久代の後ろで、おばさんが喚く。
「分かったよ、こいつが悪いんだね!
じゃあこっちで始末をつけるから、あたしたちは見逃しとくれよ。あたしたちも、こんなバカ娘に付き合わされて迷惑してたんだ!」
その言葉に、喜久代は愕然とした。
おばさんは、喜久代を殺して黄泉に媚びて助かろうとしているのだ。
これまで、あんなに乗り気で協力してくれたのに。喜久代のことを、勇気があるとほめて、家を貸したことに重々感謝してくれたのに。
一番力を合わせなければならない時に、裏切るなんて。
喜久代は、信じられない思いだった。
しかし野菊は、そんな卑しいものをはいそうですかと受け取りはしなかった。逆に汚物を見るような目をして、当て擦るように告げる。
「話にならないわ、あなたもあなたの都合でこの娘を利用したくせに。
この娘が村と和解できないように母親を殺した者の言葉とは、思えないわね」
「うえぇっ!?」
喜久代は思わず、素っ頓狂な声を上げた。
母は、自分たちを邪険にする百姓どもに殺されたんじゃなかったのか。仲間は皆そう言っていたし、ずっとそう信じていたのに。
だが、おばさんは喜久代を銃で突き倒して言い放つ。
「ハッそりゃあ……あんたみたいな無能を生んだ女だからねえ!あんたと同じで、あたしらとお国のために何もしてくれない!
こうなるなら、ますます殺しといて正か……げぁっ!!」
おばさんの悪魔のような声が、唐突に苦悶の声に変わった。
次の瞬間、喜久代の頬にぴしゃっと温かいものがかかった。
「もういいわ……あなたのその性根も、許すことなんて無理だもの」
野菊は、失望と軽蔑を露わにそう言った。
おばさんが動けなくなった隙に、喜久代は転がって逃れた。そして起き上がりざまにおばさんの方を振り向いて、信じられないものを見た。
「へ……そんな、倒したはず……」
喪服をまとい鉢巻をした女の死霊が、おばさんの腹を竹槍で貫いていた。間違いなく、さっき倒したはずの司良木クメ。
絶句して口をぱくぱくする喜久代に、野菊は事も無げに告げる。
「何がおかしいの?彼女たちも、永遠の呪いを受けているのよ。
それを家の中に放置したら……そりゃこうなるわよ」
喜久代は、心臓を鷲掴みにされた心地だった。
永遠の呪いとは、消滅させることができない……時間が経てば復活するということ。放置された場所と残された時間によって、こいつらは罠に変わるのだ。
そうとも知らずに、喜久代たちは倒したと思って放置してしまった。
結果、安全なはずの陣地に最悪の罠を置いてしまったのだ。
「ひっ……うあああぎゃあああ!!!」
恐るべき敵の復活に、少年が涙と鼻水を噴き出して絶叫した。とにかくこいつから逃れたい一心で、鉄の棘が刺さっても鉄条網をよじ登ろうとする。
もうたくさんだ、こんな所にはいられない。目の前でおばさんを何度も刺している鬼女があまりに恐ろしくて。
野菊はそんな少年を一瞥すると、宝剣を握る手に力を込めた。
呪いの炎がごうっと燃え上がり、少年が苦しみだす。
「馬鹿ね……その鉄の棘に、呪われた血がどれだけついてると思ってるの。
それが身体に入れば、もう逃れる術はないわ。後はただ呪いの進行を強くしてやれば、あなたは勝手に死ぬの」
喜久代の喉から、声にならない悲鳴が漏れる。
これまでさんざん外から来る死霊を受け止め、死霊化した治安維持隊もよりかかっていた鉄条網は、呪いをまとった死の罠と化していた。
この呪いの茨に囲まれたこの家からは、もはや出ることも叶わないのだ。
「さて、あなたはどうするの?」
野菊が、濁った目で喜久代を見て呟く。
「あ……や……嫌あああぁ!!!」
喜久代はもう銃を向ける気力もなくほうほうの体で逃げ出した。とにかく今この瞬間の命が惜しくて、家に逃げ込む。
バタンと大きな音を立てて閉まった戸を前に、野菊はくすりと笑った。
「ああ、本当に愚かね……どのみち生きる道なんか、ありやしないのに」
喜久代は、もうどうしていいか分からなかった。
あんなに防備を固めたのに、これだけはやれば侵入はされないだろうと思ったのに、愛しの我が家はあっさり死地に変わってしまった。
あれだけ人と武器を集めれば大丈夫と思ったのに、味方はことごとく殺され、弾も乏しくなり、戦えるのはもう自分だけ。
しかも、頼もしいと思っていた設備や仲間がどんどん手を返して自分に牙をむく。
(どうして……守ってもらえると、守るためのものだったのに!
何で、こんなに裏目にばかり出るの!?)
喜久代はもう、何を信じていいかも分からなかった。
特に、治安維持隊の言ったことが嘘だったと分かって、おばさんに殺されそうになったのは、こたえた。
自分は一途に信じていたのに、向こうはそうではなかったのか。
自分の作戦と設備だって、自分たちのためだと思っていたのに、それがことごとく自分を追い詰める要素に変わって。
全てが、自分を追い詰める罠だったみたいで、恐ろしくて……。
あてもなく廊下をさまよう喜久代の耳に、物音が響いた。
喜久代は、ぞっとした。家の中で動くものに、心当たりがあった。
(ああっそうだ……呪われた司良木の娘、クルミが中に!きっとあいつも復活して……何てこと、また罠だったぁ!!)
せめてもの奇襲を受けないようにと広間に踏み込んだところで、喜久代の足に鋭い痛みが走った。
茶色いガラスの欠片……クルミを殴って砕けた一升瓶の欠片が、足の裏に刺さっていた。
「え……?」
喜久代は、はっと我に返って広間を見回した。
広間は血まみれ、死体だらけ。畳を汚す血は、クルミや死霊化した治安維持隊に噛まれた老人たちのもの。死体は、呪いを受けたか死霊化して殺された者ばかり。
床に転がる、武器になりそうな竹槍も、血まみれ。これはクルミが老人を刺したものだが、その前に死霊を刺していないかは分からない。
他にも、クルミの血に汚れた包丁やサーベルが落ちている。
そして部屋中に散らばっている、ガラス片。
あれはクルミの頭をしこたま殴って壊れたんだから、もちろんクルミの呪われた血をまとっている。
しかも鋭いガラス片は、運が悪いと靴でも貫く。
まるで、呪いの地雷原。
死霊と戦おうと落ちている武器を取って、少しでも自分を傷つけたら終わり。ちょっと転んで手をついて、血を目や口に入れてしまったら終わり。
それ以前に、ガラス片を踏んだら……。
喜久代は、信じられない顔で自分の足の裏を見た。
質の悪い靴をガラスが貫き、紅く新鮮な自分の血がしたたっている。
「や、やだっ……嫌あああ!!!」
喜久代の顔がくしゃくしゃに歪み、喉から悲鳴が絞り出される。家の中の敵に聞こえるとか、もうそんなことは考えられない。
だって、戦いはもう終わってしまった。
最後の抵抗も足掻きも許されず、殺意をもった攻撃ですらない罠で。
その証拠とでも言わんばかりに、心の底から凍り付くような恐怖と脱力感、命の灯を吹き消すような悪寒が体中を覆っていく。
一度体内に入った呪いから、逃れる術はない。
喜久代も今宵、多くの人がそれで死ぬのを見てきたではないか。
もはや、喜久代が黄泉に引きずり込まれるのは定められた運命となった。




