287.時限爆弾
司良木親子をどうにか倒しても、間白家の惨劇はまだまだ終わらない。
派手に立ち回る強敵の影で、静かに軍人たちを蝕むものがありました。
頼れるはずの味方は……ゾンビのテンプレですね!
人を信じてはいけない場面はあるものです。
とりあえず敵の襲撃が途切れると、喜久代は家の中の戦力を把握しようとした。
おそらく強力な敵はあと一人だが、それを迎え撃つだけの力が果たしてここに残っているのか。
(たった二人の将で、こんなになるなんて。
でもきっと、まだ大丈夫。やられたのはお年寄りやおばさま方や子供たちだけ……治安維持隊の方々が戦ってくだされば……)
喜久代はそう思い、広間で寝ている隊員に声をかけた。
「お願いです、起きてくださ……ひっ!」
隊員の体を揺り動かして顔が見えると、喜久代は小さな悲鳴を上げた。
隊員は、血の気を全て失ったような真っ白な顔をしていた。そのうえ鼻と口には、血泡がこびりついている。
「そんな、まさか……さっきまで歩いてらしたのに!」
ひどく驚く喜久代の前で、老人が隊員を抱き上げて愕然とする。
「おい、息をしとらんぞ!……死んどる」
「う、嘘……!!」
喜久代だけでなく、周りにいた老人たちも悲鳴を上げた。
頼りになると思っていた治安維持隊がいつの間にか死んでいるなんて、こんな恐ろしい事があるのか。
これでは、自分たちは誰に守ってもらえばいいんだ。
この隊員たちは、自分たちを守りに来てくれたんじゃなかったのか。それが、こんなに力を貸してほしい時に……。
「ほ、他はどうじゃ……おい、返事をせんか!!」
老人たちはたまらず、もう一人寝ている隊員を起こしにかかる。
すると、その手が動いて老人の手を握った。
「おお?何じゃ、驚かせよっ……ぐぁっ!!」
突然、老人が呻いた。
老人が手を引くと、隊員はその手に噛みついていた。白く濁った目をカッと開き、釣られた魚のように手に食いついてぶら下がっている。
「し、死霊!?何で!!」
半狂乱で問う喜久代に、答える者はいない。
喜久代は震える手で小銃を突きつけ、隊員の頭を撃つしかなかった。
動かなくなった隊員と手から血を流す老人を前に、喜久代と他の老人たちはどうしていいか分からなかった。
守ってくれるはずの隊員が、すぐ側で死霊になった。
死霊に噛まれてなどいないと、言っていたのに。
「どういうこと……?
この人たちはさっき、そこに転がってる女に噛まれたの?」
喜久代が問うと、残った老人たちは首を横に振った。
「いや、そんな事はない!儂らも本職が襲われちゃならんと思って、こいつらに噛みつく前に取り押さえた」
「じゃあ何で、この人は死霊になったのよ!?
おかしいじゃない!!」
髪を振り乱してかぶりを振る喜久代に、老人の一人がぼそりと言った。
「いや、それが本当かは分からんぞ……こいつらは、確かに噛み傷をこさえとる。それが犬か死霊かなんぞ、誰も見とりゃせん」
「ええっ……お国を守る方が、そんな嘘をつくなんて!」
「じゃが、それ以外考えられんぞ!」
喜久代の見ている前で、噛まれた老人は他の老人に取り押さえられて泣きわめいている。生かしてくれと、こんなのは嘘だと、現実を受け入れられずに。
もし噛まれたところを誰も見ていなかったら、助かりたいあまり隠して他の人間にすがるかもしれない。
「こいつらも、人間だったっちゅうことだ。
これが現実だよ、喜久ちゃん」
老人がそう呟いて、喜久代の手から小銃を取って噛まれた仲間を射殺する。
しかしその間に、もう一人老人が悲鳴を上げた。
「ぎゃあっ……この!!」
見れば、さっき死亡を確認した隊員が白目をむいて老人の足に噛みついていた。慌てて取り押さえて射殺したが、もう遅い。
ついさっき司良木クルミと思しき少女を叩き潰した勇敢な老戦士も、家の中に死霊を増やさぬため頭を撃つしかなかった。
広間の騒ぎが収まると、喜久代は改めて周りを見回した。
もう生き残っている老人は、たったの二人。さっきの少女で三人、今の隊員に噛まれたので二人が、立て続けにこの世を去った。
さっきまで皆生きていたのに、もう死体の方が多くなってしまった。
「こ、こんな……ことが……!」
喜久代は、震える声で呟いた。
この家を防衛するのに、十分な人数と武器を揃えたはずなのに。死霊が中に入れないように、鉄条網も敷いたのに。
怪我はしていても本職の人が助けにきてくれて、心強かったのに。
いざやってみると、この有様だ。
野菊を倒したと思って油断してしまった。黄泉の将は、野菊一人ではなかった。頼れる本職は、嘘つきの爆弾だった。
何もかも、予想外ばかり。
喜久代は、何か人知の及ばぬものが人の命をいとも簡単に弄んで黄泉に落としているようにすら思えた。
まるで仲間の命がサラサラの砂になって、どんなに掴もうとしても手からこぼれていくようだ。
しかしどんなに後悔しても悲しんでも、失われた命はもう戻ってこない。うつろな目をして転がっている亡骸は、もう共に戦ってくれないのだ。
その時、喜久代の耳にまた悲鳴が届いた。
今度は、少し遠い……外からだ。
「今度は何なのよおおぉ!!?」
もはや冷静に周りに指示することもできず、喜久代は予備の小銃をひったくるように取って広間から飛び出した。
もう失いたくない、殺されたくない……なのに、悲鳴が聞こえるのはその兆候でしかなくて。
見たくないのに、身を守るためには見ない訳にいかなくて。
両方からギリギリと押し潰されそうになる心を必死で奮い立たせて、喜久代は赤い月の下に飛び出した。
外では、おばさんと守ろうとする少年が二人の治安維持隊に迫られていた。
おばさんは一人に組み付かれて必死で振りほどこうとしており、誰か助けてと声を上げる少年にもう一人が歩みよる。
その足取りは妙にふらふらして引きずるようだった。
「止まって、返事をしなさい!」
喜久代が呼びかけると、そいつは足を止めたが、喜久代の方を振り返って獣のように唸った。がばりと開いた口から、粘つく涎がだらだらと垂れる。
「くっ……この人も、もう!」
喜久代は無念を忍んで、その隊員を撃った。そいつが倒れると、おばさんを噛んでいる隊員と、それからおばさんも。
二度あることは三度ある。さっきは動けるから外の守りに参加してもらった隊員たちも、同じように死霊になってしまった。
もし喜久代が外も同じだと早く気づけば、おばさんは助かったかもしれない。
だが実戦を知らない喜久代は、目の前のことに振り回されてそこまで考えられなかった。
結果、もう外を守る者も片手の指で数えられるほどになってしまった。
喜久代はガチガチと鳴る奥歯を必死で噛みしめ、家の周りを回って他にも死んでいた隊員を泣きながら撃って回った。
ようやく、家の中は噛まれていなくて生きている者だけになった。
しかし家を守る者はもう、四方それぞれに一人か二人。
今は幸い寄って来る死霊は途切れているが、これでさっきのような攻勢に遭ったら防ぎきるのは難しいだろう。
神社の治安維持隊も、いくら無線で呼びかけても応答しない。こちらに来た隊員が噛まれていたのを考えると、おそらく既に……。
この絶望的な状況の中、喜久代は西の空を見上げた。
(お父様……どうか、あたしに力をお与えください)
もはや喜久代の心を支えるのは、父への思いばかりだ。勝って父と共に暮らすんだという未来図だけが、喜久代に銃を握らせていた。




