276.同化
村の支配を強引に推し進めようとする中で、かつての誰かさんと重ねられる喜久代。
喜久代の方も過去の『悲劇の統治者』に共感し、彼女と自分を重ねて似た振る舞いを始めます。そして、彼女ができなかったことをやろうと、勝てなかった者に勝とうと考え始めてしまい……。
喜久代は、これまで出て来た大罪人といろいろ重なる要素のある娘です。
本来統治する武家、独り善がり、復讐、父への妄執と化した愛……そんな彼女の目に、かつての姫の伝説はまるで違う風に映っていました。
とはいえ、村人たちがやられっ放しだった訳でもない。
村人たちは治安維持隊の目をかいくぐって寄合を開き、役人の中でも良心ある者と手を取り合って抵抗した。
支配しか考えない軍人たちと違い、役人は人の暮らしが成り立たないと生産もままならないと分かっていたから。
村の伝統的な守り手である泉家は力を失っているが、抵抗の精神は村に根付いている。
かつて、同じように武家の勝手で村が滅びそうになった歴史があるから。
「俺らのことを何も考えねえ、侍なんかにゃ負けねえ!」
「そうだ、白菊姫を思い出せ!」
いつしか喜久代は、かつての白菊姫と同じように言われるようになった。
その記憶と共に受け継がれて育てられてきた白菊が、抵抗のシンボルとなった。あの時のように、どんなに虐げられても決して負けないと。
確かに、共通点は多い。
本来村を守るべき武家の娘が、親の期待に応え評価されたいあまり、民を苦しめ村を滅ぼそうとする。
むしろ、流れとしてはそっくりだ。
喜久代の方も、自分が例えられているという白菊姫の伝説を知った。
そして、白菊姫をかわいそうに思って涙を流した。
「まあ、そんな姫君がこの村にいたなんて!
飢饉の中でこそなくしてはならない美を守ろうとしただけなのに、親の期待に応えて愛されたかっただけなのに……さぞ、悔しかったでしょうに!
本当、百姓の愚かさと意地汚さはいつの時代も変わらないねえ!!」
親に褒められることをしたかったという点で、喜久代は白菊姫に共感した。そして、そんな白菊姫を殺し自分を追い出そうとする村人たちをひどく憎んだ。
「やっぱり、こっちから徹底的にやらないと百姓は分からないようねえ。
あたしは、白菊姫みたいに負けたりしない!むしろ仇を取ってやるわ!」
当の白菊姫はそんなこと望んでいないのに、喜久代はすっかり正義の復讐者気取りだった。
白菊姫の伝説に興味を持って調べるうちに、喜久代は黄泉と死霊のことも知った。その性質と、それが自分たちが村に住んだことの発端であることも。
「おぞましい……こんなものの出口が本当に村にあるなんて。
あたしたちは、それから村を守るためにここにいるのね。
……となると、やっぱりその野菊の方が悪者なんじゃない!神聖な神の地に穢れた黄泉のものを呼び出すなんて、邪悪そのものよ!
村人を力で恐れさせて正義だと思わせてる、最悪の勘違い女!!」
白菊姫の方が被害者だという見方から、喜久代はそう思い込んでしまった。
日本は侵されざる神の国であるという、軍国主義の教育もそれに拍車をかけた。
……と、そこで喜久代は思い至ってしまった。この野菊とかいう黄泉の将を倒し死霊を駆逐すれば、村人たちは自分たちを崇めてくれるのではないかと。
そもそも、その脅威から村を守るために自分たちがいるのだ。
これを成し遂げて自分たちの強さと正義を示せば、村人たちは目を覚まして自分たちに永久に感謝するだろう。
父は安心してここに帰って来て、自分をたっぷりほめてくれるに違いない。
「そうよ、これだわ!
昔は化け物の方が強かったかもしれないけど、今は違う!海の向こうの鬼畜英米を蹴散らす武器がある!
今の軍の強さを見せつけて、村を惑わす邪悪を払ってやるわぁ!!」
喜久代は、すっかりその気になってしまった。
急速に進む近代化と戦争のせいで、武器の進化はどんどん進んでいる。江戸時代はもちろん大正時代に倒せなかったものも、今なら倒せるはず。
それに、武器を取って邪悪なものと戦うのは海外にいる父と同じことのような気がして、ますます陶酔してのめり込んだ。
昔話の英雄が近代的な武器で敵を倒すという戦時中アニメも、ますますその正義妄想と闘争心を煽る。
喜兵衛は死霊を倒せなかったのではなく倒さなかったのだという事実にも、もう見向きもしない。
喜久代は、自分こそ新たな村の英雄になるのだと勇んでいた。
そんな妄想を治安維持隊や軍人家族と話し合ううち、彼らもそれに引きずられて具体的な計画を立て始めた。
白菊姫を、百姓の身勝手で殺された真の統治者と崇め。
野菊を、邪神に魅入られてあるべき統治の形を壊した魔女と貶め。
世の正しい在り方を分からずわがままを言う愚民どもから村を取り返すのだと、それを大義名分として掲げた。
「村人たちがあたしたちに逆らっていいと思ってるのは、天に逆らう黄泉への信仰があるから。
ならその親玉と邪な信者を取り除けは、きっとみんな目が覚めるわ」
死霊は銃で倒せると、喜兵衛が記録を残していたのが、その計画を後押しした。血気にはやり鉄の力ばかり信じる軍人にとって、銃で倒せる相手など怖くも何ともない。
死霊は銃で撃って殺し直し、いう事を聞かない奴は銃で脅し、それでもだめなら撃ってしまえばもう逆らわない。
村の軍人たちは、自分たちが戦場から持ち帰ってきたり、治安維持隊に流してもらったりした武器をこれ見よがしに持ち歩くようになった。
実際、それで軍人たちの行動はぐんと進めやすくなった。
平坂神社に自分たちの要求を聞くよう命令した時も、巫女の大きな腹に銃口を向けるだけで首を縦に振らせた。
そうして神社主催だった神事や祭りを、天皇という現人神のための『正しい』あり方に変えてしまった。
そういう催しで姫のように上座に座る喜久代は、頭に父からもらったきらびやかなかんざしを挿し、黒字に色とりどりの菊模様の着物をまとっていた。
「菊は元々天皇家の御紋なのだから、国を守るあたしたちにこそふさわしいの!
それに、白い菊は弔いの花……だから白菊姫は負けたのかもしれない。
でもあたしは、そうはならない!むしろ邪を払う菊の力をまとって、この村をきれいで安心な村にしてあげる!」
喜久代はすっかり、白菊姫のやり直し気分だった。
……これを喜兵衛や白菊姫が見たら、どう思うだろうか。
だが喜久代には、父の期待とつながりだけが正義だった。失われそうだったそれを取り戻せるなら、他がどれほど苦しもうがどうでも良くなっていた。




