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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
275/320

275.父のために

 父に愛されたい、繋がっていたいあまり身近なつながりを失い、孤独に狂っていく喜久代。

 他の人がどんなに目を覚まさせようとしても、喜久代は美しい愛の幻想を守ろうと心を閉ざし続ける。


 そして味方が現れても、それが真の味方とは、本当に喜久代を思っているとは限らない現実。

 父が再び寄ってきたのも……喜久代には、間違いなく嬉しい事だったのです。

 喜久代の寂しさをよそに月日は巡り、それから数年がたった。

 その間、喜久代は気丈に家を守ろうとした。年はまだ十を少し過ぎた頃なのに、しっかりせねばと思うあまり大人っぽい言動をするようになった。

 満州の父からは時々、手紙と贈り物が届く。どうやら父は満州で軍需物資関係の仕事につき、かなり高給を得ているようだった。

 喜久代はそれを嬉しそうに母に話したが、母の顔は曇るばかりだった。

 そのうち、その手紙と贈り物のくる間隔が目に見えて長くなってきた。

 戦争が大変だからと言われて喜久代は納得したが、母はますますふさぎ込むことが多くなった。次第に、家事や隣組の仕事も滞り始めた。

 これではだめだと喜久代が母を叱りつけると、母は鬼のような顔で衝撃の事実を吐いた。

「何があの人のためによ!

 あの人は今、満州で愛人を囲って好き放題やってるのに!!」

 喜久代は、耳を疑った。


 そう、父はもうここに戻る気などさらさらなかったのだ。

 本土とは違い立場の上下で好きにしていい現地の女がたくさんいる満州で、父は美女を囲い支配してその快感にどっぷりはまってしまった。

 手紙や贈り物が来なくなったのも、そちらに貢ぎ始めたから。

 喜久代に戻ると言ったのは、子供を素直にさせる方便でしかない。そう言っておけば喜久代は言うことを聞く、それだけだ。

 戻るにしたって期限など定めていないのだから、いくらでも理由をつけて引き延ばせる。自分が何をやっているか、遠く離れた喜久代には分かりっこないのだから。


 しかし、母は軍人のつてをたどって夫の動向を知ってしまった。

 そして、深く傷つき気を落としてしまった。

 それでも懸命に父との約束を守ろうとする娘がかわいそうで、しかし明かせば娘の希望を奪うとますます悩んでしまった。

 そんな中当の娘からしっかりしろと言われて、ついに我慢の糸が切れて本音をぶちまけてしまったのだ。


 だが、喜久代がそれを受け入れられるかは別の話だ。

 だってこれを信じたら、喜久代は父に捨てられたと受け止めなくてはならない。

 父の心が離れないためにいろいろ押し殺して頑張ってきたことが、全部無駄だったことになってしまう。

 そんなこと、喜久代にはできなかった。

 結果、喜久代は母を非国民と罵り、大げんかして全力で反発した。

「そんな事ない、お父様は戦地であたしたちのために頑張っていらっしゃるのに!

 疑うなんて……不誠実なのはお母様よ!そんな事言ってるから、嫌われるのよ!あたしまで嫌わせて、そんなお母様大嫌い!!」

 喜久代は全身全霊で、自分と父の絆を守ろうとした。

 しかしそれがかえって残った母との仲を割き、さらに母をかわいそうに思って守ろうとした村人たちとの亀裂を作った。

 村人たちは喜久代もかわいそうに思ってひどい父から引き離し、母の実家で受け入れようとしたが、喜久代は頑なにそれを拒んだ。

 だってそんな事をしたら父を裏切ることになる。

 父はきっとまだ自分には期待して愛してくれているのに、それが奪われてしまう。

 そう思った喜久代は、村人たちが親身になろうとすればするほど抵抗した。優しい村人たちが、全部敵に見えた。

 こうして、喜久代は誰にも頼れずどんどん孤独にはまっていく。

 そんな娘にさらに心を痛め、母はついに病気になってしまった。

 そうすると、家の中でさらに喜久代の力が強くなっていく。

 喜久代は父のためにできることを探すあまり、村から物資をさらに徴発して軍に貢献しようとし始めた。

 そうして早く日本が勝てば、父が戻ってくると信じて。

 そのせいでますます村人から憎まれたが、喜久代は動じなかった。

 むしろ、村で横暴して嫌われていた父と同じになれたと密かな喜びさえ覚えた。自分は父と同じ側に立っている、つながっているんだとすら感じた。

 それほどに、孤独な喜久代の心はこじれていた。


 しかし喜久代の努力も空しく、日本軍は負けて追い込まれていく。

 ラジオから流れてくるニュースも勝利ではなく転進ばかりになり、物資はますます不足して生活は苦しくなる。

 村人たちは軍とつながっている喜久代の強要に心底嫌気がさし、この鬼娘をどうにかしてしまえと思うようになった。

 喜久代は村の様々な所で嫌がらせを受け仲間外れにされ、それでも屈するものかとがむしゃらに抗っていた。

 ……正直、ここで折れていた方が喜久代は幸せだったかもしれない。

 だが幸か不幸か、喜久代の味方が現れる。


 戦線が押し返され本土に迫るにつれ、本土の都市が空襲を受けるようになった。それを逃れて、父の親戚が喜久代の家に疎開してきたのだ。

 さらに、中国方面で負けを悟った軍人とその家族も帰ってきて、既に帰る家をなくしていたため喜久代の家に上がり込んだ。

 他ならぬ喜久代の父も、満州にいては危ないと感じ始めた。

 ここにいられる間は楽しもうとますます現地の女に溺れて鬱憤を晴らしながら、帰る家を確保しようと喜久代に手紙を出した。

<喜久代がよくやっているようで、嬉しいよ。

 分からず屋の百姓どもを、よく躾けてくれているそうじゃないか。

 だが、百姓どもがこう生意気で恩知らずでは、帰りづらいな。おまえが百姓どもを分からせて言うことを聞かせてくれたら、安心して帰れるんだが>

 父は、喜久代に村を制圧して自分たちの安住の王国にするよう頼んだのだ。

 この手紙に、喜久代は狂喜した。

 ずっと一人で他の人の嫌がらせに耐えて守っていた父への愛が、ついに実を結んだと感じたのだ。

 そして、父から与えられたこの役目を果たすことができれば、自分は父と再び幸せに暮らせると希望を持った。

 体よく利用されているなんて考えは、浮かぶべくもなかった。


 それから喜久代は、家に集まった軍人家族たちと一緒に村の支配を目論むようになった。

 正直、他の軍人家族にとってもこの計画は魅力的だった。

 これで村の百姓どもが完全に言う事を聞くようになれば、失った自分たちの家を取り戻せるかもしれない。

 万が一日本が戦争に負けても、敵に目をつけられないのどかな田舎で、村人たちに自分たちを守らせて安楽に暮らせるかもしれない。

 軍国主義にどっぷり浸かった軍人たちの、どこまでも付け上がった身勝手な願い。

 しかし喜久代にとっては、理不尽に折られそうだった父との愛を守る、大切な父の換える場所を守る正義の戦いだ。

 しかも、本心はどうであれ仲間がいれば勇気百倍だ。

 喜久代は集まった仲間と力を合わせて、行動を開始した。


 それからの喜久代のやることは、圧政の極みだった。

 これまで以上に村人たちに圧力をかけて人々の暮らしを追い込み、さらに地元の治安維持隊を巻き込んで村人の不満を取り締まった。

 軍人たちに不満を漏らせば矯正指導という名の拷問。物資を出し渋れば、近隣から容赦なく余分に徴発して村人同志を憎み合わせる。

 治安維持隊も戦争が不穏な方向に行っているのは薄々感じており、上からもっと国内を引き締めろと言われて焦っていた。

 そういう時に、こんな何をしてもいい敵は大歓迎だ。

 それに軍人たちと同じように、負けた時に逃げ込める場所を作りたかった。

 そんな者たちがどんどん集まって、村は絶望郷と化していった。


 そんな中、喜久代の母が死んだ。何者かに襲われた跡があり、調べたところ村の百姓がやったのだと治安維持隊は言った。

「許せない……村を守ってもらっておきながら……よくもこんな!

 こうなったら、誰が正しくて偉いのか徹底的に分からせてやるわ!!」

 この事件には不審な点が多く、村人の間では軍人家族と治安維持隊がやったともっぱらの噂だったのだが……もはや喜久代が聞く耳を持つことはなく、そう言った者を弾圧するばかりだった。

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