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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
274/320

274.父との離別

 明けましておめでとうございます。

 この小説も長く続きましたが、今年中には完結する予定です。


 最後の過去編、喜久代ちゃんの過去です。

 時は第二次世界大戦、村で幸せに暮らしていた喜久代を襲った悲劇とは。


 お祖父さんの喜兵衛はまともだったんですよ。そして現実が見えていた。

 しかし、実戦を知らず軍国主義の時代に踊らされた次世代たちは……。

 喜久代は、第二次世界大戦が始まる直前に生まれた。

 菊原村の禁忌を守るため村に招かれ定住した軍人のリーダー、間白喜兵衛の孫娘として。

 村の人々は、かつて村を守ってくれた軍人たちを信頼し、喜久代の誕生を祝ってくれた。治めている訳ではないけれど、ちょっとした姫扱いだった。

 軍部の力が強くなり、国全体で軍人を尊重するようになっていたのもある。

 村の中で大切にされて、家族とともにすくすくと育っていく喜久代は、何不自由ない暮らし以上に満たされて幸せだった。

 そんな彼女の運命が狂い始めたのは、父が村を出て行ってから。


 戦争が始まってしばらく、日本軍は優勢だった。アジア各地で勝利をおさめ、そこに派遣された軍人たちは栄誉と富を欲しいままにした。

 菊原村の軍人たちは本土で新兵の訓練などをしていたが、海外でそうしている知り合いの話を聞くたびに羨ましく思っていた。

「ああ、俺らも軍人に生まれたからには、己の手で栄誉を掴みたいものだ」

「おうよ、外に出た奴らはずっといい暮らしをしているというぞ。

 それに比べて我らは、こんな田舎の村で……」

 村は軍人たちを大切にしているが、所詮田舎の農村だ。大して楽しめる場所もなく、村人からの貢物もその程度。

 定住するきっかけになった化け物やならず者も、クメの一件以来何もない。

 実際にその事件に対応したわけではない次世代の軍人たちは、この村の退屈で質素な暮らしに不満を覚え始めていた。

 それでも喜兵衛が生きているうちは、軍人たちは村に留まっていた。

 最年長で階級も最も高く、日露戦争でそれなりに戦功をあげている喜兵衛。戦時中だからこそ、彼に逆らうことはできなかった。

 それに、喜兵衛は子や孫を守る意味でも海外に出したくないと考えていた。

 喜兵衛は、海外の戦場がどれほど過酷で危険かよく知っている。かつて泉宗次郎が負傷し、その子らが命を落とした戦場を、その目で見ていた。

 だから喜兵衛が生きている間は、喜久代も父と幸せにいられた。

 だが喜兵衛が死ぬと、状況は一変する。


 次世代の軍人たちは喜兵衛が死ぬと、抱えていた不満と欲望を抑えきれなくなる。

 自分たちも海の向こうに行きたいという野望を露わにし、村の者が留まってくれと要求すると、その見返りに金品を求めたり横暴を働いたりした。

 折しも戦争のせいで徐々に物資が不足し、村人たちの生活も苦しくなっていた。

 そのせいで村人たちが生活を切りつめても差し出せる物は少なく、軍人たちが脅しても搾り取れるものは少なくなっていった。

 こんな状況に、ついに村側からも軍人に出て行ってもらったらどうかと話が出始める。

 まさに、軍人たちにとって渡りに船だ。

 ちょうどその頃、中国軍の粘り強い抵抗で日本軍の大陸の戦力が不足し始めていた。菊原村の軍人たちは、その穴埋めに満州に行くことになった。


 この時、喜久代も他の家族と同じように一家で移り住めれば良かったのだ。(戦後どうなるかは別として)

 しかし、喜久代の家にはそうできない事情があった。


 喜久代の母は、村の守り手たる泉家の親戚で、元々村の人間だ。

 喜兵衛と宗次郎は間白家が末永く村の守り手となるよう、定住の証として、息子と親戚の娘を娶わせたのだ。

 そんなだから、当然母はこの村から出て行きたくないと抵抗した。一時的に行くならいいが、必ずここに戻ってくれと懇願した。

 帰る家はここに残して、自分だけでもここを守ると。

 そんな母を、父は煩わしく思っていた。

 軍人としてお国のために働きこの手で栄誉を勝ち取ることの、何が悪い。ついて来ればこんな村よりずっといい暮らしができるのに、物分かりの悪い女だ。

 そのうえ、母は村を思って父が村で横暴を働くのをよく諫めていた。それがまた、父の気に障っていた。

 父は、この機に家族ごと切り捨ててしまおうと考えた。

 一応体裁を保つため妻と娘を村に残し、自分だけで満州に行ってしまったのだ。


 このことは、幼い喜久代にとってショックだった。

 みんな自分を大切にしてくれて、家族そろってそれなりに平和な日々を過ごす、それが当たり前だったのに。

 父も、自分のことを可愛がってくれていたのに。

 母は最近よく父と言い争いになっていたが、子はかずがいだと自分を抱きしめてくれた。あなたがいればきっと大丈夫と、言っていた。

 なのに、どうして……。

 喜久代は、泣いて父にすがった。

 しかしそのたびに父は喜久代のことを悪い子だと言い、お国を守る軍人の子、いや国民として失格だと叱った。

 それがまたショックですがりつけばすがりつくほど、父の叱り方は苛烈になった。しまいには、相手をするだけ無駄だと言わんばかりに邪険にするようになった。

 これに喜久代は、足下が抜けるような恐怖を覚えた。

 それから逃れるために、自分は間違っているんだと自分に言い聞かせ、父の言うことが正しいのだと思い込もうとした。

 他でもない心が離れないために、辛さを押し殺して離別を受け入れようとした。

 そうして父に謝り、行ってらっしゃいませと言うと、父は昔のように笑顔になって優しく頭を撫でてくれた。

 この瞬間、喜久代はこれで良かったんだと屈してしまった。


 いよいよ別れの日、喜久代は泣き出しそうになるのを必死で我慢していた。

 父はそんな喜久代を安心させるように、こう言った。

「いいか、父さんはお国のために戦いに行くから、おまえと母さんはしっかりこの家を守るんだぞ。

 向こうでの仕事が終わったら、父さんはきっと帰って来る。

 それまで、これを父さんだと思って大事にしなさい」

 父は喜久代に、金細工のきらびやかなかんざしを渡した。喜久代はその重さと自分の役目を心に刻み、それを通じて自分と父はつながっているんだと信じた。

 そして、父の心が離れないようにその役目を果たそうと決めた。


 これが、後に昭和の白菊姫と呼ばれる、少女の悲劇の始まりだった。

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