272.翻弄
竜也VS喜久代!戦術家の女が娘を思う父を翻弄する!
喜久代ちゃんは広い場所で正面から戦うとあまり強くないですが、屋内戦で地の利があり周りに使えるアイテムがあると厄介な娘です。
普通に考えて武器にならないものを、自分の持つ武器を絡めたり地形を使って強力な武器にする……見た目で武器を持ってないように見えても何があるか分からないので始末が悪い。
銃持ちVSオフィスにあるアイテムでも、呪いが絡めば……。
いきなり階上から聞こえてきた娘の悲鳴に、竜也は心臓が鷲掴みにされるようだった。
「ひな菊!!」
ひな菊が下りてきているのは、間違いない。だがそこにおそらく……喜久代のさらに向こうに、もう一人敵がいる。
それが誰なのかは、すぐに思い当たった。
今のひな菊の悲鳴に続いて響いた、ひな菊を恨みがましく責める声……あれは平坂の娘、聖子だ。
(そうか、聖子が……呪いを受けてあちらの尖兵になったか!)
竜也がホールから出てきた時、後ろから聖子の悲鳴が聞こえた。だから、もう生きていないだろうとは思っていたが……。
問題は、黄泉の者にやられた死者があちらの戦列に加わってしまうことだ。
普通の死霊になるならまだいい。しかし聖子は野菊と同じ力を持つ平坂の巫女で、そのうえ野菊が課した使命を破ってしまった。
(なるほど、大罪人と同等か、それ以上に厄介なものになってもおかしくない!)
そんな奴が、ひな菊の目の前にいるのだ。
気が付けば、竜也は階段を駆け上がり始めていた。
そんなものを相手にしたら、ひな菊は一瞬で殺されてしまう。とにかく早く、ひな菊の下へ……それだけで頭がオーバーヒートしたようになって……。
だが、階段の上で喜久代が笑った。
「アハッ……そーれ!」
喜久代は階段の上から、大量の紙をぶちまけた。
「うわっ!?」
それに足を滑らせそうになってどうにか手すりを掴んだ竜也に、さらに小さな棒状のものが飛んでくる。
腕で払いのけると、それは赤黒く汚れたペンや鉛筆だった。
「ウフフッこんなモノでも……刺さっタラ、おシマいねぇ」
喜久代はそう言って着物の裾をめくり、自分の体に刺さっている鉛筆を引き抜く。呪われた己の血肉を使った、即席武器だ。
この狡猾な戦術に、竜也は全身に冷水を浴びた心地だった。
やはりこの女は、気合だけで突破できる相手ではないのだ。
一旦階段から下りて鬼のような形相で見上げる竜也に、喜久代はニンマリと笑って言った。
「アハハハッ娘さんが気にナルぅ?
……大丈夫、マダ呪いは受けてナイ。あの新しい巫女サン……娘さんに、相当恨みがあるミタいね。すグ終わらセル気じゃ……ナイみたい」
耳をすませば階上から、聖子の激しくひな菊を責める声と、ひな菊の許しを請う泣き声が聞こえてくる。
「あんたのせいだからぁ!!
……ほら、泣け!喚け!……許しを請いなさいよぉ!!」
どうやら、徹底的にひな菊の心を折る気らしい。
楽に死なせてたまるか、諦めさせて楽にしてたまるか、というおぞましい気迫が伝わってくる。いくらでも、苦しめたくてたまらないようだ。
だが、その高圧的な声は、竜也にとって福音だ。
聖子は怒りと憎しみに我を忘れ、ひな菊をすぐ殺せるのにそうしない。自分が完全に優位だと驕って、相手をなめていたぶっている。
これはまさしく、付け入る隙に他ならない。
聖子がこんな状態でいる限り、ひな菊の致命傷は猶予される。
竜也は、ひな菊に向かって叫んだ。
「ひな菊!!負けるな……ひな菊!!
足掻け!生きろ!立ち向かうんだ!!
パパだって絶対に負けない!どっちも負けなければ、すぐ会える!!」
ひな菊と対峙しているのは、効率的に役目を果たす野菊ではない。ただ感情に振り回され、驕って力に振り回されるだけの聖子。
ならば、まだ勝機はある。
自分とひな菊が最善を尽くせば、まだ道は残されている。
(パパも、全力で立ち向かうよ。必ず、一緒にここから逃げるんだ!)
そのためには、自分が喜久代に呪いを受けてもアウトだ。まだ無事なひな菊の希望を自分が折らないように、竜也は固く誓って己を律する。
そして、壁のようにそびえ立つ階段上の少女をギッとにらみつけた。
しかし、いくら心を固めても喜久代はそう簡単に突破できない。
喜久代は徹底的に高所の利を生かし、竜也を通すまいと妨害する。あらゆるものを武器とし、竜也の嫌なことを仕掛けてくる。
「ウフフ……いいモノ、あったんだ~」
喜久代は着物の袖の中から、黒い網のようなものを取り出した。そして、プラスチックの黒い棘をはだけた胸元にわざと突き刺す。
「こうしタラ、どうなの~?」
喜久代はニタニタと笑いながら、階段にそれを置いた。
呪われた血を塗った猫よけスパイクだ。飛び越えようとすればどうしても無防備になるし、ふらついてその上に手をついても終了だ。
「どこまでも、卑怯な真似を……!」
「アハハッいいのヨ~撃ってモ~!
どのクライ……当たるカシら?」
挑発的に笑う喜久代に、竜也は引き金を引きそうになる手をどうにか押し止める。
ここから撃ったって、ろくに当たりやしない。喜久代はそれを分かっていて、無駄弾を撃たせようとしているのだ。
もっとも、頭に当たる可能性がない訳ではない。ギリギリまで距離を詰めて全弾をばらまけば、ここを突破することはできるかもしれない。
その誘惑が、常に竜也に撃ってしまえとささやく。
娘を救えるのは今しかないぞと、早く撃てと急き立てる。
……だが、それではだめだと竜也は分かっている。
たとえここで全弾使って喜久代を倒したとしても、ひな菊の前には神通力を使う聖子がいて、クルミもおそらくかけつけられる位置にいる。
助かるために、ここで切り札を使い切る訳にいかないのだ。
いや、本当はそれでも急いで賭けるべきかもしれないが……もし喜久代を倒しても弾がなくなってひな菊を救えなかったらと思うと、逆に手が動かない。
竜也は、悪い未来と悪い未来に板挟みにされて押し潰されそうだった。
せめて腕力で喜久代に何かぶつけようにも、喜久代が落としてきたものは紙とペン。他のものを取りに下がれば、喜久代はひな菊の方に加勢するかもしれない。
とにかく動いて何とかしなければいけないのに、どうにも動けなかった。
そうしている間に、喜久代はチラリと廊下の方を見て呟く。
「大丈夫ぅ?だぁいぶ、夜ガ明けてキタけど」
言われてみれば、窓から差してくる光がさっきより明るくなってきている。ライトで照らさなくても、喜久代のシルエットが見えるようになってきた。
と、いきなりオレンジ色の光が喜久代を横から照らす。
同時に聞こえる、ひな菊の悲鳴。
「あらぁ、派手に……見せツケること!
ワザと当てナイようにしてるケドぉ……当たっタラ、一発でオシマイねぇ!」
喜久代の言葉から、何となく状況が分かった。
聖子が、ひな菊を呪いの炎でいたぶっているのだ。あの明るいのに禍々しい光は、まさしく非常脱出口で見た呪いの炎だ。
「ひな菊!逃げろ、逃げるんだ!!」
竜也は夢中で叫び、階段を上っていく。
だが喜久代はまた階段に紙をぶちまけ、硬く大きなファイルで上半身を隠して突っ込んできた。
「ラアアァッ!!」
竜也にぶつかる寸前でファイルを押し付け、横からカッターナイフで突き刺そうとする。
「させるか!」
竜也は鉄パイプを喜久代の胴に叩きつけ、押し返す。しかし押し付けられたファイルに視界を塞がれ、よろめいて後ずさってしまう。
何しろ、呪いまみれの猫よけスパイクに手をついたら一巻の終わりだ。
一方の喜久代は、猫よけスパイクを平然と踏み越えて二階に戻り、体勢を立て直してしまう。死霊の身ゆえ、痛みや多少の傷など恐れない。
「くそぉっ!!」
竜也はついに、声を荒げて地団駄を踏んだ。
ひな菊と自分の距離は、たったの十数メートル。走ればほんの一瞬。なのに、こんなに行きたくても届かない。
もどかしくて悔しくて、竜也は焦りと恐怖でおかしくなりそうだった。




