270.友達だった
視点がひな菊に移ります。
初めは敵が見えなくて安心するひな菊ですが……階下ではとんでもないものが待ち受けていました。
覚えていますか。今、宝剣を使える黄泉の将は二人になっていましたね。
さっき生きていた知人が今生きているとは限らない、ゾンビの基本に立ち返ろう。
ひな菊が社長室から出た時、廊下に動くものはなかった。見える範囲の死霊は、扉の前で倒れている悪代官のみ。
ひな菊はそれが突然動き出さないかとても怖かったが、勇気を振り絞って足を動かした。
パパは、ひな菊にも来いと言った。
だから、行かないとパパの足を引っ張ることになる。パパにばかり頑張らせている訳には、もういかない。
それに、パパがひな菊にしてほしいことをはっきり言ってくれるのは嬉しくもあった。
これまでパパはひな菊を守ろうとするだけで、何かしろと頼むことはなかった。いつも側にいてくれないのも相まって、ひな菊にはそれが寂しかった。
だから何か役に立とうと無理矢理考えて、その結果こんな事になってしまった。
だが、頭のいいパパに頼まれたことをやるなら……そうはならない気がした。
(そうよ、行かなきゃ……せっかくパパが来いって言ってるんだもん。
ここで怖がって、夜が明けて村の人たちに捕まる訳にはいかない。絶対逃げ切って、パパと静かに暮らすんだから!)
そう思うと、自然と足が速くなった。
社長室の扉から二階への階段までは、本当にすぐだ。特に他につながる所も隠れる場所もない。
ほんの短い距離でも安全だと分かると、ひな菊は安堵した。そして、どうかこのまま敵に会わずに行けますようにと願った。
しかし、階下から聞こえてくる銃声がそうはいかないと物語る。
時折聞こえる銃声は、パパが戦っている証。
つまり、そこに敵がいる証。
ここは今のところ静かだけど、下に降りれば何を見ることになるか……数時間前に見た死霊を思い出すと、ひな菊は足がすくんだ。
二階への階段の曲がり角が、地獄への扉に見えて。
それでもパパに会いたいという思いは止められず、ひな菊は階段の前にたどり着く。この先にパパがいてくれたらと、おっかなびっくりのぞき込む。
すると、階段の下に自分と同じくらいの人影が見えた。
「えっ……?」
思わぬ展開に、ひな菊は思わず足を止めた。同時に、ネイルハンマーと引き出しを剣と盾のように構える。
だが、人影は俯いたまま襲ってくる様子がない。
戸惑っているうちに目が慣れてくると、窓からのわずかな光に浮かび上がるシルエットが自分のよく知っている子だと分かった。
腰のあたりまで伸ばした、古風な髪型。いつものゴツいヘッドホンがないと日本人形みたいだ、とひな菊は思った。
それが誰か気づくと、ひな菊はホッとして体の力を抜いた。
「何だ、聖子じゃーん!生きてたんだ」
そう言って足取り軽く階段を降りようとすると……いきなり金切り声を浴びせられた。
「近づかないで!!」
その声のあまりの迫力に、ひな菊はびくりと足を止めた。
「な、何よ……今は喧嘩してる場合じゃないの!あたし、急いでるんだから!
そうだ、一緒に戦ってくれたら、あんたも一緒に来ていいよ。また力を貸してくれるなら、匿ってやってもいいわ。
ね、あんたもあたしの友達でいれば……」
聖子の機嫌が悪いのは分かったが、ひな菊はこんな時にうるさいなと腹が立った。
それでも貴重な味方には違いないので、聖子に利益になることを並べ立てて丸め込もうとしたが……。
「はぁ?もう友達じゃない……あんたが言ったんでしょ!?
おまけに、これまであんなに力を貸してやったのに、たった一回で役立たず呼ばわりして絶交とか言って。
さっきだって、私が結界を張ったのにそこから私を追い出して。
そんな奴、通してなんかやんない!!」
聖子は、火に油を注がれたようにさらに怒りをぶつけてくる。
それを聞いて、さすがにひな菊もしまったと思った。あの時は何もかも聖子が悪く見えたが、思い返せば聖子はよく自分の役に立っていた。
なのにあんな言い方やり方は、さすがにひどかったか。
それがこんな時に効いてくるなんてと、ひな菊は歯噛みした。
だが、こんな所で止まってなんかいられない。
自分は何としても、パパのところに行かないといけないのだ。今聖子の怒りに付き合っている暇などない。
「何よ……それでこんな大事な時に邪魔するって?冗談じゃない!
逃げられなかったら、あんたもあたしもお先真っ暗よ。それが分かんないなら……あんた相手でも容赦なんかしない!」
ひな菊はそう言い放って、階段を下り始める。
確かに自分も悪かったかもしれないけど、こんな時にこれはない。自分とパパの人生がかかっている時に、立ち塞がるなんて。
こうすれば、自分が泣いて謝るとでも思ったのだろうか。
それこそ、性悪もいいところだ。
なら自分が悪くても冷たくても、そういう相手だから仕方ないじゃないか。
むしろこんなひどい奴に、まともに相手にして謝ったら負けだ。こんな奴に浴びせるのは、文字通り鉄槌で十分だ。
幸い、聖子はあまり体力がない。自分が武器を持って叩き伏せれば勝てるはずだ。
……と考えて近づきながら脅しを兼ねてハンマーを振り上げたところで……ひな菊はぴたりと止まった。
見覚えのある妙な炎が、視界にちらつく。
そうだ、ついさっき見たそれは……壁を貫き梯子を切った、呪われた宝剣の炎。
いや、気が付いたらその宝剣自体が自分に向けられている。誰がそんなものを持っているのかといえば……聖子。
「え、何これ……どういう事!?」
かすれた声で問うひな菊の前で、聖子はゆっくりと顔を上げた。宝剣の呪われた炎が、その顔を照らし出す。
聖子の肌は不気味に変色し、目は白く濁り、血の涙が流れていた。
おまけにさっきは影になっていて見えなかったが、聖子のブラウスには穴が開き、そこからべっとりと血が広がっていた。
聖子はもう、生きた人間ではなかったのだ。




