269.立ち塞がる者
娘を助けるため上に向かいたい竜也ですが、その前にまた強敵……というか厄介な敵が立ち塞がります。
これまであまり見せ場がなかった大罪人、覚えていますか?
屋内戦で対銃が上手いのは、銃が主流の時代を生きたあの娘です。
これまでも、作戦や地の利、罠では地味に厄介だった。
「くっ……ひな菊、今行くぞ!」
油断なく銃を構えながら、竜也は社長室に向かう。
この区画は外から見ると工場と一体になっているが、他の部分と隔てられているため中は案外狭い。
それぞれの階にあまり使われない物置と応接室、外部の者に見られたらまずいものを保管する資料室があるのみ。
各部屋は狭く廊下も短いため、全力で走ればものの数十秒で社長室に行ける。
しかしその焦りが一番危ないと、竜也は理解していた。
外が少し明るくなってきたとはいえ、壊されたドアの向こうなど死角は多い。そこから、いつどれだけ死霊が飛び出してくるか分からない。
非常脱出口の出口にあれだけの死霊がいたことを考えると、まだまだ待ち伏せしていると考えるべきだろう。
案の定、壊れたドアの向こうの暗がりから唸り声が聞こえた。
竜也が立ち止まってライトの光を向けてやると、知能のない死霊は誘われて廊下に出てくる。
「……これだから、走る訳にはいかんのだ!」
忌々し気に呟きながら、竜也は銃で一体ずつ処分していく。
竜也とて銃を使い慣れている訳ではないので、遠くからでは頭に当てられない。身の毛がよだつような恐怖を必死に押さえつけ、死霊の手が届きそうな距離まで踏み込んで撃つ。
もう、弾を無駄にはできない。
時間も危険を排除するチャンスも、少しも無駄にできない。
死霊が出てくる前に走り抜ければ素早くひな菊の所に行けるかもしれないが、それでは帰り道に危険を残してしまう。
かといって向こうから歩み寄ってくるのを待って時間をかければ、ひな菊が危ないし、敵に増援を呼ぶ時間を与えてしまう。
それでは、だめなのだ。
竜也は逆境の中でも、ひたすら最適な行動をとり続けている。
伊達に反社と付き合い法を侵して会社を大きくしてきた訳ではない。
それもこれも、何もかもはひな菊のため。愛しい娘を守ることを考えると、どんな状況でもいくらでも勇気が湧いてくる。
竜也はもどかしい思いに胸を焦がしながら、着実に進んでいった。
程なくして、竜也は階段にたどり着いた。
だが竜也は、ますます気を引き締めてかかる。
(……こういう所が、一番危ない。
もし私が敵の立場だったら、確実に高所からの攻撃で優位に立つ。知能のない死霊だけならいいが、この上には野菊が……)
しかし、行かない訳にはいかない。
竜也は覚悟を決めて、銃口とライトの光を階段の上に向けた。
と、次の瞬間、階段を何かがぶつかりながら滑り降りてくる。慌てて身を引いて照らすと、それはパイプ椅子だった。
「あらあらァ、ずいブンと……肝っ玉の、太いコト!」
甘ったるく、それでいて人をなじるようないやらしい声音。
これまで聞いた野菊の声とも、司良木親子の声とも違う。
改めてライトを向けると、階段の上に立つ女の姿が照らし出された。
黒に、血で汚れてはいるが花のような模様の着物の女。白菊姫とは、違う。上半身の汚れが少ない部分の花は、まだ元の鮮やかな色を残していた。
「間白、喜久代か」
竜也が名を呼ぶと、女は幼さの残る顔にいやらしい笑みを浮かべた。
「ご名答……まァ、それシカ残らナイ……わよネェ」
間白喜久代、おそらく野菊の反撃の決め手となった大罪人。
白川鉄鋼に来てすぐ楓と交戦し、大した戦果もなく倒されていた。しかしこいつがしゃべるという証言を猛が封じたため、拘束されることなく復活して野菊の依り代となってしまった。
その後も偵察に出した楓たちと交戦するも、多くの死霊や罠を使いながら楓には逃げられていた。
さっきも大した戦いはできず、楓にかんざしをむしられていた。
戦う力で言えば、大して脅威ではない。
しかしこの女の現れるタイミングと動きは、いちいち竜也に痛恨の一撃を与えている。
強くはないが、いやらしい女だ。
竜也は不吉なものを覚えながらも、喜久代に銃を向ける。今は、こんな所で立ち止まっている暇はない。
よく見れば、喜久代は宝剣を持っていない。
つまりこの区画に、他に誰か宝剣を使える者がいるということか。
(……どういうことだ?
白菊姫は遠く、司良木の母親と悪代官は倒した。司良木の娘は陽介を追って、こことは別の場所にいるはず)
しかし考えてみれば、駒が足りない。
まだ自分の知らない何かがあるのかと、竜也は嫌な予感がした。
だが、だからこそ踏み込むのをためらってはならない。ためらう間に、ひな菊がその何かの牙にかかるかもしれないのだ。
(とにかく、見えている駒を削るしかない!
ひな菊への道は、ここにしかないのだから!)
竜也は懸命に喜久代に狙いを定め、引き金を引く。ズダーンズダーンと銃声と共に、鉛弾が邪悪な死霊に向かう。
だが、喜久代は着物の長い袖で顔と頭を隠して曲がり角の向こうに引っ込んでしまう。
頭に当たりさえすれば必殺の銃弾は、布に小さな穴を作っただけだった。
「くそっ……行くしかない!」
喜久代が見えなくなった隙に、竜也は階段を駆け上がった。
罠の可能性は高いが、それでも行くしかない。階段の下からでは、いくら撃っても頭に当てられそうにないから。
だが、喜久代も黙っていない。
袖で顔と頭を隠したまま、素早く低い姿勢でパイプ椅子を振り出して脚を狙ってくる。
「うわっ!?」
何とか手すりを持って飛びのいてかわし、返す刀で銃を撃ちこむも、喜久代は倒れない。そのうえ、喜久代の後ろからまた二体の死霊が向かってくる。
階段の下からでは銃口をうまく頭に近づけられず、竜也はまた無駄弾を撃ちつつも階段から降りて死霊を倒すしかなかった。
それを眺めていた喜久代は顔をしかめ、舌打ちした。
「よクも、まァ……くぐり抜けるコト!
あなた、いい軍人ニナれるわヨ」
「ぐっ……貴様こそ!……そうか、軍人の娘だったな!」
竜也もさすがに怒りと悔しさに顔を悪鬼のように歪めながら、思い出して言い返した。
そうだ、この間白喜久代は太平洋戦争時代の軍人の娘。ある程度現代的な戦術をかじっている可能性があるし、銃の対処も知っている。
さっき楓と戦っていた時も、電気を消したり防火扉を使って罠を仕掛けていたじゃないか。直接的な力は乏しくても、地の利を取らせると非常に厄介だ。
倒すチャンスはあったのだから倒しておけばと、竜也は歯噛みした。
そんな竜也を見下ろし、喜久代は高慢な笑みを浮かべる。
「そりゃ、ソウよ……あタシは、この村ノ英雄の……孫ナンだからァ!」
その言葉に、竜也はまた清美から聞いた話を思い出した。
司良木クメから村を守った、高潔な軍人が、この村に招かれて住み着いたという。腐っても、その血を引いているということか。
「だかラァ……あたしは、不届き者カラ村を守ルのよ。
あンタも……あたしが、成敗してアゲるわぁ!!」
喜久代は粘ついた涎まみれの歯をむき、歪んだ戦意を露わにした。
だが、竜也はそれを見ても、むしろ落ち着いた。
「そうか、君は……私を突撃させようとしているのだな。ひな菊と挟まれて身動きが取れなくなる前に、私を殺す気か。
やはりこの先には、君しかいない。普通の死霊も使い切ったか。違うか?」
竜也は喜久代に阻まれながらも、いつひな菊の悲鳴が聞こえるかと気が気ではなかった。しかしかなりの時間が経っても、それは聞こえない。
ならば、階上にはひな菊を攻撃する手がないのではないか……竜也はそう判断した。
しかし喜久代は、嘲笑って言う。
「それは、どうカシラね……あの新しい子、遊びタガッテたから……」
言葉が終わらないうちに、最愛の娘の絶叫が響く。
「いやああぁ!!!」
「ひぃ~ながぁ~悪いんだぁーっ!!」
直後に聞こえた禍々しい叫びは、竜也の知っている少女の声だった。




