268.一人と一人
もう何度目の菊の季節だよと思いますが、次の菊の季節までには完結させたいと思っております。
こっちは屍記より一話が短いせいで長く続いてるのもありますけどね。
強引に分かたれてしまった竜也とひな菊、もう彼らに力を貸してくれる者は誰もいません。
いくら冷酷に切り捨てても、失って初めて分かる大切さがある。これまでのこの親子の強みが何であったかを考えると、それは必然。
そして、ひな菊に迫る黄泉の将は……今、誰がどこにいましたか?
「このっ!!」
竜也は、勢いよく脱出口のドアを開け放つ。
そのドアは妙に重く、それでも体重をかけて押し切ると向こうで何かが倒れる音がした。ライトの光が、ひっくり返る死霊を照らし出す。
ふと横を見ると、別の死霊が掴みかかってくるところだ。
「くぅっ!!」
自分を噛もうと大きく開かれた口めがけて、竜也は迷わず引き金を引く。ズダーンと重い音がして、死霊が後ろにのけぞって倒れる。
さらにその後ろから二体、会社の作業着を着た死霊が迫る。
「邪魔を、するな!!」
梯子が床に落ちてぶつかるけたたましい音を聞きながら、竜也は怒りをぶつけるように弾を浴びせる。
もっとも怒りで手がブレて、一発無駄になってしまったが。
だが、そんな事に苛立っている暇はない。
竜也は必死に己を抑えつけ、鉄パイプに持ち替えた。そして、起き上がりかけの妙な姿勢でドアを回り込んでくる一体に叩きつけた。
それでも一撃では止まってくれず、竜也は周りに目を走らせながら何度も鉄パイプを振り下ろす。
(やはり私の力では、猛のようにいかんか!)
もどかしくて、ついさっき切り捨てた猛の顔が脳裏に浮かぶ。
猛は、倒れた死霊は力任せにほぼ一撃で葬っていた。ひどい男であったが、力だけは本物だったのに。
他のほとんどの人ができないことを、平然とやり遂げていた。
(ぐっ……やはり、切り捨てたのは早計だったか!
事務長も生かして報酬をぶら下げてやれば、まだ働けたはず)
その時はもういらないと思って切り捨てたのに、今はその手があればと切に思う。
たった一人で困難に立ち向かうことが、こんなにも大変なことだったなんて。
思えば竜也は、いつも多くの他人を使って生きていた。いくら切り捨てても、これまではいくらでも代わりがいた。
しかし今、竜也は本当に一人ぼっち。
いや、これからはもう、自分たちのために働いてくれる人間が得られるかも分からないのだ。
ようやく出入り口を囲んでいた死霊を倒すと、竜也はぐるりとライトで周りを照らした。
まだ唸り声はどこかで聞こえるが、見える範囲に死霊はいない。だが待ち伏せされていたということは、やはり野菊の差し金だろうか。
(さっきの攻撃は、おそらく二階の高さから。
だとしたら、そこに野菊が宿った大罪人がいるということ。
……まずい、早くひな菊の下に向かわねば。まんまとやられた!やはり回り道になっても、逃げ場の多い道を選ぶべきだったか!)
神通力を使ってきた時点で、あれが野菊の攻撃であることは明白だ。
そして野菊の狙いは、自分ではなくひな菊。
野菊は銃を持つ自分に邪魔されないように、自分とひな菊を分断したのだ。あわよくば、あの壁越しの攻撃でひな菊を葬る気で。
(くそっこんな事、人間に予測できるか!)
竜也は悔しさに、拳を握りしめた。
だが、なってしまったことを思い返している暇はない。
すぐにでも、ひな菊を助けに行かなければ。
竜也の周りに今倒れている死霊は四体、工場内にいる死霊はこんな数ではないはずだ。すると、残りは別のどこかに……。
「ひな菊……今、行くからな!」
竜也は走り出したい足を必死で抑え込み、周囲を警戒しながら歩き出した。
一方のひな菊は、社長室でしばし呆然としていた。
これからはもうパパと離れないと思っていたのに、その希望はあっけなく砕かれた。自分はまた、一人ぼっち。
幸い、今この閉ざされた空間に敵はいない。
だがあの壁を貫通する神通力を持ってすれば、敵は容易く扉を破ってくるだろう。そうなったらもう、逃げ場はない。
いや、どうせここから逃げる道はもう扉の先にしかないし、その先にはきっと敵がいるのだ。
ひな菊は、どうしていいか分からなかった。
その時、非常脱出口からズダーンと銃声が響いた。
(パパは生きてる……まだ、戦ってる!)
ひな菊の心にも、力が注ぎ込まれた。
自分も父も、まだ生きている。ならば、また一緒になればいい。険しい道だけど、今を乗り越えれば温かく穏やかな日が訪れる。
ひな菊の目に光が灯り、キッと扉をにらみつけた。
(そうだ、あたしも行くんだ!
パパが頑張ってるんだから……パパもあたしと一緒にいたいんだから……今度こそ、あたしも動いて願いを叶えるんだ)
決意すると、ひな菊はすぐに動き出した。
社長机から引き出しを一つ引き抜き、中身をぶちまけて盾代わりに持つ。
それから扉に耳をつけてじっと耳を澄ますと、外はまだ静かだと分かった。少なくとも、死霊が扉を叩いてはいないし、大罪人の悪代官も復活していないようだ。
(パパ、あたし……負けないよ!!)
窓から差し込む夜明け前のわずかな光が、その背中を押す。
ひな菊は、勇気を振り絞って社長室の扉を開け放った。
階下で響く銃声を聞きながら、少女は歩みを進める。
その心の中は、嗜虐的な喜びと煮えたぎる怒りに満ちている。
さっき宝剣で壁越しに突いた時は、つい気がはやって焦って取り逃がしてしまった。うまくいけば、竜也の頭上からひな菊の死体を落としてやれたのに。
ならば父の方をと梯子を切って落としてみたが、どうもそれも外れたようだ。
おまけに出入り口に何体も死霊を待ち伏せさせたのに、それでも竜也は死んでいない。これでは、死んだ父をひな菊に噛みつかせることもできないじゃないか。
あの親子のしぶとさと悪運の強さには、本当に腹が立つ。
あそこまで外道をしておいて、なぜあいつらは生きているのか。
自分は、ちょっとサボっただけでこんなになったのに。
「ああ、恨めしい憎らしい……!」
ぶつぶつと呟くのに合わせて、手にした宝剣がごうっと燃え上がる。禍々しい火の粉をまき散らしながら、新しい黄泉の将は呟く。
「ひながぁ~……悪いんだぁ!!」




