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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
265/320

265.犬の末路

 頭でっかちで予想外の事態に弱い事務長さん。

 彼がひな菊に常々抱いていた思いとは。

 剛腕な社長の隣にいることで自分もそうなった妄想に浸った事務長に、現実は容赦なく牙をむきます。


 扉の向こうから、訪れたのは……。

 そうこうしている間に、音はガンガンと近づいて来る。ついに一階下と思われる音が止み、階段を上る足音が聞こえ始めた。

 それが近づいてくるにつれて、事務長の息もどんどん荒くなっていく。

「ハァッハァッ……見極めろ……いつ、こいつを使う……?」

 事務長の頭の中は、いかにひな菊を使って自分が生き残るかのシミュレーションで一杯だ。

 こちらから扉を開けた方がいいのか、向こうが入って来るまで夜明けを待つべきか、その場合自分はどう動きべきか。

(こっちが開けた方が余裕がある?主導権を握れる?

 いや、しかし向き合わなくて済むならそれに越したことは……夜明けまであと何分だ?ああクソッパソコンがあってもオフラインだ!

 だが、もし社長が戻ってきたら……いや、この娘が助かってさえいれば……)

 次々といろいろな可能性に思考が飛び、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 事務長はいろいろな事態を考えるものの、竜也ほどの決断力と胆力はない。そのためピンチになるほど、思考にはまって動けなくなる。

 時間も無駄にしてしまう。

 そうしているうちに、ついに社長室の扉がガーンと鳴った。

「ひいいっ!?」

 事務長はひな菊を掴んだまま、震え上がった。

 とっさにひな菊の体を、扉に押し付ける。

(そ、そうだ……奴は神通力を使うかもしれない!神通力で何かが貫通してきたら、真っ先に小娘が死ぬようにしておく!

 そうすれば、ぼ、僕は助かる!!)

 押し付けられた扉が外から叩かれるたび、ひな菊は悲鳴を上げる。それでますます冷静さを奪われ、事務長は動けなくなる。

「ハァ……おまえが、悪いんだ……ハァ……!」

 叩くということは神通力を使っておらず、むしろ今が逃げる最後のチャンスともとれるが、事務長にはもうそれも分からない。

 叩かれているだけなら社長室の扉はそうすぐには壊れないし、その音が死霊の気を引いてくれるのだが……それも考えられない。

 事務長はただ頭をフルに空転させ、死地が近づいてくるのを待っていた。


 その時、ひな菊が何事か呟いた。

「……く……ず……」

「は、何だと?」

「この……役立たず!!」

 少しでも状況を掴もうと傾けた耳に入ってきたのは、事務長が一番聞きたくない評価。瞬間、事務長の頭に血が上った。

「は、はぁっ!?この私が、や……言ったなこの疫病神が!!」

 事務長は爆発した怒りをぶつけるように、ひな菊を扉に叩きつける。

「元凶のおまえが言うな!!

 僕ぁいつだって、社長の役に立ってきた。社長と共に上を目指して、一緒に走ってきたんだよぉ!

 それを、おまえごときのせいで、台無しにしやがって!おまえが社長の足を引っ張って、僕の足も踏んで、なのに社長はおまえを……!」

 事務長は、今の全ての不幸をひな菊のせいにしてまくしたてる。


 思えばこれまで、ひな菊のせいでいつも自分と会社は損をしてきた。

 竜也は他のことにはあんなに合理的なのに、ひな菊のことになると途端にいくらでも注ぎ込んでしまう。

 会社の役に立たない、ただの足手まといに。

 自分の方がこんなに頑張って働いているのに、どうしてこいつの方が。

 つまるところ、嫉妬しているのだ。

 おまけのひな菊を守るために自分の銃がないなんて、たまったものじゃない。逆にこいつがいなければ、社長は自分にも銃をくれたかもしれないのに。

 社長が銃を持っていると分かった時、事務長の胸は高鳴った。

 やはり竜也社長は、常識に囚われない偉大な人物だ。この人について行けば、自分も法を越えた力を持つようになるだろう。

 事務長は、銃を手に社長の隣に立つ自分を妄想していい気分だった。

 ……が、それが裏切られた。

 逆に自分がそこまで信用されていないと、突きつけられてしまった。

 結局のところ事務長は、その勝手な妄想が破れて悔しいのだ。非常時のパニックもあってそれに振り回され、ひな菊に当たっているだけなのだ。

 もっともそんな気質を見抜いていたから、竜也はこの男を完全に信用しなかったのだが。


「いっだぁ!?」

 突然手に走った痛みに、事務長は悲鳴を上げた。

 ひな菊が、頭を掴んでいた手に噛みついたのだ。

 思わぬ反撃に、事務長は思わずびっくりして手を引いてしまう。その隙にひな菊は床を転がり、扉と事務長から離れた。

「くっ……冗談じゃないわ!死ぬのはあんただけで十分!」

 ひな菊は痛む体を引きずって、非常脱出口へ逃げようとする。

 しかし、事務長が激昂して飛びかかった。

「なめるな小娘ええぇ!!」

 大人の男の力には勝てず、ひな菊は床に押さえつけられる。お互いの息がかかるような距離で、事務長はぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべる。

「ハッ役立たずが、僕に勝てると思うなよ!

 おまえはここで死ぬ、それで僕は、ここのノウハウを持って上に上がれるとこ行くんだよ!

 しょーがないよなぁ、おまえが足引っ張ったんだから。お詫びに扉が破られるまで、ちょっとでも僕を楽しませろよ!」

「そんなことしてパパが……」

「残念、今向こうにいるのはパパじゃなくて敵だ。

 扉が破られなくても、日の出前におまえを放り出せば証拠なんざ……」


 事務長は気づかない。

 いつの間にか、外からガンガンと叩く音がやんでいることに。


 いきなり、扉のノブがガチャリと回った。そして分厚く頼もしかった扉が、キィッと音を立てて開いていく。

「生贄だホラァ!!」

 事務長は、とっさにひな菊をそちらに放り投げる。

 果たしてその先には、太ったちょんまげ頭の死霊が立っていた。……が、その体がぐらりとよろめき、唐突に倒れ伏した。

 その後ろに仁王立ちしていたのは、目を血走らせた人間……白川竜也その人だった。


 二人は一瞬、あっけに取られた。

 しかしすぐに、ひな菊が気づいて甘え一杯の声を出す。

「パパ~!!」

 ひな菊は跳ね起きて、誰よりも大事なパパに飛びついた。竜也は安堵するも未だ険しい顔で、ずかずかと社長室に入って来る。

 その目が、ギロリと事務長をにらみつけた。

「は……え……?」

 事務長は、どうしていいか分からなかった。

 さっきのを、社長に気づかれただろうか。少なくとも、ひな菊を組み伏せていたところは見られている。

 だが、どういう訳か社長は自分を攻撃してこない。ひな菊を守っただけでも、評価してもらえているのだろうか。

 ポカンとして思考にはまっている事務長に、竜也は短く言う。

「ご苦労だった。弾を」

「あ……はい!」

 竜也に言われて、事務長はとっさに弾を差し出す。

 何はともあれ、銃を持った社長は戻ってきた。これなら、夜が明けるまでの間、銃で守ってもらえるだろう。

 手早く弾を込める社長に、事務長はもっともらしく報告する。

「お戻りになられて、ようございました。

 お嬢様が恐怖で狂乱なさっていたので、さっきはやむなく……」

「黙れ」

 言葉を遮られると同時に、事務長の口に固いものが押し付けられる。それが銃口だと気づいた時には、竜也は引き金を引いていた。

「正直なら、許しても良かったのだがな」

 事務長の後頭部に、風穴が開いた。

 意識を失う刹那に事務長が見たのは、社長の失望しきった顔だった。

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