257.最後の前に
前半は竜也、後半は役場。
勝負が決まりつつある状況で、両者には何が残っているのか。
話が始まってから、ひな菊の家族で出て来なかった人がいますね。竜也のひな菊への思いには、失われた大事な人への思いが重なっていて……。
竜也は、必死で社長室に向かって走っていた。
(クソッ早くひな菊を……弾を……!)
手にした銃が、ひどく軽く感じる。実際の重さはそう変わっていないのだろうが、もう弾は一発しか込められていない。
つい今しがた使ってクメを倒せたのはいいが、これでは自分の身を守ることもできない。
それでも、竜也は娘の下へと走った。
何よりも大切な一人娘だけは、見捨てる訳にはいかない。それに娘のいる部屋に行けば、弾がまだある。
おそらく今となっては唯一の味方……共犯者である事務長も。
(さっきの放送で、下っ端共は皆離れた。
だが、あいつは……事務長だけは私から離れられんはずだ。
あいつは他と違い、私の違法行為をほとんど知り、共にこなしてきた男……それこそ、知られたら娑婆にはいられん。
だからこそ、信頼して娘を預けられる)
そう、竜也の数々の悪事や荒事を一人でできる訳がない。裏のマネージャーもこなしてきた事務長だけは、竜也と一蓮托生の存在だ。
しかし、命がかかっている状況では油断できないとも思う。
(白菊姫は役場にいるし、他の大罪人はホールに集まっていたから大丈夫だとは思うが……あれだけ手を打っても今回はこの様だ。
いや、前も……悪いことはいつも予想の上を行く。
今回は……ひな菊だけは、絶対に失ってたまるか!)
竜也は銃を握りしめ、汗だらけになって走り続ける。
ホールから廊下への扉を封鎖されてしまっため、工場内を通れずこうして外から回るしかない。
ただし、工場内のどこに敵が待ち伏せしているか分からない以上、見通しの良い外からの方が結果的に良かったかもしれない。
(まだだ……まだ全てを失った訳じゃない!
おまえとの子だけは、必ず守り抜いてみせる!)
ひたすら娘の無事を祈る竜也の脳裏に、今は亡き妻の顔がフラッシュバックした。
役場の放送室で、マイクの前にいた白菊姫の体がびくりと震えた。そして、引き締まった表情でゆっくりと振り返った。
「……一応、やれることはやってきたわ。
平坂親子には、きっちり引導を渡してきた」
野菊は、事の報告をしに白菊姫の体に戻ってきた。
役場の人々は、緊張が解けてホッと胸を撫で下ろす。
「それで、あちらのご様子は?」
「うまくいったわよ、もう社長は社員や村人を使えない。
宗平さんの放送の間はまだ認めたくない人もいたようだけど、小山さんがしゃべりだしたら一気に勝負がついたわ。
身内の暴露は強力ね。
こちらについてくれて、本当にありがとう」
野菊はそう言って、小山に深々と頭を下げた。
小山は驚いたように目をしばたいて、慌てて首を横に振る。
「いやいや、俺は元々宗平さんたちを殺すために来たんだからな。そんな風にお礼を言われる義理はないぜ。
俺はただ、命が惜しいだけさ」
しかし田吾作も、そんな小山の背中を叩いて晴れやかに言う。
「じゃが、結果は結果じゃ。これで奴の牙城を崩し、多くの人が解放された。
それに命惜しさとは言うが、こいつらが抵抗しない人間の命まで取らんことは分かっとったじゃろう。
保護された他の者のように、黙秘することもできたはずじゃ。
そうせんで、よくやってくれた」
「ええ、おかげで非常に助かりました。
警察に引き渡してからも、できるだけ罪が軽くなるようお助けしますよ」
森川も、優しい声で告げる。
とにかく、五度目の放送は申し分ない成果を叩きだした。下手をすれば多大な犠牲を出しかねない竜也の人垣を、跡形もなく崩して助けることができた。
何より無関係な人を守りたい宗平たちにとっては、この上ない喜びだった。
報告が済むと、野菊は宗平たちに別れを告げてバリケードの方へ歩き出した。
日の出までそう時間はないが、万が一を考えて死霊たちは役場から引き離さねばならない。野菊が白川鉄鋼の方で手が離せなくなれば、死霊たちはその間統制を失うのだから。
それに、竜也がひな菊を連れて逃げる道はできるだけ塞いでおきたい。現代の車は、使えれば簡単にこちらの追手を振り切れるのだ。
竜也がどれだけ手を尽くそうと、ひな菊だけは逃がさない。
「ひどい目に遭わせておいて、こちらこそお世話になりました。
咲夜ちゃん、これからも村と菊をお願いね」
別れ際に、野菊は咲夜に丁寧にお願いする。
自分が残した呪いと白菊姫から受け継がれた菊のせいで、理不尽な葛藤とありもしない罪を押し付けられ、振り回された少女。
本当なら、自由に生きてと言うべきかもしれない。
だが、今の咲夜になら頼んでもいい気がした。
この修羅の一夜でいろいろな体験をしていろいろな真実を目にして、咲夜は変わった。その目には、守り手の勇気と菊への素直な愛情がこもっている。
だが、咲夜は答えずにこう言った。
「最後にちょっとだけ、白菊姫と話をさせて。
私も、白菊姫に言わなきゃならないことがあるの」
野菊はうなずいて、フッと目を閉じた。
その目が開いた時、白菊姫の表情は本来の白菊姫のものに戻っていた。その目と目が合った瞬間、咲夜は勢いよく頭を下げた。
「ごめんね、あなたと大事な菊をあんなに傷つけて!
私、別に菊が憎い訳じゃなかったの。でもあの時は、どこに向けたらいいか分からないいろんなものを、あなたと菊に向けてしまって。
もう、あんな事しないから!……菊のことは、安心して私に任せて!」
それを聞くと、白菊姫は大輪の花のように顔をほころばせた。
「ありがたい、そのように言ってもらえて、嬉しい限りじゃ。
そなたの菊づくり、わらわも黄泉から見守っておるぞ!」
同じ志を重ねるように、咲夜と白菊姫は手を取り合った。
白菊姫が村中に謝るのを見て、咲夜も白菊姫に謝った。この心を忘れなければ、これからはうまくいくと、己の心に刻むように。
そうしてお互いにけじめをつけて、二人の世界は再び分かたれた。




