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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
256/320

256.正しき決意

 陽介に必死で謝り、未来のためにするべきことを呼びかけるクルミ。

 しかし、陽介が今夜遭った苦難がそれを阻みます。


 自分の犯した罪は、自分に返って来る……。

 無情な現実を前に、それでもクルミの決意は。

 クルミの頬に、はらりはらりと紅い涙が流れ落ちる。クルミの白く濁った目から、血の涙が止めどなくこぼれていた。

「ごめんね……ゴメンなさイ……私の、せいで……」

 クルミは、謝っていた。

 眉根を寄せ、声を震わせ、陽介の手をきつく握って。

 それは、さっきまでの悪びれない勝気な態度からは想像もつかないほどに真摯で誠意に満ちていて。

 陽介は、思わず目を疑った。

「嘘だろ……おまえ、何で……?」

 陽介が発した声に気づいて、クルミはまたも語気を強めて呼びかけた。

「私、アナタと家族を、とても不幸にシテしまった!

 でも、あなタはこんなニ不幸にナルべきじゃナイの。幸せを願ったコトは、何も悪くナンかないの。

 ダカら、ドウか……幸せを諦メないで!」

 クルミの声は、涙に濡れて絞り出すようだった。

 クルミの手が、陽介に活を入れるようにぎゅっと力を入れる。

「ネェ……立って、お母サンを追いカケて!あなたナラ、できる!追いツイて謝ってすがりツイて、日の出マデ村に留めるノ!

 ソウしたら、もう村の人たちニ、虐メさせたりシない。

 私、しっかり謝って、けじめをツケるから!!」


 クルミは良くも悪くも、立ち直りが早く先々を考える女である。

 自分から生じた因縁で不幸のどん底にいる楓と陽介を救うため、クルミは一生懸命考えた。

 楓はいろいろなショックが重なって陽介を置いて逃げてしまったが、母親がそう簡単に子を捨てられるものか。

 きっとまだ心のどこかで迷っているし、逃げるにも路銀が要るから、すぐ家に向かえば追い付いて捕まえられるはずだ。

 その間に自分は村の人たちに謝って、けじめをつけよう。

 この母子がこれ以上虐められないように、できる限り禍根を断とう。

 見た所この母子が罪を犯したのは社長親子に唆されたり騙されたりしてのようだし、きっと許してもらえるはず……。


 という考えが大甘だと気づけないのは、やはりクルミがまだ人の心をよく分かっていない証だ。

 クルミは、罪を受け入れはしたものの、やはり自分本位に考えていた。

 もう事態は自分の手を離れて久しいのに、自分にどうにかできると信じていた。


 それ以前に、陽介が自分の言うことを聞いてくれる前提で考えていた。

 自分は陽介とその家族を理不尽な苦難に突き落としたけれど、誠意をもって謝って幸せになる方法を提示しているのだから受けてくれると。

 未来のためにその方がいいに決まっているんだから、間違いないと。


 陽介の目に今自分がどんな風に映っているか、クルミにはまだ考えが足りなかった。


 懸命に涙を流し、自分を励ますクルミに、陽介は面食らった。

 さっきまではあんなに自分を殺そうと襲い掛かってきたのに、時には甘く自分を死に誘おうとしたのに、どういうことだ。

 こいつは一体、何がしたいんだ。

 自分に優しくして励ましてくれるこいつにすがりたい心は、確かにある。

 だが、それよりも疑いが先に立つ。

 だってこいつは、禁忌を破った自分を殺しに来た黄泉の尖兵だ。死んでいながら呪いで動き、人の肉を食らう化け物だ。

 さっきだって、殺された父の肉を貪っていたじゃないか。その血が口から胸元に、べっとりとついているじゃないか。

 そんな奴が、本気で自分を助けようとする訳がない。

 いや、もう人間でも信じられない。

 陽介は今宵、人の悪意に晒されすぎた。

 ひな菊は父を課長にすると約束したのに、父は社長が母に殺させてしまった。ひな菊に頼まれてやったのに、社長はそれを否定して自分だけに罪を押し付けた。

 親子ですら、もう信じられない。父は自分を前に出して都合よく戦わせようとするばかりで、母も自分の気持なんか分かってくれず身も心も置き去りにした。

 とどめに自分も、自分を守るために流れるように口から嘘を吐いていた。

 陽介はもう、何も信じられない。

 世の中なんて、他人なんて、自分すらも、こんなもんだ。

 だからいくら誠実そうな顔で涙を流していたって、しおらしく謝ってきれいな事を言っていたって、信じていい訳がない。

 こいつが本当に自分を救おうとなんか、する訳がない。

 陽介の中で、打ちのめされて絶望した心が喚く。


「放せ化け物!!」

 陽介は全身に力を込めて、クルミの手を振り払った。その勢いでクルミを突き飛ばし、唾を飛ばして言い放つ。

「分かってんだよ……てめえが俺を殺したいのは!!

 そのためなら何でもやる!

 俺たちを苦しめるためなら、甘い顔だって平気でする!

 そういう奴だよおまえは!!」

「えっ……!?」

 いきなりぶつけられたひどい拒絶に、クルミは狼狽した。だって自分は心の底から反省していて、本当にこの子を幸せにするために……。

 通じるはずだと信じて、クルミは懸命に訴える。

「ち、違う……さっきマデは、そうだったケド。

 でも今は、本当にあなたヲ助けタイの!

 お願イ、言う通りにシテ……そうシタら、あなたの家族はコレ以上壊れなくて済む!あなたダッテ、これ以上苦しまナクて済む……」

「んな訳あるかボケェ!!」

 陽介は、全身をいからせて怒鳴りつけた。

「始まりがてめえでも、今夜死霊を出したのは俺なんだよ!!今夜死んだ奴の仇は俺なんだよ!!

 それを……てめえが謝りゃ済む?幸せになれる?

 ざっけんな!!結局、てめえが思ってるだけだろうが!!」

 ぶつけられたど正論に、クルミは言葉を失う。

 結局自分は大局を見られず、目の前のことに囚われて一人舞台に入っていたのか、と。


 反論できないクルミの前で、陽介がスクッと立ち上がる。しかし、クルミの求めたことではない目的のために。

「絶っ対捕まらねえ、てめえなんかに殺されねえ!!

 俺がどんなクズでもな、てめえにゃ殺されてたまるか!!

 夜明けまで、逃げ切ってやる!!」

 陽介は鬼のような顔でクルミを蹴りつけると、脱兎のごとく玄関に向かって逃げ出した。途中で邪魔になる聖子をも突き飛ばし、外に出てしまう。

 しかし向かったのは、工場から出られる正門のバリケードではなく、敷地内の違う方向だ。

 陽介は母親を追うのではなく、ただ自分が生き残ろうとしている。クルミからも他の死霊からも、そして人間からも。

 そこに、未来とか仲直りとかを考える余裕はなかった。


 そんな陽介の後を追わんと、クルミも立ち上がる。

(諦めない……日の出まで、諦めてたまるか!

 諦めたら、そこで終わりだ!!)

 クルミは良くも悪くも、諦めが悪い女だ。一度こうだと思い込むと、暴走機関車のように何があっても突進する。

 だが本当に正しい事をしようとした時、それは決して折れぬ不屈の意志に変わる。

 どれだけ相手に拒絶されようと自分が痛い思いをしようと、可能性がある限り決して諦めずに動き続ける。

(私は、これまで長い事過ちを正そうとしなかった……だから、正すのは簡単じゃないかもしれない。

 でも、それが何!?

 私はやるんだ!今、私にしかできないんだ!

 今あの子を追いかけて手を差し伸べられるのは、私しかいないんだ!!)

 クルミは陽介を追ってホールを後にし、陽介が走り去った方へと駆けだした。工場の長い壁の先に、暗がりに駆け込む陽介の姿がチラリと見えた。

 それを目指してひた走るクルミの頭の中に、頑張ってと野菊の激励が響いた。

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