25.知らぬが仏
咲夜たちの作戦も知らず、ひな菊は得意絶頂の日々を送っています。
劇の準備でも親の力を存分に使い、自分と配下の子たちにだけ恩恵を与えてふんぞり返るひな菊。
彼女が一番楽しみにしているのは、白菊姫を模した美しい着物でした。しかしそれが届く日を、浩太は側で心待ちにしていたのです。
二学期が本格的に始まり、劇の練習も始まる。
だんだんと朝晩は涼しい風が吹くようになり、子供たちは暑さに悩まされずそれぞれの活動に打ち込めるようになる。
毎年変わらぬ、止まることのない季節の流れ。
その中で、咲夜たちの陰謀も止まることなく動いていた。
「はい、ひな菊。続きの脚本ができたよ」
浩太は、ひな菊に新しい場面の脚本を渡す。以前見せた未完成の脚本の、続きの部分だ。……といっても、まだ全部ではないが。
それに目を通すと、ひな菊はちょっと嫌な顔をした。
「うえぇ……悪代官に脱がされて触られるの?
ま、悲劇の姫だから仕方ないかもだけど……あ、でも野菊が助けてくれるんだ」
脚本に軽く目を通すと、ひな菊はふぅっとため息をついた。
「悪代官の衣装、思いっきり悪趣味にするように言っとこ……。
それから陽介、いくら演技だからって本当にあたしに触ったら許さないからね!そうしたらあんたの親、クビにしてもらうから!」
それを聞くと、陽介と呼ばれた男子はびっくりしてきをつけをした。
「は、はい!触るふりで頑張ります!」
先日、咲夜からティアラを奪った時とは大違いの態度だ。
この男子は福山陽介といい、ひな菊の取り巻きの一人だ。先日の多数決の折、積極的に咲夜を罵って乱暴を働いていた。
その功績で、劇の重役の一人である悪代官……作左衛門の役をもらえたのだ。
だが、陽介にはそんなものよりもっと欲しいものがあった。そのために日夜ひな菊に尽くし、荒事もいとわず点数を稼いでいるのだ。
しかし陽介はだいぶ頭が単純にできているため、自分の役が本当はどんな人物なのか考えることはなかった。
陽介は自分の無知を棚に上げて、浩太に小声で文句を言う。
「おまえな、味方ならもうちょっと俺らにも気を遣えよ。
この劇のせいで俺がひな菊さんに嫌われたら、どうしてくれるんだよ!」
(味方になった覚えも君たちを守る気もないんだけどね)
その言葉は心の中に留めておいて、浩太はすまなさそうに苦笑した。
(82)
ひな菊が有頂天になっている一方、咲夜たちは地味な作業に精を出していた。
主に農民の役を与えられた咲夜支持派の子たちは、大道具の作成や自分たちの小道具と衣装の準備までやらされている。
どうせ農家の子が農民の役をやるのに練習など必要ないと、ひな菊が押し付けたのだ。
もちろん、先生は皆で力を合わせるようにと言った。しかしそれは教育者としての建前で、本音はひな菊に逆らえる訳がないのだ。
ひな菊もそれを分かっていて、きちんと形式上はクラス全員で分担することにしている。
だが、形式上はクラスの全員が準備に携わるようにしておいても、実際に誰が参加するかは別の話だ。
授業の中での練習が終わると、ひな菊支持派はひな菊の家でお菓子パーティーに。
咲夜支持派はその後も残って、押し付けられた作業を続ける。
「ちゃーんと手を抜かずに作るのよ!
あんたが混乱を起こしたせいでクラスが迷惑したんだから、ちゃんと償ってよね」
ひな菊が監督気分で言うと、咲夜はしおらしくうなずく。
「うん、ごめんね……私が間違ってた。無茶して横車を押せばどうにでもなるって、本当に馬鹿なことしたと思ってる。
だからせめて、劇はきちんと完成させる」
咲夜は力ない声で呟いて、ちまちまと手を動かしている。
それを心服の証ととったのか、ひな菊はますます増長してクラスの全員に言う。
「ほら、咲夜も言ってるでしょ?
あたしは正当な手段で、この劇を正しく進めるためにこの女をこらしめたのよ!だからあたしが正義、こいつが劇のために力を尽くすのは当然なの!
みんなも、あたしの劇のために全力で働きなさい!
こいつの浅はかさと頭の悪さは分かったでしょ?その点あたしについて来れば、心配することなんて何もないわ!!」
ひな菊はこの機に、クラスの全てを手中に収める気だ。
それを分かっている咲夜支持派の子たちは、作業に没頭するふりをして無視をきめこむ。意地でも応えてやるもんかと、沈黙を張り巡らす。
しかし、ひな菊はあくまで強気だ。
教室を出る間際、ひな菊は咲夜が大道具作りに使っている絵の具のパレットを派手に蹴飛ばした。
「きゃっ!?」
咲夜が避ける間もなく、絵の具が飛び散る。
勢いよくまき散らされた絵の具は咲夜のみならず作りかけの大道具にもかかり、せっかく作った道具をべたべたと汚した。
それを見たひな菊は鼻で笑い、汚物を見るように蔑んだ目でこう言った。
「あーごめん、足引っかけちゃった~。
でもぉ、きちんと直すのはあんたの仕事よね?」
その言い方に、咲夜の友人の一人がとうとうキレた。
彼女は咲夜に駆け寄り、憤怒の表情で言い放つ。
「いつまでもそんな顔してられると思わないでよ!劇の当日は、覚えてなさいよ!!」
その瞬間、今まで人形のようにしおらしかった咲夜がいきなり血相を変えた。友人を抑えるように腕を掴み、慌てたようにまくしたてる。
「何てこと言うの!?
その、悪いのは私なんだから、今回はひな菊の言う通りに……!」
醜い仲間割れを横目に、ひな菊は余裕の表情で教室を出ていった。
しかし……少し行ったところでさっきの言葉が気になって、浩太に聞いてみた。
「ねえ、あいつら……何か企んでると思う?
昨夜本人は大丈夫そうだけど、どうも周りがまだ負けを認めてないっぽいのよね。あいつら、劇に何か仕掛けてくるかしら?」
すると、浩太は少し考えて答えた。
「劇の当日に、不服な奴らを集めてサボるってのは有り得るな。
でも、そんな事は僕が許さないよ。せっかく作り上げた僕の物語を、台無しになんかさせない。
学校行事の場で勝手に役目を放棄したらどうなるか、ちょっと彼らに伝えておくよ。そんな信用できない奴が、今後意見を通せると思うなよって」
それを聞いて、ひな菊は安心した。
「なるほどね、さすが、あんたは頭のいい子だわ!」
劇の作者であり、この劇を守ろうと執念を燃やす浩太を、ひな菊は全面的に信用していた。利益でつながっているし頭はいいし、これほど心強い味方はいない。
浩太がこちらにいれば、失敗など有り得ないように思えた。
よもや、その浩太が一番の黒幕だなどと、気づくはずもなかった。
ひな菊は上機嫌で、取り巻きたちを連れて自宅に帰る。村の中でそれなりに広い面積を占める、鉄工所と同じ敷地にある豪邸だ。
帰って荷物を置くとすぐ、ひな菊はお世話をしてくれる家政婦に言う。
「前に発注してもらった衣装だけどさ、今からでも変更できる?
作左衛門の衣装、もっとギラギラして悪趣味なヤツにしたいんだけど」
それを聞くと、家政婦は少し困った顔で答えた。
「今からですと、少し納期的に厳しいものがありますねえ。下手に変更して劇の当日までに届かなかったら困りますし……。
でしたら、派手なパーツを追加するのはどうでしょう?」
「分かった、じゃあそれでやっといて!」
家政婦に指示を出すと、ひな菊はすぐさま自室にお菓子を運ばせる。
言う事を聞く大人に指示を出して待つだけ、それがひな菊の準備だ。
ひな菊は、自分を支持してくれる子たちの侍や侍女の衣装を外注で用意させている。お金は娘の晴れ舞台のために父親が出してくれる。
だからひな菊支持派の子たちは、一応自分たちの衣装の準備は割り当てられているものの、実質的に働く必要が無かった。
それでも準備は問題なくできるので、自分たちは役割を果たしていると思っている。
そうしてできた暇でゆっくりと宿題を済ませたり遊んだりしながら、やはりひな菊に味方して良かったと自堕落に思っていた。
ゆったりとした空気が流れる自室で、ひな菊は一枚の写真にうっとりと見入る。
「はあ……何度見てもきれい。
これを着て舞台に立つ日が、待ち遠しいわぁ……」
ひな菊が見ているのは、一枚の着物の写真だ。黒地に大輪の白菊模様のその着物は、子供用ながら安っぽさがなく気品に満ちていた。
他でもなく、ひな菊が白菊姫を演じるために父に頼んでいる着物だ。父はひな菊のために、多くの業者に連絡してこれを見つけて取り寄せてくれた。
(もうすぐ、これが届く……)
これを着て姫姿を披露する日を思うと、ひな菊はニヤニヤが止まらなかった。それを妙に冷たい笑みで見ている浩太など全く気にせず、ひな菊は親の力で得た栄華を存分に貪っていた。




