245.破れた籠
ここでようやく、白川鉄鋼サイドの一度切れたところとつながります。
竜也とひな菊の真実を知って、楓の胸に渦巻く思いとは。
そして、そんな楓になおも醜悪に迫る竜也。
どこまでも救いのない楓に出口を与えたのは、外から来たあの若者でした。
放送が途切れると、白川鉄鋼のホールはしーんと静かになった。
竜也はわなわなと震えながら、銃口をクメから外して射線をさまよわせている。目を白黒させて、しきりに口を動かしているが、言葉は出て来ない。
楓は今や、竜也に向けて棒を構えていた。
クメにとっては隙だらけだが、クメが襲い掛かる様子はない。むしろ人々が混乱する様子を、面白そうに眺めている。
楓が、ぽつりとつぶやいた。
「何よ、これ?」
言葉はあっさりしていたが、その目には業火のような怒りが渦巻いている。
竜也が答えられないと、楓はどんどん早口になってまくしたてる。
「ねえ、何かって言ってんのよ!答えてよ!!
あたしを助けてくれるとか猛を殺してくれたとかさあ、それ以前に本当の元凶はひな菊だったってどういう事!?
あたしを助けたのも、マッチポンプでしかなかったの!?
そのうえスケープゴートとか体を売らせるとか……何なのよおおぉ!!!」
楓の心は、控えめに言っても裏切られた失望と悲しみで一杯だった。そのうえ、さらに利用されそうになった怒りが爆発していた。
自分は竜也を救世主と信じ、こんなに命懸けで損な役も引き受けたのに……その報いがこれだなんてひどすぎる。
信じていた優しい世界が、真っ逆さまになった。
こんな残酷なの信じたくなくて、しかし信じざるを得ない証拠がざらざらと出て来て。とにかく社長に何か言ってほしくて。
しかし竜也から放たれたのは、さらに残酷な言葉だった。
「黙れ!おまえこそ、私無しで生きていけると思っているのか?
私の武器でとはいえ、君は夫を殺したんだ。殺人犯だ!
その罪から君を守れるのは、私しかいないんだ!分かったらさっさと、こいつらを叩きのめして従わせろ!」
竜也は、悪魔のようにそう言ってせせら笑った。
この瞬間、楓はこの男の本性を理解した。
「そ、んな……あれは、あたしを……縛るため……!?」
楓は、よろりと後ずさって周りを見回した。
さっき自分が竜也と共に猛を撃ったところは、ここにいる全員が見ている。言い逃れの余地などない。
いくら猛が悪くても、自分はその妻で、しかも息子の陽介は禁忌破りの実行犯。周囲の人が自分を守ってくれるとは思えない。
竜也はそれに重ねて楓が裏切れなくするために、猛を殺させたのだ。
「あ、あ……!!」
楓のぐにゃぐにゃの視界が、暗くなっていく。
「ホーホホホ!ザマあない、カツミの……呪われた、血筋ガ!」
奈落のような世界の中、クメの哄笑が響く。
楓にはもう、絶望しかなかった。
竜也にこのままついていても、使い潰されるだけ。かといって竜也から離れても、自分が救われるあてなどない。
もう、どうしようもない。
自分には、一筋の光も……。
しかしそこに、若い声がかかった。
「じゃあもう、逃げちゃえばいいよ」
はっと振り向くと、一人の若手社員……根津が優しい目でこちらを見ていた。
「さっきから見てたけどさ、あんた、かわいそうすぎ。社長の使い方も村の人たちからの目線も、こりゃねえわって感じだよ。
むしろ、何でこんな所に留まってんのか分かんねえな。
あんた、救われたきゃ、逃げるべきだ」
根津は何の裏もなく、そう言った。
村のしがらみも知らずただ巻き込まれた根津から見て、楓に課せられた苦難はあまりに理不尽でひどいものだった。
だから、もう逃げればいい、と思った。
こんな所にいる限り、楓は決して幸せになれない。子供がいると言ったって、捨てられても自業自得なことをしている。
根津は図太い若者特有の軽さで、楓を閉じ込める籠を開けてやった。
しかし、竜也はそんな事認められる訳がない。
むしろ自分の罪が決定的に晒されてしまったからこそ、この罪をできるだけなすりつけられるこの女を手放してたまるか。
竜也はついに、楓に銃口を向けた。
「うるさい!!おまえの子育てが……おまえの息子が悪いんだろうが!
それに、ひな菊がどれだけおまえの財布を助けてやったと思っている!?とっくに捨てられるか売られるところを長らえてやったのに、その態度は何だ!?
何なら社員たちの罪も着せられるだけ着せて、夫と同じ死に方をするか!!」
竜也の言い草はもう、ギャングそのものだ。
自分の娘と自分の子育てを棚に上げて、むしろそれすらも恩を着せてやったとばかりに利用する。筋もクソもない、めちゃくちゃだ。
しかも、逆らえば殺すと隠しもしない恫喝。
だが、根津は軽く笑い飛ばした。
「アハハッ本当に撃てるのかよ!
今にも、娘に危険が迫ってるかもしれないのに?俺らなんかに使っちまって、いいんスか~?」
根津がここまで煽るのは、竜也が決して撃てないと分かっているからだ。
竜也がここまでやるのは、他でもない娘のため。根津が白菊塚のことで買収された時も、ひな菊の関与だけは漏らしたら消すと脅された。
その娘と自分を守れる弾を、他のために浪費できる訳がない。
あまつさえ、もう竜也とひな菊のために体を張って戦う者はいないのだから。
図星らしく歯ぎしりするしかない竜也に、楓はフッと笑みを漏らす。
「どうやら、そうみたいね。
じゃああたしは、ここで失礼させてもらうわ!」
救いも銃もないのならば、もう楓を縛るものは何もない。会社も村も家族も、全てはクソ食らえだ。
鎖から放たれた楓は、一陣の風となって走り出した。




