24.水面下の波
ひな菊が白菊姫役に決まり、咲夜たちの計画は順調に進み始めます。
そんな中、ひな菊が白菊姫を演じることは、クラスの中だけでなく村でも亀裂を広げつつありました。こののどかな田舎の農村が抱える、人々の亀裂とは。
劇の役決めは、あっという間に終わった。
ひな菊が白菊姫の役についたことで、ひな菊支持派の子たちが侍女や侍の役になった。そして咲夜を不憫に思った咲夜支持派の子たちは、多くが村人になった。
クラスの中で対立する派閥が、そのまま劇に反映されたのだ。
ただ、白菊姫を諌める巫女の野菊役は、ひな菊と仲の良い聖子がやることになった。実際に平坂神社の跡取りだから、という理由で皆に推されたからだ。
これに関しては、聖子は内心複雑だった。
(うーん、始めは白菊姫の親友だけど、途中で敵になっちゃうのよね……。
まあ、村人の怨念に取りつかれた悲劇のヒロインってことでいいのかしら?)
劇を通じてひな菊との仲が壊れてしまわないか、聖子が気にするのはそこだけだ。
「大丈夫よ聖子、あんたはいつまでもあたしの親友でしょ?
白菊姫と野菊だって、きっと心は親友だったのよ。それが村人たちの勝手な私怨に巻き込まれて……ひどい話よね。
でも、こういうのを演じてこそ、自分の不満を人に押し付ける暴徒のひどさが人に伝わると思うの。この村のみんなの心を動かすために、二人で悲劇のヒロインを演じきりましょ!」
ひな菊は、そう言って聖子を安心させる。
そして、浩太にもこう言った。
「あんたも、早く脚本を完成させてよね。
自作だから時間がかかるのは分かるけど、早く作ってくれないと大事なラストの練習があんまりできないでしょ。
あたしも、今日帰ったらすぐ着物の手配を始めるから」
それを聞くと、浩太は嬉しそうに笑ってうなずいた。
「うん、早めに完成させるように努力するよ。
ただ、急ぎ過ぎて雑になってもだめだから……そこは分かってほしいな」
全ては順風満帆に進んでいる……ひな菊は大いに満足して、るんるん気分で下校していった。
そう、浩太がひな菊に見せたのは途中までの……一揆が起こって村人が屋敷に突入するまでの、未完成の脚本だ。
ラストがどうなるのか、どういう教訓の物語なのか、ひな菊はまだ知らない。だから白菊姫を悲劇のヒロインと都合よく解釈し、その役に酔いしれている。
その真実を知った時、ひな菊はどんな顔をするだろうか。取り巻きたちは、周りの大人たちは。
それを考えてどこか皮肉めいた笑みを浮かべながら、浩太は下校していった。
その日学校が終わると、咲夜の家に数人のクラスメイトが押し掛けた。今日のことで咲夜を心配する、咲夜と仲良しの子たちだ。
「大丈夫、咲夜ちゃん?」
「役、本当にされで良かったの?何なら誰かと交代しても……」
友人たちは口々にそう声をかけるが、当の咲夜は不気味なほど落ち着き払っていた。
「うん、これでいいの。これで全部、うまくいくわ。
実はね……」
咲夜はその友人たちを家の二階に上げ、本当のことを告げた。
白菊姫の物語は、自分の興味のあることしか考えず多くの人を苦しめた姫の勝手を戒めるものであること。白菊姫は本当は主人公などではなく、憎むべき敵役なのだ。
だから大樹たちと謀って、ひな菊をその役に誘導した。
ひな菊に白菊姫を演じさせるのは、ひな菊への制裁であり公開処刑だ。
ひな菊の方があそこまで汚いことをしてもぎ取った役だから、捨てる事など許さない。もしそれでも逃げ出すようなら、そこを突いてもっと叩いてやればいい。
どちらにしろ、ひな菊の評判はその本性にふさわしく地に堕ちるだろう。
人を馬鹿にして楽しんでいるあの女には、お似合いの末路だ。
そのために自分は、あえて無茶をして自分に票が集まらないようにした。
「あいつに一泡吹かせるためなら、汚れて濡れるぐらい安いもんでしょ。だいたい、畑で菊のお世話をしてたら汚れて濡れるなんて日常茶飯事だもん」
そう言ってケラケラと笑う咲夜に、友人たちは少しだけだまされた気分になった。
しかし、文句を言ったり止めたりする子はいない。
咲夜の友人たちの多くは咲夜と同じ農家の子で、咲夜の苦しみを知っているから。泥だらけになって働く親や手伝わされる自分たちを馬鹿にして見下すひな菊のことが、腹に据えかねているから。
だから咲夜のやることには、小気味良ささえ覚えてしまった。
「……でも、アイツに逃げる時間を与えないように、今は黙ってて」
「分かったよ、こりゃあ最高の学芸会になりそうだ!」
これまでずっと感じていたうっぷんを吹き飛ばすように、咲夜と友人たちは笑い合った。これであの性悪女に一泡吹かせられると思うと、もう笑いが止まらなかった。
嬉しくて楽しくて、咲夜はもう人に話さずにいられなかったのだ。
もちろん口止めはしたが……それを友人たちが守れるかは、また別の話である。
それから数日で、村には噂が流れるようになった。
内容はもちろん、ひな菊が学芸会で白菊姫を演じるということだ。そして、その役をもぎ取るために咲夜とひと悶着あったことも。
それに対する村民たちの反応は、大きく分けて二つあった。
まずは、ひな菊にはぴったりだと皮肉めいて笑う者たち。
これは主に、咲夜やその友人たちの親と同じ農家の大人たちだ。特に、名産の菊を作っている農家の人々は、その傾向が強かった。
「わがまま放題のお嬢様が、こりゃ見ものだぞ!」
「菊を育てる苦労も知らんで姫を気取って、ウチの子にもいろいろ言ってくれたらしいな。
しかし受けたっちゅうことは、白菊姫のことを詳しく知らんのじゃろ。自業自得じゃ、劇の中だけでもこっぴどくやられるといいわ!」
菊農家の大人たちは、多くが口伝で白菊姫のことを伝え聞いていた。菊を作る者の心得として、同じことが繰り返されないように農家は代々語り継いでいるせいだ。
もっとも、あまりに残酷なので子供はそう詳しく知らないが……。
知っている大人たちにとって、ひな菊の今の状況は滑稽極まりない。ひな菊の父の怒りに触れないよう声を潜めつつ、成功を願って見守っている。
逆に、ひな菊とその父にごまをする者たちは困っていた。
それは主に、ひな菊の父が経営する白川鉄工で働く者たちだ。しかし彼らの中でも古くから村で暮らしている者は、白菊伝説を大まかにだが知っている。
だが、ひな菊はだまされていると声高に叫ぶことはできない。
ひな菊の父である白川竜也はひな菊を溺愛しており、そのうえワンマン社長だ。しかも村の伝統やそれを守る古老たちを煩わしく思っており、自分がこの村を変えてみせると意気込んでいる。
そんな社長に、その短気な娘に、機嫌を損ねることを言えば自分はどうなるか。それを考えるととても、言い出せなかった。
それどころか、ひな菊に気に入られたい取り巻きたちはひたすら持ち上げるばかりだ。
そんなこんなで、ひな菊の耳に真実はすぐには届かなかった。




