235.同罪の友
真の罪を知った白菊姫と、罰を告げつつなおも支える野菊。
意識を取り戻した白菊姫に与えられたさらなる罰は、心を歪められて己を見限って死んでいった村人たちと同じ思いをすること。
しかし、それでも野菊は寄り添います。
きれいなままでは慰められないなら、同じ場所まで落ちてでも……。
白菊姫は、ようやく知った民の苦しみに、胸が潰れそうだった。
ずっと昔生きていた頃、自分が村の食べ物と水を奪ったと知った時も辛かったが……今はその比ではない。
だって自分は、多くの罪なき人々の心をも歪めてしまった。
今まで信じ合い愛し合って生きてきた人の心をも、捻じ曲げて汚してしまった。
犯さなくていい罪を犯させ、憎まなくていい人を憎ませ、負わなくていい消えない傷を心に刻んでしまった。
これを、大罪と言わずして何と言うのか。
水を奪う事食べ物を奪うことは、ただ飢えと渇きで命を奪うだけの罪ではない。人の心を否応なしに獣に変え、罪を生み出す罪だったのだ。
白菊姫は、どうして村の人々が自分をここまで恨んだか真に理解した。
大切な人と人の絆を、人としての尊厳すら踏みにじられたからだ。そうして自分たちが身も心もボロボロになっていくのを、笑って見ていたからだ。
(違う、わらわは……そんなつもりではなかった!!
ただ、村がどんどんギスギスしていくから、わらわだけでも希望と癒しをと……!)
白菊姫の心は、必死で言い訳を叫んだ。
だって、やろうとしてやったんじゃない。
こんな悪い事だったなんて知らなかった。こんなになるなんて知らなかった。人が飢えるとどうなるかなんて、考えたこともなかった。
自分は自分なりに、いいことをしようと思っていたのだ。
しかし野菊は、そんな白菊姫にぴしゃりと言い放つ。
(あの時言った事、もう忘れたのかしら?
いくら知らなくてやっても、許されることと許されないことがあるわ。
いくらあなたが謝っても、人々が苦し紛れにやってしまったことは消えない。やった方もやられた方も、心の傷は消えない。
じゃあ、あなた私が知らなかったって言ったら、さっきのを許せるかしら?)
そう言われてしまうと、白菊姫は首を横に振るしかなかった。
自分はさっき、自分にそうさせた野菊を心の底から憎いと思った。その心は、自分の罪を知った今も消えずにだからってと喚いている。
自分がこんななのに、他の皆の苦しみを認めない訳にいかなかった。
(ハハ……そうか、そうじゃなあ……。
許されぬなあ、わらわは……)
白菊姫は、乾いた笑いを漏らした。
その心を、自分へのどうしようもない諦めが満たしていく。
自分は決して許されるべきではない。自分が同じ苦しみを味わって、初めて分かった。逆にこれまでは、どんなに人に訴えられても分からなかった。
そんな自分が人々からどう見えたかと思うと、存在そのものが燃え尽きてしまいそうになる。
自分などこの世に存在しない方がいいと、本気で思えてしまう。
そして、そんな自分に寄り添ってくれる野菊が仏様のように思えた。
(……優しいのう、おぬしは。
わらわにこれを気づかせるために、こんな呪いを使ったのか?
こんなことをして、おぬしや死んでしまった村人たちまで苦しめることでもあるまいに……さっさとわらわを殺せば良かったのじゃ)
しかし、野菊はこれには首を横に振った。
(だめよ。それじゃあなたは、自分を正しいと思ったまま死んでしまった。
そんなの誰も望んでないし、償いにも罰にもならない。
村人たちの死霊から毎日恨みを訴えられて、そんなこと許せる訳ないでしょ!)
野菊はあの時、初めは飢え死にした村人たちの霊を鎮めようとした。しかし、己が堕ちるのを止められずそれでも助からなかった村人たちの無念は、鎮められるものではなかった。
死んだ村人たちは、完全に己を見限り世を見限り、救われたい意志すらも失ってしまった者もいた。
それでも野菊は民たちの心に寄り添って少しでも糸口を見つけたいと、村人たちと同じ気持ちを味わうために食べるのをやめた。
するとそのうち、自分の心と死んだ村人たちの思いの境界線が分からなくなってきた。
(せめてあの姫に、俺たちと同じ思いを!同じ苦しみを!!)
自分を見捨てた人々は、復讐の身を求めた。
そのために、生者に害をなすことを恐れなくなっていた。
野菊はそんな村人たちの願いに応え、同時に救ってやった。黄泉の呪いに染め人の意識を失わせることで、いらぬ自己嫌悪から解き放ってやった。
これが野菊なりの、白菊姫への罰と村人たちへの救済であった。
(ねえ白菊……あなたはね、そう簡単に許されちゃいけないの。
消えることは、逃げる事……あれだけの恨みを買っておいて、そんなのは許さない)
野菊は、冷たく白菊姫に刑を告げる。
(あなたはこれから、禁忌を破る者が現れるたびに飢えに心を捻じ曲げられ、誇りを折られて犯したくもない罪を重ねる恐怖に打ちのめされる。
私はできるだけさせたくないけど、今夜のようなことがあれば避けられないでしょう。
……本当は、こうなってあなたが罪を知ったのも、あなたと話せたのも、偶然のようなものなのだけど。
でも、この方法があったことだけは感謝しているわ)
白菊姫は恐怖におののきながらも、黙ってそれを聞いていた。
自分は反論できる立場ではないと、分かっているのだろう。
白菊姫とて、善悪をまるきり知らない訳ではない。むしろ良いことをしようと思って招いてしまった惨劇だからこそ、罪を重く受け止めていた。
友の必死の訴えにも耳を貸さず知ろうともしなかったことを、心の底から悔いていた。
(……あい、分かった。
おぬしは、わらわに知ってほしかったのじゃな。
思えばかつて、おぬしが断食の修行をしておった時、わらわも一緒にすると言っておいて一日で音を上げたことがあったのう。
なぜ、その時を思い出して気づかなんだのじゃろうなあ……)
白菊姫は、己を諦めたように罪と罰を受け入れた。
こんなひどいことをしてしまった自分に救われる資格はない、自分の馬鹿ゆえに招いたことだと、とことん自分を嫌いになりながら。
しかし、そんな沈んでいく白菊姫の心を、野菊の心がふわりと包み込んだ。
(大丈夫よ、あなたを一人にはしない)
(そうかえ、こんなわらわのために……わらわは、どこまで迷惑をかけるのか)
(いいえ、迷惑じゃないわ。
それに、そうかしこまらなくていい。だって今の私はあなたと同じ、他者にそういうことを強いた罪人なんだもの。
だから、ね……これからも、一緒に歩んでいきましょう。
ずっと見捨てないわ。だって、友達だもの!)
その瞬間、白菊姫の心がぶわっと温かいもので満たされた。
こんなになっても自分が自分を見限っても、見限らないでいてくれる人がいた。自分と同じ立場になってまで、ついてきてくれる人がいた。
終わりの見えない苦しみの中でも、この友と一緒なら自分を失わずにいられると確信できた。
こんな友を持ったのは自分には過ぎた幸せであったと、とめどなく感謝が湧き出て止まらなかった。




