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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
233/320

233.後の祭り

 意識があるまま人を食い殺してしまった白菊姫の、その後。

 信じられなくても信じたくなくても、現実は目の前にある。

 それを突きつけられて、白菊姫が抱いた思いとは。


 そしてついに、その体に野菊がかけつけます。

 それからしばらくして、白菊姫はふと辺りを見回した。

「……何じゃ、これは?」

 少しの間、自分の置かれた状況が分からなかった。

 自分はなぜか、家の中と思しきところにいる。そして目の前には、腹が破られ肉を抉られた無残な男の死体。

 自分の手と口元から胸にかけてが、べっとりと血で汚れていた。

(まさか、わらわがこれを?)

 白菊姫は、にわかには信じられなかった。

 だってさっき菊を育てる少女たちから話を聞いて、悪い事をしたと思ったのに。せめてどんなにお腹が空いても、人は食べまいと思ったのに。

 今は、きちんとそう思って落ち着いていられるじゃないか。

 ついさっきまでのすさまじい飢餓感は、治まって……。

(空腹では、なくなった……腹が、満たされた?)

 それに気づいた途端、おぞましい事実に行き着いた。

 空腹が満たされたのは、体が欲しがるものを欲しいだけ食べたから。そして、その体が欲しがるものとは……。

(あ、わ……わらわは……何も考えられなくなって!

 いや違う、考えられた……?)

 何も分からなくなっていたなら仕方ないと言い訳しようとしたが、そうではない記憶が急速に浮かび上がってきた。

 おっかなびっくり死んでいる男の顔を見ると、交わした言葉と感情が蘇って来る。

 自分のためにこの男がわざわざ生肉を用意してくれたこと。しかし自分はそれを食べられなかったこと。

 それで辛くて仕方なくて、思わず男を逆恨みした。何をしても償わせようとか、身勝手で一方的なことを考えてしまった。

 そして男を逃がさぬよう、知恵を働かせて騙し討ちに……。

 そこまで思い出して、白菊姫は愕然とした。

(わらわが、自分で考えてやった……そんなひどい事を?)

 白菊姫を、猛烈な後悔と信じられないような自己嫌悪が襲った。

 自分がしたことは、人としてどうやっても許されない醜いこと。助けようとしてくれた人を、逆恨みして食い殺すなんて。

 しかも、人の思考をそんなことに働かせてしまった。

 自分は逆であろうと思っていたのに、この体たらく。あんなに固く誓ったのに、考えられれば大丈夫だと思ったのに。

 自分は、こんなに弱い心の持ち主だったのか。こんなにずるくて身勝手で、どうしようもない人間だったのか。

「あ、あァ……うわああぁ!!!」

 白菊姫は、大声を上げて泣いた。

 己に絶望して、ただ泣いた。

 泣くことしかできない自分がなお悲しくて、それでも目の前の現実は変わらなくて、突きつけられてまた泣いて。


 そのうち、死んだ男の体がもぞりと動いた。

「あっ……あ?」

 ほんの少しだけ希望を持った白菊姫の前で、男はゆっくりと起き上がる。

 だが、さっきのように優しく声をかけてくれることはなかった。怒って自分を責めることもなかった。

 男の顔からは、人としてあった表情がすっぽり抜け落ちていた。ただ白く濁った目で、うつろに白菊姫の方を見ていた。

「おぅ~?」

 男の口から出たのは、理性も思考もない死霊の呻き声。

 その瞬間、白菊姫は男がどうなったのかを理解した。


(あ、こんな……こんな事を、わらわは……恩人に、生きていた関係ない人に……こんな事が、できてしまうような……!!)

 圧倒的な絶望と罪悪感に、白菊姫の心が壊れそうになったその間際……。


「あガッ!?」

 白菊姫の体が、突然びくりと痙攣してのけぞった。

 それからゆっくりと姿勢を戻し、まるで状況を飲み込めない別人がするように周りを見回した。

「白菊……これは一体……!」

 その口からこぼれた言葉は、白菊姫のものではなかった。


 野菊は、愕然としていた。

 白川鉄鋼で倒されて、それでもどうにか新しくやれることを見つけて、それで反撃の準備を整えて……ようやく手が離せるようになってここに来た。

 そうしたら、この惨状は一体何だ。

 白菊姫が、人の理性と思考があるはずなのに人を食い殺している。

 なのに周りには、争った形跡がない。扉は開けっ放しで、しかも外側に開いているので外から押し壊したのではない。

 訳が分からないことだらけだ。

(……とりあえず、この子に聞くしかなさそうね)

 白菊姫の意識は、ひたすら己に絶望して泣き叫んでいた。

(あああぁ野菊うぅ……わらわは……わらわは、ごべんなざいいぃ!!

 は、早う……わらわ、消じでぇ!!もう、嫌じゃあ……わらわっこんなっ浅まじぐで、醜ぐで、ひどい人間でええぇ……!!)

 伝わってくるのは、自己嫌悪と自己否定の嵐。

 白菊姫自身にとっても、これをやってしまったのはショックだったのか。

 野菊はそっと抱きしめるように寄り添い、白菊姫にささやいた。

(白菊……悲しいのは分かるけど、これじゃ何があったのか分からないわ。

 大丈夫、昔みたいに話を聞いてあげる。こんなになっちゃったけど、友達だもの……どうしてか私に教えて)

 すると白菊姫は全く抵抗せず、むしろすがるように野菊に心を寄せて開いてくれた。

 そして同調し見せられた、白菊姫の記憶。

(ああ、そういうことか……)

 それを見て野菊は、とてつもない後悔に襲われた。自分がもっと早くここに来ていれば、これは防げたのにと。

 同時に、希望も持った。これで白菊姫は、本当の意味で分かってくれると。

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