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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
231/320

231.求めに応じて

 中途半端な黄泉の力で、理性がありながら抗えない飢えに襲われる白菊姫。

 何も考えられなくなることより、こっちの方が遥かに辛い。


 そして、理性が残るということは解決法を考えてしまえるということ。

 人とのコミュニケーションが取れてしまうということ。

 それを人に……誤解されてしまうということ。

 一方の白菊姫も、康樹の姿を見た途端すさまじい衝動に襲われた。

(あ、ああぁあ肉、あんなにぃ!!食いたっ……食わせろおぉ!!)

 白菊姫の唇を、あふれた涎がてらてらと濡らす。体中が引きちぎられて消えてしまいそうな、圧倒的な飢餓感に思考が塗りつぶされそうになる。

(い、嫌じゃ嫌じゃ……来るな!

 いや来い!……違うっ……食っては……食う訳には……!)

 どんなに抗おうとしても、足は窓から離れようとしない。身を突き離そうと壁についた手は、かくんと曲がって顔を窓にすり寄せる。

 生前は太った男など見苦しいと好きではなかったのに、今はあのでっぷりとしたお腹がたまらなく魅惑的に感じる。

 あそこには、どれだけの血肉が詰まっているのだろうか。

 歯を立てて食いちぎったら、どれだけ満たされるだろうか。

 その瞬間が勝手に脳内で展開され、それを実現することしか考えられなくなる。

(い、嫌じゃ……わらわは、そんな……獣になど……!

 き、菊……わらわが好きなのは……は、腹が満たされぬではないかぁ!そうじゃ、脂ッ気の多い肉は、菊酒によく合おうなあ……)

 懸命に頭の中に思い描いた菊は、血肉の宴席の添え物になってしまう。

 嫌なのに、おぞましいのに、はしたないのに……だから何だと食欲が全てを蹴散らしてしまう。白菊姫にとって、こんなのは初めてだった。

 体から生じる欲が、言う事を聞かない。どうしても抑えられない。

 どうしたらいいか分からない。


 そうして窓に張り付いたままの白菊姫に、あろうことか中の男は寄ってきた。

 男が近づいてくるほど、白菊姫の凶暴な衝動は増していく。すぐにでも手を伸ばして、あの豊かな肉を掴んでかぶりつきたくなる。

 白菊姫は残った理性を総動員して、拳を握りしめた。だが次の瞬間には、腕がそれを窓に叩きつけようとする。


 そんな白菊姫の心中などいざ知らず、康樹は声をかけた。

「もしや、白菊姫様ですか?」


 不意に名前を呼ばれて、白菊姫ははっとした。

 目の前のこの男は、自分を攻撃してきたり逃げ出したりしない。それにかつて仕えていた者たちのように、様付けで呼んでくれた。

 この男は、自分を憎んでいないのか。自分が怖くないのか。

 白菊姫の絶望に沈みそうだった心に、光が差した。

(あ、あぁ……こんなわらわに、寄ってきてくれる……食ワレテクレル……?

 ならば、わらわをっ……この、苦シミヲ、ドウニカシテ……!)

 半分飢えに支配された心から、白菊姫は叫ぶ。

「た、頼む……助けて!!腹が減って……後生じゃ!!」

 もしかしたら、助けを求めたら助けてくれるだろうか。自分のこの飢えを、何とか満たしてくれるだろうか。

 それとも、自分が飢えていることに気づいて逃げるだろうか。

 どちらでも良かった。

 飢えと人の心両者が前者を求めて、人の心は後者でも良かった。飢えは、とにかく気を引いて中に入れてくれさえすればとも思っていた。

 すると、中の男は心配そうな顔をした。

「飢えている……やはりゾンビは、避けられないのか?」

 白菊姫は、人としての安堵と飢えの不安に同時に襲われた。もしこれで引かれたら、相手を傷つけずに済むが自分の苦痛は消えない。

 だが中の男は何かを決心した顔で、頼もし気に言った。

「いや、愛しの白菊たんが助けを求めているんだぞ!

 それに、しゃべっているなら理性があるということ。

 よろしい!ならば今から助けて差し上げましょう。姫様が人の言葉で助けを求めてくれたこと、無駄にはしません!」

 そう言うと、男はくるりと向きを変えて大きな箱のようなものを開けた。中から取り出した肉色のものを、皿に載せて床に置く。

 まもなく、白菊姫の側にある扉から鍵が外れる音がした。

「さあどうぞ、姫様!!」

 飢えた獣を止めていた扉が、開け放たれた。


 白菊姫がしゃべって助けを求めた時、康樹の胸に電流が走った。

(よっしゃあああ理性のあるゾンビキター!!)

 康樹自身、ゾンビに対する警戒はしていた。もし理性のないゾンビだったら、ドアを開けたが最後、自分の命はないだろうと。

 しかしどうやら、白菊姫はそのタイプではないように見えた。

 しゃべるということは、人としての意識と思考が保たれているということ。これなら飢えもある程度我慢できるだろうし、人を食う以外の解決法を提示できる。

(確か、冷蔵庫に肉はあったな)

 康樹はすぐに、白菊姫に与えられる食べ物のことを考える。

 ゾンビである以上、一番欲しいのはやはり生きた肉だろう。だがゾンビ映画の中では、それ以外の肉を食っている場面もある。

 死んではいるが、火を通していない牛か豚の肉ならある。どうせ停電で冷蔵庫は止まってしまったし、使っても文句は言われないだろう。

 康樹ははやる胸の赴くままに、冷蔵庫から肉を取り出した。

(ハァッハァッ白菊たんに餌付け、いやごちそう!

 これは愛のフラグですぞぉ!)

 康樹の頭の中は、モンスター娘系のピンクな妄想で満たされていた。

 ヒロインの求めるものを与えて好感度を上げるのは、ギャルゲーの定番ではないか。しかもその欲求が大きい程、好感度も大きく上がる。

 ここで白菊姫を飢えから救ったら、自分をどれだけ好きになってくれるだろうか。

(ハッハアァ……白菊たんが、僕の与えるもので満たされるゥ!

 そうしたら僕は、本能の恩人!

 いっぱいお話ししてお写真も撮らせてもらって、できればお触りも……この世に神はいたのだぁ!)

 康樹は完全に姫君を救う騎士の気分で、勝手口を開けた。

「さあどうぞ、姫様!!」


 これが神の導きかと問われたら、確かにそうかもしれない。

 しかし白菊姫の背後にいて力を伝えているのは、愛の神などではなく悪意と呪いにまみれた黄泉の神であった。


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